東北・上越新幹線「200系」どんな車両だった? 雪と戦うスノープラウに雪切り装置

乗りものニュース / 2019年9月1日 14時0分

東北・上越新幹線の200系(画像:写真AC)。

東北・上越新幹線に導入された200系。一見すると0系とよく似ていますが、寒さや雪と戦うための様々な対策が施されるなど、見た目からは分からない大きな変化も。車内のサービス設備も変わりました。

0系と似ているようで大きな違い

「初代新幹線」こと東海道・山陽新幹線の0系電車の追加製造が続いていた1980(昭和55)年、東京から北へ向かう東北・上越新幹線の建設工事が終わりに近づいていました。そこで両線の気候条件に対応した200系電車が開発されました。

 0系はデビュー当時としては斬新な青と白の2色で車体が塗られましたが、200系は緑と白の2色に変わりました。雪深い新潟や東北の地で季節が冬から春に移るころ、山肌を覆っていた白い雪が溶けて、緑色をした草木の葉が芽吹きます。200系は「雪解けの新芽」にちなんで、緑を採用したのです。

 それ以外は丸みを帯びた流線型の先頭部など、一見すると0系と大きな違いはないように思えます。しかし、東北・上越新幹線の線路が敷かれた地域の気候条件に対応するため、様々な工夫が凝らされており、0系とはまったく別の車両といえるほど大きく変わりました。

 多くの鉄道車両は、車体の下にモーターを制御するための機器類などをぶら下げるようにして設置します。これに対して200系は床下も含めてひとつの車体で覆っており、その内部にモーターを制御する装置などの機器類を載せています。こうすると機器類に雪がくっつかず、故障しにくくなるのです。

 また、モーターや機器類は何らかの方法で冷却しないとオーバーヒートし、故障の原因になります。かといって、水気のある雪を含んだ外気で冷却すれば、これまた故障の原因に。そこで200系の車内に「雪切り室」が設置されました。車体の側面に設けた通風口から取り込んだ外気から雪を分離するための部屋で、ここからモーターや機器類に冷えた空気を送ります。

 このほか、編成両端の先頭車の下部には板状の除雪装置(スノープラウ)を設置。ラッセル車のように雪を押しのけて走ることができます。

 ただ、これらの雪対策を施すと、車両が非常に重くなってしまいます。そこで車体は鉄より軽いアルミを採用し、車体を軽くすることになりました。一見すると0系とよく似ていますが、雪対策や車体の材質など大きな違いがあったのです。

車内で流れた「ご当地メロディ」

 車内の座席は普通車が5列(2列+3列)、グリーン車が4列。席の間隔も0系と同じでしたが、初期の0系普通車の座席がリクライニングしないタイプだったのに対し、200系の普通車はリクライニングシートを採用して居住性が改善されました。ただ、3列席は席の間隔が狭くて回転できないため、客室の中央からそれぞれデッキのほうを向くようにシートを固定。このため、座る席によっては窓の外の景色が前方に流れていきました。

 ちなみに、200系の案内放送では駅に停車する直前、その駅にちなんだ民謡や歌謡曲のメロディーが流されていました。たとえば、東北新幹線の郡山駅は『会津磐梯山』、上越新幹線の新潟駅では『佐渡おけさ』です。東海道・山陽新幹線に比べ観光客の利用が多いと考えられたこともあり、観光客誘致の一環として導入されたといえるでしょう。

 200系は1982(昭和57)年の東北・上越新幹線開業にあわせてデビュー。国鉄が分割民営化される直前の1986(昭和61)年まで追加製造されました。東北・上越新幹線の運営がJR東日本に移ったあとの1991(平成3)年には、東海道・山陽新幹線の新型100系電車に似たタイプの200系も登場。先頭がシャープな形状になり、2階建て車も導入されました。

 最高速度は開業当初は0系と同じ210km/hでしたが、追加製造された車両は240km/hに向上。さらに245km/hや275km/h(上越新幹線 上毛高原~浦佐間の下り線のみ)での運転に対応した車両も登場しました。

 こうして1991(平成3)年までに700両が製造されましたが、後継車両となるE2系電車の登場により1997(平成9)年から廃車が進み、2013(平成25)年までに全車引退。いまでは鉄道博物館(さいたま市大宮区)などに保存されている車両しか見ることができません。

 しかし、新幹線が東海道・山陽方面だけでなく全国にネットワークを広げていくうえで必須だった「さまざまな気象条件への対応」の先駆けとして、200系が果たした役割は大きかったといえます。

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