生まれも育ちも選べないのに…「自己責任」って思っちゃうのはなぜ?【富永京子×上野千鶴子】

ウートピ / 2019年7月11日 20時59分

富永:『みんなの「わがまま」入門』というものを書こうとした背後に、私が自己責任論みたいな洗礼をモロに受けた世代で、そういう社会の流れの影響はかなりあるのではないかなと思います。

上野:そこは私も感じました。これを読んで、つくづく「世代と時代の産物だな」って思った。この30年間、私たちが経験してきた社会の変化は、ネオリベ化(ネオリベラリズム=新自由主義)なんです。

このネオリベ化を一番分かりやすく言うと「自己決定・自己責任」、良いことも悪いことも自分自身の責任だという。そうやって個別化と分断が進んだ先に出てきた考え方なのかというのが、私の感想でした。

富永:朝日新聞社とベネッセが行った調査(朝日新聞2018年4月5日)によると、「所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向」について「当然だ」「やむをえない」と答える親は、2018年の調査では6割を超えています。

格差を容認し、「やむを得ない」とする「アスピレーションの冷却」(=意欲の冷却化。上野さんが東大祝辞にも入れた言葉)が強く効いていると考えることができると思うのですが、それはすごく象徴的だなと思いました。

つまり、ある程度生まれた地域であるとか、親の階層によって、子の選択肢が狭まることは「仕方ないよね」と考える。そういう人の割合が増えてるんですよね。

上野:それってヘン。自己責任は業績に対してのもの、生まれや育ちは所属だから選べない。その「仕方ないよね」は身分制と同じ、新・階級社会(橋本健二)のあきらめです。

【第1回】起業は褒められて「みんなのため」が冷笑されるのはなぜ?
【第3回】私って“弱者”なの…? 自分の弱さを認めたがらないエリート女性
【第4回】傷つくことに鈍感な優等生たち

(構成:新田理恵)

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