在日米陸軍トップ就任のルオン少将、南ベトナム難民から米軍司令官への“数奇な半生”

wezzy / 2018年10月8日 16時25分

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 沖縄の基地を含め、日本各地に駐留する約2500人の米陸軍のトップ(司令部は神奈川県座間市と相模原市にまたがるキャンプ座間)に、ベトナム出身のビエット・スァン・ルオン少将がこのほど就任した。ベトナムで生まれ、難民として米国に渡り、司令官にまで上り詰めたルオン氏の半生は、まさにアメリカン・ドリームを体現したドラマのよう。ルオン少将のこれまでの歩みを、ベトナムの現代史も織り交ぜながら紹介しよう。

命からがらのサイゴンからの脱出

 世界遺産のハロン湾、ビーチリゾートのダナン、格安のスパなどで女性観光客にも人気のあるベトナム。しかし1975年までは、北緯17度線で南北に分割され、北部のベトナム民主共和国(北ベトナム)と南部のベトナム共和国(南ベトナム)とに分かれていた。

 ルオン少将はその南ベトナム共和国で、1965年7月26日、軍人の家庭に生まれた。父親は同共和国の海兵隊少佐だった。

 東西冷戦を背景に、当時のベトナムは、ソ連(現・ロシア)と中国が支援する北ベトナムと、米国が支援する南ベトナムとの間での戦闘が激しくなっており、ルオン少年が生まれる4カ月前の同年3月に、米海兵隊3500人がベトナム中部のダナンに上陸するなど、米国による軍事介入が本格化し始めていた。

 やがて、戦争は北ベトナム側が優勢となり、一時は50万人以上が駐留していた米軍も、1973年3月末までには完全撤退。それ以降、南ベトナム軍は北ベトナム軍に一方的に押しまくられ、後は南北統一を待つだけの状態となっていた。

 北ベトナムによる首都サイゴン(現・ホーチミン市)陥落前日の1975年4月29日夜、当時9歳だったルオン少年は、両親、そして7人の姉妹と共にサイゴンを脱出する。

 北ベトナム軍が撃ち込む砲弾が降り注ぐタンソンニャット空港をヘリコプターで脱出した一家は、南シナ海に停泊中の米空母ハンコックに着艦した。

 まだ幼かったルオン少年には、何が起きているのか理解するのは困難だった。ヘリが空母の大きな飛行甲板に着艦した際には、「僕たちどこにいるの?」と、開口一番に思わず聞いてしまったという。父親は「空母ハンコックの上さ。これからは世界中の誰も、お前たちに危害を加えることはできないよ」と答え、少年と家族を安心させた。


 その後、ルオン少年と家族は、米アーカンソー州のチャフィー基地で行われた米国で暮らすためのレクリエーションを経て、南カルフォルニアで米市民としての生活をスタートさせたのである。

憧れの父親、しかしかなわぬ南ベトナム共和国軍人になる夢

 ルオン少年にとって、南ベトナム軍のエリート部隊、海兵隊で将校を務めた父親は憧れのヒーローだった。


 南ベトナムで暮らしていた頃、父親は戦場から戻ると、戦場の悲惨な様子そのものには触れなかったものの、ルオン少年が求めれば、戦場での体験をこと細かに話してくれたという。

 ルオン少年にとって父親は目指すべき目標であり、やがては父親のように南ベトナム共和国軍の軍人になりたいと夢見ていた時期さえあったという。しかしその夢も、南北ベトナムが統一され、1976年7月2日にベトナム社会主義共和国が誕生すると、もはやかなわぬものとなる。やがて少年は、「自分を育ててくれた米国への恩返しをしたい」と、米国陸軍への入隊を決意する。

 南カリフォルニア大学では予備役将校訓練課程(ROTC)に参加、1987年の卒業と同時に米陸軍少尉に任命され、その後、昇進に昇進を重ね、2014年8月には、ベトナム生まれのアメリカ人として初めての将官、准将となる。


