『バイキング』坂上忍ワンマンショーの人気が怖い 異なる意見を排除する硬直化した番組姿勢に疑問

wezzy / 2018年11月14日 7時15分

写真

 『笑っていいとも』(フジテレビ系)の後番組として、2014年4月から始まった坂上忍(51)司会による情報バラエティ番組『バイキング』(フジテレビ系)の視聴率が上昇している。

 芸能情報や時事問題をネタに、スタジオで激論を繰り広げる“生ホンネトークバラエティー”を売りにしており、今年6月には番組始まって以来初の週間平均視聴率で民放トップを獲得した。

 視聴率としては好調な『バイキング』だが、MCである坂上忍の“歯に衣着せぬ発言”つまり文字通りの“生ホンネトーク”が視聴者にウケていると見る向きが強い。しかし一方で、坂上忍の態度によっては、場が凍りつくこともある。

 いわば坂上忍のワンマンショーと化しており、彼(あるいは台本)と異なる意見は冷遇、排除されるのが定番だ。この番組が人気を博しているという事実は、恐ろしくもある。

坂上忍はゲスト評論家の主張を頻繁にさえぎる

 たとえばその傾向は、今月8日の放送で顕著だった。この日の『バイキング』では、八王子で女子中学生がいじめ被害の末に自死した事件を扱い、スタジオには明治大学文学部准教授でいじめ問題の研究をしている内藤朝雄氏がゲスト出演した。

 内藤氏は、日本の“学校教育の構造”がいじめやいじめ隠蔽につながっているとして、この構造から問題を考えなくてはいけないと主張。八王子の事件についても、隠蔽した学校やいじめをした生徒を責めるだけでは問題は解決しないとして、学校教育の構造を直視すべきだとした。

 しかし坂上は猛反論。声を荒げながら「じゃあ(八王子のいじめ被害生徒は)亡くなったってしょうがないといいたいの?」「あなたはいじめ問題を研究している方なんですよね?」「今回の学校の対応についてどう思いますか?」など、今回の事件に関する具体的な意見を要求した。いや、具体的な意見というよりも、いじめた生徒や、隠蔽しようとした学校を責める言葉を求めている様子だった。

 また坂上は、内藤氏が喋っている途中でも頻繁にさえぎるなど、失礼な態度もみられた。他の出演者も坂上に同調し、内藤氏の発言に対して「わかりづらい」等と言うばかりで、論点が噛み合わないまま議論は終了した。

 番組としては学校教育の構造ではなく、今回のいじめ問題についての学校側の対応の問題点などについての回答が欲しかったのだろう。そうであれば、スタッフと内藤氏との事前打ち合わせが充分でなかったのだろうか。せっかく番組に出演したにもかかわらず、MCに発言をさえぎられ、「わかりづらい」と排除されたのでは、何のために内藤氏を招いたのかわからない。番組趣旨に迎合して学校側の対応を責める役回りが欲しかったのなら、他に適役はいくらでもいそうなものだが。



 坂上忍は御意見番のように扱われているが、複数の出演者を招いている以上、番組として固まったひとつの意見だけを押し通すのではなく、それぞれの主張を聞き議論することがMCとしてあるべき態度だろう。

 番組側が求めていたのは、八王子の事件を厳しく糾弾することだったが、内藤氏は今後このようないじめを再発させないためにどうすればいいかを話した。生放送ゆえ台本通りにトークが進まないことへの焦りが、坂上忍を無礼な態度にさせていることは明白だった。つまり、坂上忍に生放送の柔軟なハンドリングは難しいのではないか。

坂上忍に異論ぶつける出演者は排除される?

 『バイキング』にはかつて、雨上がり決死隊の宮迫博之(48)や小籔千豊(45)もレギュラー出演していたが、いずれも降板している。

 今年4月の番組改編で、雨上がり決死隊は『バイキング』の金曜MCを降板したが、8月に出演したラジオ番組で宮迫は「しんどいから辞めた」「プライベートでも<憶測でそういう人のこと言うてあげんな>って言ってしまうタイプが、そんなものの司会やったらアカン」と、自分に『バイキング』は不向きだったと語っていた。一部では、憶測でものを言えない宮迫が踏み込んだコメントをしないため、坂上と衝突したという報道もあったが、番組の描くストーリーと宮迫の相性が悪かったことは確かだろう。

 今年の9月には小籔千豊も『バイキング』を降板。小藪は『AbemaPrime』(AbemaTV)で、番組名こそ明かしていないが「反対意見を少しでも言うとMCにすごいイヤな顔をされたり、強制的にCMに行かされたりすることで心、折れてきますよ」と発言したことがあった。小藪は以前から『バイキング』において坂上と反対の意見を主張し、言い合いになることもしばしばだった。

 2人の降板により、『バイキング』では坂上の意見に他のレギュラー出演者が同調する構図がいっそう明確化した。しかし同番組で扱うような時事問題には、性別や年齢、それぞれの置かれた立場などによって、様々な意見が存在するのが常であり、一方向の意見だけを垂れ流すのは危険ではないだろうか。情報番組として、多方面からの意見を元にした議論が必要なはずだ。

坂上忍の怒りは“演出”に過ぎないのか

 今月9日放送の『バイキング』では、「週刊文春」(文藝春秋)がスクープした『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)でのラオス祭り捏造問題を取り扱ったが、坂上は「広い意味では『バイキング』もヤラセだと僕は思っていますよ」と発言した。番組の意向や面白さを加えるために“演出”している部分もあるということだろう。また、以前出演した番組のなかで彼は、「あえて怒っている演出をしている」ことも明かしている。

 冒頭で記したように『バイキング』の視聴率が好調だということは、坂上の“怒り”から生まれる討論を面白いと感じる視聴者が多いことも事実なのだろう。しかし、センセーショナルなだけでなくデリケートな時事問題を扱う情報番組において、坂上の“怒る演出”は本当に必要なのだろうか。八王子事件でいえば、「いじめた生徒や学校側の対応を責める」ことに終始するのが、『バイキング』の望む姿勢なのかということだ。

 坂上の“怒る”パフォーマンスが演出なのだとすれば、そのパフォーマンスが受け入れられて視聴者が溜飲を下げるという社会の構図自体がただただ虚しい。

(栞こ)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング