「キラキラ」にも「ていねい」にも憧れるけど…狭いからこそ見つかるチャンスもある

ウートピ / 2019年8月1日 21時1分

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沖縄出身で、26歳のときのパリ留学中のトラブルをきっかけに、広報の世界に入った吉戸三貴さん(42)。美ら海水族館広報、東京のPR会社をへて起業し、PRプランナーとして活動しています。「東京で働き、沖縄で休む」というワークスタイルを見直し、今春から沖縄で、働く女性のためのPRゼミを始めました。2つの場所に、自分なりの小さな居場所をつくろうとしている女性の「現在進行形」のおはなしです。

大学デビューも就活にも失敗した私がパリへ

アールグレイの香りが部屋いっぱいに広がります。さっきお湯を入れたばかりのマグカップが床に転がり、足元に紅茶の水たまりができました。

「うそ、でしょ」(少女マンガだったら、白目になっている感じ)

誰もいないオフィスで、何度も何度もパソコンの画面を確認します。「うそ、私、合格してる。フランスに行けるんだ」。17年前の春、出身地の沖縄県の奨学金でパリに留学できることが決まった瞬間でした。

当時26歳。進学のために上京したものの、大学デビューにも就職活動にも失敗。体調を崩して沖縄に戻り、アルバイトや契約社員として必死に働いていました。先が見えない不安に押しつぶされそうな毎日。何かを変えたくて、藁(わら)にもすがる思いで挑戦した試験でした。後で間違いだったと言われるのが怖くて、急いで携帯で写真を撮ったのを覚えています。

帰国後、沖縄美ら海水族館の広報に

パリ留学は人生の大きな転機になりました。大家さんの脱税(!)など、さまざまなトラブルに対応する中でコミュニケーションの大切さに気付いたことが、その後のキャリアにつながっています。帰国後、沖縄美ら海水族館の広報担当になりPRの世界へ。少しずつですが生活が安定してきて、奨学金の一部を返済しながらやっていけるようになりました。

その時、ふと思ったのは、「これって、沖縄だからできたのかも」ということ。奨学金試験は県の人材育成を目的とするもので、沖縄出身者またはそれに準ずる人が対象でした。美ら海水族館の募集は広く開かれたものでしたが、ほとんど職歴のない私が採用されたのは、沖縄生まれで、県外(東京、パリ)経験もあるという点がプラスに働いたのかもしれません。都会が海なら、地元は池みたいなサイズ感。でも、だからこそ出会えるチャンスがある。そんなふうに感じました。

沖縄にたくさんたくさん助けられたはずなのに、数年後、私は東京のPR会社に転職します。地元で暮らしたい気持ちと、広報の経験を積みたい気持ちをてんびんにかけて、後者の重さが勝ってしまったから。いろいろな人に、「30代は東京で頑張って、40代になったら沖縄に貢献できる働き方をしたい」と話していました。その言葉にうそはありませんでしたが、地元を離れる後ろめたさをごまかすため、少し格好をつけていたところもあったと思います(ゴメンナサイ)。

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