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型破り設計の極み!?「最強すぎた軍用機」なぜ頓挫? 「伝説の旅客機」につながったその後

乗りものニュース / 2024年9月30日 6時12分

TSR-2(画像:Greg Goebel[CC BY〈https://x.gd/H6ADW〉])。

英国ではかつて、設計・コンセプトともに型破りの低空侵攻爆撃偵察機「TSR-2」が開発されたものの、実用化には至りませんでした。その後はどのようになったのでしょうか。

「最強」のスペックだったはずの戦闘機

 英国ではかつて、コンセプトも設計も型破りの低空侵攻爆撃偵察機「TSR-2」が開発されていました。しかし、残念ながら計画はキャンセルされ、今は2機が残るのみ。そういったことから悲劇の機体と呼ばれています。しかしこの機は後年、航空機の歴史を変えたモデルへと生かされました。

 TSR-2は1964年9月に初飛行。この機は、核爆弾を搭載してレーダー網に引っかからず超低空で攻撃をしかけたり、高速偵察を行ったりするなど、複数のミッションをこなす野心作として期待され、まさに当時としては「最強の性能」を持ち合わせていました。

 また、鋭い姿の機体は航空自衛隊でも使われたF-104戦闘機も知られていますが、TSR-2はF-104より全長が10mほど長いうえ、翼端が下がり低空侵攻向きの小さい主翼を持ちます。そのルックスは、猛禽類のような印象を見る者に与えるほどです。

 しかし、初飛行から約半年後、この機の計画はキャンセルされました。これは、当時の政治的判断によるもので、それゆえに悲劇の機体と呼ばれたのです。

 現状、TSR-2は2機が英国内の博物館で展示されているのみです。しかし、そのほかに、この機の操縦室部分のみが、英国・サリー州のブルックランズ博物館に展示されています。

 操縦室部分は、長さ約6mの「箱」にしか見えません。外板に出たリベットの頭や補強材から建築現場で使う何かなのかと想像してしまいますが、前後の風防と、傾斜し細くなる前の部分から何とか操縦室部分と分かります。

 なぜこのような飛行機らしからぬ武骨な姿をしているのでしょうか。それもそのはず、この操縦室部分は自身が飛ぶためではなく、「ほかの機体を飛ばすため」につくられたのです。

なぜ操縦席が残されているのか

 超音速飛行では空気の圧縮にともなう空力加熱で機体表面は高温になります。TSR-2の操縦室部分は、この温度変化が操縦室内にどのような影響を与えるかを調べるために、1963年にサリー州でつくられました。そして、TSR-2計画のキャンセル後、この操縦室は超音速旅客機「コンコルド」の開発に活用されたということです。

 しかし、「コンコルド」開発のために残されたものの、この操縦室部分はもう何も中に備え付けられていません。それをなぜ公開しているのでしょうか。

 筆者はこれを、ブルックランズ博物館が、かつて操縦室部分がつくられた土地にあるのに加えて、昔日の技術的挑戦を将来に伝えていく強い意志が英国民にあるから強く推測しています。

 1950~60年代、超音速飛行の実現へ各国は軍民を問わず力を注ぎました。英国もその中で仏国と手を組み、航空大国米国でさえ挫折した超音速旅客機「コンコルド」を実用化しています。こうした技術力を誇りにし、後世に伝えていく具体的な“形”として操縦室部分は展示されているのでしょう。

 そして、もう1つは、TSR-2のキャンセルへの反発もあるのかもしれません。開発中止は、開発費の高騰を非難する当時の政権の決定によるものでした。野心的な性能を狙っていただけに開発側は大いに不満に思ったことでしょう。「最強の軍用機を作れなかった」その思いが、現代まで操縦室部分を残すことにつながったのかもしれません。

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