出世のために子を殺し、ライバルの手足を切断 中国三大悪女・武則天のすさまじい生涯

ウートピ / 2016年7月28日 21時2分

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中国三大悪女・武則天のすさまじい生涯

黒澤はゆまの歴史上の女性に学ぶシリーズ、今回は武則天です。中国三大悪女のうち、もっとも凶暴で強大な権力を手にした彼女。欲望に忠実で、手段を選ばない彼女の“猟奇的な”生涯とは? 中国の三大悪女

呂后、武則天、西太后。

中国五千年の歴史の中でも、三大悪女の名をほしいままにする三人。

恐ろしくも魅力的な女性ばかりですが、あえてランク付けするとしたら、武則天がトップにくることは、間違いないでしょう。

理由は呼び名をよく見てもらえばわかります。彼女だけ「后」という文字が入っていません。彼女だけはみずから皇帝の座に就いた人なのですね。かつては則天武后と表記されたものですが、最近の中国では、彼女は確かに皇帝の座に就いたという史観から、武則天と書かれるようになったのです。

彼女の人生は、悪だくみや嘘、甘い罠に満ち、実にスリリング。今回は、中国史上唯一の女帝、武則天の生涯をご紹介したいと思います。

「必ず天に昇る」と言われた幼子

武則天が生を受けたのは624年。ちょうど唐が興り、中国が強力な統一国家として急成長を遂げようとしている時期でした。幼名を媚娘といい、唐では中くらいの家柄の貴族の出です。

父親は建国の功臣で、武則天は彼から当時の女性にしては高度な教育を受けたようです。父親が熱心に娘を教育したのは、生まれた時に占い師が「この子どもは必ず天に昇る」と予言したためでした。

実際、媚娘と呼ばれていた頃の武則天には、そう期待させるだけのものがありました。漆のように黒く光る髪、幾千の星を宿した目、桃の唇に、薔薇の頬と、パーフェクトな美少女だったのです。

その美貌を認められ、実質的な唐の建国者と目される二代目太宗(李世民)の後宮に入ったのが14歳の時。地位としては低い才人としてでした。

もうこの頃から彼女の個性は常人とは違っていたようで、そのことに英雄、太宗は気づいていました。彼女に楽団の指揮や、紙や硯の管理など、いわば秘書としての仕事を任せてみたのです。どちらも責任重大な役割ですが、彼女はてきぱきと難なくこなし、才覚において衆に優れていることを示しました。

男性に媚びない生き方

ただ、男にわざわざ媚びるようなタイプでもなかったようで、一つエピソードが残っています。

ある時、太宗は群臣も列席するなか武則天に、

「気性が荒くて、御すことのできない暴れ馬がいるんだが、どうしたものだろう?」

と質問しました。気の強い武則天に対する当てこすりですが、武則天はニッコリと笑って、

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