 米国に暮らす約150万人のベトナム系アメリカ人にとってルオン氏は“希望の星”となり、同年8月4日、米テキサス州のフッド基地で行われた就任セレモニーには、同胞の栄達を一目見届けようと、全米各地のベトナム人コミュニティーから多数が参加した。

 セレモニー後、地元テレビのインタビューに応じたルオン氏は「移民の私が将官になった。私自身が、米憲法が謳う民主主義、自由、正義のシンボルとなっている」と自らの任命の意義について述べている。

 ただ残念なことに、ルオン氏にとって憧れの存在だった父は、1997年に他界。ルオン少将の将官昇進と、今回の在日米陸軍司令官就任の栄誉を目にすることはなかったのである。

軍人としての順風満帆なキャリア

 米国に入隊してからのルオン氏の戦歴はまさに華々しく、イラク戦争やアフガニスタンの対テロ戦などにも参加した。

 今回の在日陸軍司令官になる前は、韓国に駐留する米陸軍第8軍の副司令官(作戦担当)を務めた。当時、朝鮮半島情勢が緊迫する中、即応体制の整備に当たったという。こうした経歴から、朝鮮半島で有事が発生した際、米本土から日本に派遣される部隊の受け入れ等に手腕を発揮することが今から期待されている。

 在日米陸軍司令官の交代式がキャンプ座間において8月28日に行われ、米陸軍の伝統にのっとり、離任するジェームス・パスカレット少将からルオン少将に、指揮官旗が手渡された。欧米系の大男が居並ぶ中、ルオン将軍は身長では劣っても、その姿は堂々たるものだった。


 式典でルオン氏は、「長きにわたる日米同盟は米国にとって最も重要な同盟なひとつであり、自分もこれからの日米同盟に貢献したい」と決意を述べている。

在日ベトナム人社会では知られない存在

 難民の子から将官、そして、在日米陸軍司令官にまで上り詰めたルオン少将。米国の在ベトナム人社会では自分たちの“出世頭”として英雄視されていることは先に述べたが、現在日本で働く約24万人(2017年10月現在、厚労省調べ)のベトナム人の間では、その存在はほとんど知られていない。

 米陸軍のホームページによると、ルオン将軍はベトナム語も流暢に話し、「アメリカ人であることを誇りに思うのと同等に、ベトナム人であることを誇りに思う」と述べるなど、今もベトナム人であることのアイデンティティを大事にしていることが見て取れる。

 在日米陸軍司令官としての日本滞在中には、防衛大学(神奈川県横須賀市)で学ぶベトナムからの留学生との交流もぜひ深めてほしいと願う。そして、「そんな立派な人がいるとは知りませんでした。私たちにも会ってもらいたい」(都内、ベトナム人留学生)との声にも応えてもらいたいものである。


 国が北と南に分かれ戦ったベトナム戦争は、1975年4月30日のサイゴン陥落で終結した。当事者たちにとって、それから43年がたった今でも傷はまだ癒えていないかもしれない。それは、第三者の立場にあった日本人にはなかなか理解できない感情だろう。

 これから日本で数年は活動することとなる在日米陸軍司令官・ルオン少将の存在が、在日ベトナム人社会でも広く知られるようになり、やがて彼らとの交流の機会なども生まれれば、多少なりとも真の意味での“南北和解”につながるのではないか。

 ベトナムの南北間の民族感情を十分には理解していないであろう、外野席にいる筆者は、そんな勝手な希望を持ってしまうのである。



【文/本田路晴(ロボティア編集部)】

 

【筆者】
本田路晴(ほんだ・みちはる)

新聞社特派員として1997年8月から2002年7月までカンボジアのプノンペン、インドネシアのジャカルタに駐在。その後もシンガポール、ベトナム等で暮らす。東南アジア滞在歴足掛け10年。さまざまな視点から同地域をウォッチし続ける。

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