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過去も現在も抱きしめて、誰かと生きていく【岨手由貴子】

ウートピ / 2021年7月28日 20時0分

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燃え殻さんの新作小説『これはただの夏』(新潮社)が7月29日(木)に発売されます。映画監督の岨手由貴子(そで・ゆきこ)さんに書評を寄稿いただきました。

終わりが来ることが分かっているからこそ…

雨の多い夏だな、と思った。

煌(きら)めくような物語が展開しそうになると、「いやいや、そんなはずはない」と雨が降る。

何にでもなれそうな快晴よりも、何もできずに一日を終えるしかない夕立にホッとしてしまう。そんな雨だ。

この小説は、著者である燃え殻さんが「ボクたちは誰かと一緒に暮らしていけるのだろうか」というテーマを念頭に書かれたそうで、“ひと夏の家族(のようなもの)”が描かれている。

ひと夏の恋、ひと夏の友情……。“ひと夏の○○”と銘打たれたものは、たいてい秋の訪れとともに終わってしまう。そう思うと物語の結末が見えてしまいそうだが、重要なのは結末ではない。終わりが来ることが分かっているからこそ言える言葉、近づける距離、というものがある。長くつづく関係を築くのは難しいけれど、ほんの数日ならば……と手を伸ばす。ここには、そんな夏の日々が綴(つづ)られている。

「ボク」が過ごしたおかしな夏の時間

物語は、「ボク」が二人の女性に出会うところから始まる。優香という妙齢の美女と、明菜という十歳の少女だ。

優香と出会う結婚式の描写は、私にも覚えがある。遠い知り合いのウエディングパーティーに人数合わせで呼ばれ、竜宮城のようなラウンジで知らない人と洒落た安酒を飲む。確かに、東京にはそんな夜があるのだ。

パーティーを抜け出した「ボク」と優香は、路上やファミレスで夜通し話をする。

「ずっと歩きながら話してたんだよ、ウチら高校生みたいに。私は忘れられないかもな」

この言葉から、優香が“思い出のなかの住人”であることが分かる。つまり、現在進行形のできごとではなく、それに似た記憶を取り出し、過去の感傷に浸るのだ。その姿勢は、少し「ボク」と似ている。

一方、明菜は「ボク」と同じマンションに住んでいるいわゆる鍵っ子で、水商売をする母親と二人で暮らしている。酔い潰れた母親を介抱したり、手際よく食事を作ったりと、日常的に大人の役割を押し付けられている子供だ。

「ボク」は行きがかり上、明菜を預かることになるのだが、母子家庭でほかに頼るところがないとしても、よく知らない男の家に子供を置いていくこの母親には相当な問題がある。明菜のほうも大人慣れをしていて、ほぼ初対面の「ボク」とモスバーガーに行くことに抵抗がない。周りからしっかりした子だと思われているが、こういった危機意識がスッポリ抜け落ちた、アンバランスな危うさを持っている。

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