【平成サッカー30年の軌跡】 平成23年/2011年 未曾有の災害にサッカー界は…

超ワールドサッカー / 2019年4月23日 19時0分

写真:Getty Images

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。

世の中の流れ


2011年3月11日、東北を未曾有の大震災が襲った。現在は復興が進んでいるが大きな傷跡を残した。

■日本中が悲しみと不安に包まれた日
平成23年(2011年)、日本を未曾有の大災害が襲いました。東日本大震災です。3月11日に起こったこの地震は最大震度7、マグニチュード9.0という日本における最大の震災で、約1万8500人もの尊い命が失われました。

さらに大きな影響を及ぼしたのが、地震の影響により発生した、東京電力福島第一原発での事故です。これにより放射能漏れが発生し、東日本全体が大きな不安に包まれまれました。また原発の運転停止に伴い関東での電力危機が発生。電力不足を防ぐために関東で定期停電が行われました。この災害は電力が有限の資源であるという事実、そして原子力発電所の危うさについて国として考えさせられる出来事になりました。

また、世界に目を向けると、世界的大企業、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ氏が病気の為、56歳の若さでこの世を去ったのもこの年です。ITやソフトウェア業界に大きな影響を与えた彼の死は世界中に衝撃を与えました。また、スティーブ・ジョブズ氏の死後、伝記が出版され世界中でベストセラーになりました。

さらに、2001年のアメリカ同時多発テロの主導者とされる、オサマ・ビンラディン容疑者が、パキスタンで米軍によって殺害されたのも平成23年の出来事です。

その他には、日本で地上アナログ放送が終了とデジタル放送への完全移行や、中国が日本のGDP(国民総生産)を抜いて世界2位になったことが発表されました。



サッカー界

2011年のアジアカップで日本が2大会ぶりの優勝。

■再び伝説となったザックJAPANのアジアカップ
2011年、日本代表は前年のワールドカップでの成功を受け、”自分たちのサッカー”の確立を図っていました。これを受けて、イタリア・セリエAのACミランなどでの監督経験を持つイタリア人のアルベルト・ザッケローニを代表監督として招へいします。

この年、新体制発足以降初めての国際大会であるアジアカップに臨みました。新体制になってからまだ日が浅いせいか、大会序盤はなかなか調子が上がらず、苦しい戦いを強いられます。特に予選第2戦のシリア戦では、GKの川島永嗣(現ストラスブール)が退場になるなど、厳しい試合展開になりましたが、それでも2−1で勝ち切ります。結果、苦しみながらも2勝1分で日本はグループを首位で突破しました。

大会ホスト国であるカタール相手の準々決勝では、後半に吉田麻也(現サウサンプトン)が退場してしまい、数的不利の状況で1点リードされるという厳しい状況に再び陥っています。しかし驚異の粘りを見せた日本が3-2で勝利し、準決勝へと駒を進めました。

宿敵・韓国代表を迎えた準決勝はPK戦までもつれこむ激闘となります。両チーム前半1点ずつ決めますが、その後は決め手を欠き1-1のまま延長戦に突入。迎えた延長前半、日本がPKを獲得し勝ち越しますが、延長後半の120分、まさかの失点を許し同点追いつかれてしまいます。

PK戦では、日本代表の守護神・川島永嗣が、2004年アジアカップのヨルダン戦での川口能活を彷彿とさせる大活躍を見せます超人的セーブを連発し、PK戦で韓国に1本もゴールを許さず、日本の勝利に貢献しました。

決勝を前に、日本代表はエースの香川真司が負傷離脱するというアクシデントにも見舞われます。さらに決勝の相手はオーストラリア。日本にとって高さを武器にするオーストラリアは苦手な相手であり、ドイツW杯でも痛い敗戦を喫していた相手でした。エースの離脱、そして相性の悪い相手との決勝でしたが、日本代表選手の頭には優勝の2文字しかありませんでした。

決勝の試合は両者の実力が拮抗した接戦となります。両チームが果敢に攻め合う展開になりますが、お互いチャンスをものに出来ず前後半の90分が終了。準決勝の韓国戦でも120分を戦っていた日本にとっては、2試合連続での延長戦へ突入となりました。ここでFWの前田遼一に代わってここまで思うような活躍が出来ていなかった李忠成が途中交代で投入され、後にヒーローとなるのです。

延長後半、ついにその時が訪れます。左サイドの長友佑都からのクロスをフリーで待ち受けた李忠成が、得意の左足でダイレクトボレー。ボールは美しい起動を描きゴールの左上に吸い込まれました。日本はこの1点を試合終了まで守り抜き、アジアカップ連覇を達成したのでした。2010年のW杯同様、チーム一丸となって厳しい戦いを次々にものにしていった日本代表の姿に日本中が熱狂し、大きく盛り上がった大会となりました。


伝説のボレーシュート。

■復興支援試合で見せた“魂のカズダンス”

震災を受けて日本サッカー協会は復興支援チャリティーマッチを開催。自粛ムードの中でカズが見せた“魂のカズダンス”は日本全体を盛り上げた。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。スポーツ界ではプロ野球全試合が中止になるなど、様々なイベントが延期や中止となり、日本中は自粛ムードに包まれていました。そんな中発表されたのが、日本代表とJリーグ選抜による復興支援チャリティーマッチの開催でした。

震災からわずか18日後のチャリティーマッチ開催に、「まだ早い」「中止にすべき」という意見も少なくありませんでした。しかしサッカーを通じて何かを伝えたいと選手、協会が一丸となり開催が決定されました。日本代表には本田圭佑、長友佑都ら海外組12名も参加。そしてJリーグ選抜のそうそうたる顔ぶれの中には唯一J2からの招待となったキングカズこと、三浦知良も名を連ねました。

試合では日本代表が2ゴールでリードして迎えた後半37分、サポーターが待ち望んだ瞬間がついに訪れます。キングカズがゴールを決めたのです。Jリーグをずっと引っ張ってきたこの男のゴール、そしてトレードマークであるカズダンスに日本中が心を震わせました。この試合は、東北の被災地にテレビを通して伝えられ、約1億6000万円の義援金が集まりました。

日本が一体となって東北を支援する、という大きな流れを作るきっかけの1つになれたこのイベントは非常に重要なものとなりました。

■なでしこジャパンが偉業達成!


2011年の女子W杯で、なでしこジャパンがアジア勢初となる優勝という偉業を達成した。

男子サッカーがアジアカップ連覇に沸いていた2011年、女子サッカー日本代表、通称「なでしこジャパン」も快挙を達成していました。6月にドイツで開催されたFIFA女子W杯での優勝です。これはFIFA主催の世界大会で優勝したのは、男女・年代別を通じて初の偉業で、アジア勢全体としても初優勝となりました。

決勝戦のアメリカ戦は日本時間の午前3時35分からの放送だったにも関わらず最高瞬間視聴率27.7%を記録する等、これまでにない程の盛り上がりを見せ、なでしこジャパンフィーバーを生みました。また、この快挙は世界でも大きく取り上げられ、各国メディアは華麗なパスサッカーを展開するなでしこジャパンを「女子サッカーのバルセロナ」と称賛しました。

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