【平成サッカー30年の軌跡】 平成元年/1989年「ベルリンの壁崩壊」、日本では“サッカープロ化”への壁崩壊

超ワールドサッカー / 2019年4月1日 21時40分

写真:Getty Images

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ



■昭和の終わり、そして新時代の始まり
 1989年、新年を迎えて一週間後の1月7日に、皇位が天皇陛下から今上天皇へと移り、「平成」の時代の幕が開けました。

平成元年(1989年)を代表する出来事と言えば、ドイツでの「ベルリンの壁崩壊」、そしてマルタ会談で米ソ首脳によって宣言された「東西冷戦の終結」でしょう。戦後の世界秩序が終焉を迎え、世界中で新たな秩序を模索していました。

日本でも前述の通り、1月7日に昭和天皇が崩御。また、手塚治虫(漫画家)、美空ひばり(歌手)、松下幸之助(実業家/パナソニック(旧松下電器)創業者)が亡くなったのに加え、田中角栄元首相が政界を引退する等、政治、経済、文化の分野で昭和の日本を引っ張ってきた人物が次々と表舞台から姿を消しました。

その一方で、日本初の消費税が導入や、任天堂の携帯ゲーム機「ゲームボーイ」の発売等、新時代の到来を予感させる動きも数多く見られました。

サッカー界


■停滞していた日本サッカー
 そんな新時代への期待と不安が渦巻く平成元年は、日本サッカーリーグがプロ化への第一歩を踏み出した、日本サッカー史においても重要な1年となります。

当時、日本における「サッカー」は、野球や大相撲と言った国民的スポーツと比べるとまだまだマイナースポーツでした。1965年にはアマチュア主体の全国リーグである「日本サッカーリーグ(JSL)」が発足し、サッカー日本代表が1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した事と相まって一時的に人気を呼びます。

しかし、それ以降、国際大会からは遠ざかっており、日本サッカーの実力は伸び悩んでいました。また、JSLの所属クラブもほとんどが企業の福利厚生の一環としたアマチュアチームが中心であり、当然一般層からの関心はありませんでした。

そんな日本サッカーの低迷を憂いて、ある活動が本格化します。それが日本サッカーリーグのプロ化へ向けた活動でした。

■プロ化への道筋
平成が始まる1年前、昭和63年(1988年)には、当時のJSL総務主事が中心となり、プロリーグ発足を目指した「JSL活性化委員会」が発足します。

しかし、今まで企業スポーツという認識だったサッカーをプロ化しようという活動は、クラブの運営者のみならず、選手からもプロ化の実現を疑問視する意見は多く、支持集めは難航していました。そこに現れたのが、後の初代Jリーグチェアマンに就任する、川淵三郎氏です。

1988年の8月にJSL総務主事に就任した川淵氏は、協議する相手を、プロ化に端から悲観的だったJSLではなく、日本サッカー協会(JFA)に変えます。そして、それまでの企業PRを第一に考えたクラブ運営から決別し、「地域に根差したプロサッカークラブを目指す」という理念の必要性を、JFA側に強く訴えました。

そして1989年(平成元年)、JFA内に、日本にプロサッカーリーグを作ることを本格的に検討する為の「プロリーグ検討委員会」が設立されたのです。

この事をきっかけに、同年には2002年のワールドカップ招致に日韓で正式に立候補する等、プロ化への動きが一気に加速していくのでした。

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