<Wコラム>イ・ミンホとチャン・グンソクが生まれた年に韓国で何が起こったのか(前編)

Wow!Korea / 2016年7月2日 12時56分

民主化を求めるデモが韓国全土に波及した(写真提供:ロコレ)

イ・ミンホとチャン・グンソクは、ともに1987年生まれである。この年は、韓国現代史にとって、特に重要な年である。金字塔とも言うべき、民主化が達成されたからだ。この重要な節目の年をしっかりと振り返ってみよう。

■ソウル大学生が警察の拷問で死亡

1980年8月に大統領になった全斗煥(チョン・ドゥハン)は、末永く大統領職にとどまる考えはなく、時期がくれば平和的に政権を委譲すると決意を述べていた。彼は「韓国で初めて正統に権力を手放した最初の大統領」になることを願っていた。

そこには、朴正熙(パク・チョンヒ)の二の舞はぜひとも避けたいという気持ちが働いていた。朴正熙は政権を長く掌握しすぎた結果、信頼していた部下に暗殺されてしまったのだ(1979年10月)。全斗煥は、無残な最期を迎えた朴正熙を反面教師にしようとしていた。

しかし、1987年になって7年間の大統領任期が終盤にさしかかったとき、全斗煥は大統領制から議員内閣制への移行をはかるようになった。

この動きに対して野党は疑いの目を向けた。

議員内閣制に変えて全斗煥は引き続き首相の座を維持して権力の保持につとめるのではないか、という猜疑心をもったのである。

学生たちの反全斗煥の動きが日増しに拡大した。その中で、ソウル大学の学生が警察の拷問によって死亡するという事件が起こり、韓国全土が騒然とした雰囲気に包まれていった。

■反政府運動が激化

1987年4月、全斗煥は突然の声明を発表して、翌年9月のソウル五輪までの憲法改正論議を禁止した。

そのうえで、年末に行われる予定の大統領選挙を国民が自ら選ぶ直接制ではなく、5000人の選挙人による間接制で実施することを発表した。これでは、全斗煥の意をくんだ候補者が次期大統領に選出される状況となってしまう。

国民の大反対にもかかわらず、大統領間接選挙を強行しようとした与党の民正党(民主正義党)は、6月2日に青瓦台(大統領官邸)で要職者会議を開き、党代表委員の盧泰愚(ノ・テウ)を次期大統領候補に推挙した。

盧泰愚は、全斗煥と陸軍士官学校11期の同期生である。彼は全斗煥政権を支えるナンバー2であり、6月10日に党大会で正式に次期大統領候補に選出されると、第一野党の民主党(統一民主党)が激しく反発。党総裁の金泳三(キム・ヨンサム)は、現行憲法で大統領間接選挙を行なうならばボイコットすることを表明した。

一方、在野勢力の反政府運動は激化するばかりだった。警察は約5万8000人の戦闘警察(機動隊)を動員して、野党の中心的人物(約700人)を自宅軟禁にする強硬策に出た。拘束された人物の中には、民主化推進協議会共同議長の金大中(キム・デジュン)も含まれていた。

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