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<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓が忘れてはいけない人1」~浅川伯教・巧(前編)

Wow!Korea / 2016年8月3日 20時17分

肖像写真の右が兄の伯教、左が巧(写真提供:ロコレ)

日本の統治下にあった朝鮮半島で、陶磁器の研究や林業の発展に貢献したのが、山梨県出身の浅川兄弟だった。兄が伯教(のりたか)で、弟が巧(たくみ)。この兄弟の足跡を追ってみよう。

■浅川家の墓

東京から中央本線に乗って甲府を過ぎ、やがて長坂駅に着いた。この駅で降りたのは、浅川伯教と巧という兄弟の資料館を訪ねるためである。

タクシーに乗って行き先を告げると、「資料館に行く前に、通り道だから浅川家の墓を見て行ったらどうか」と運転手さんから勧められた。喜んで誘いに応じた。

「韮崎から長坂までは鉄道もかなりの上り坂で、昔はスイッチバックで上っていったものですよ」

年配の運転手さんはそう言っていた。浅川兄弟の故郷である高根町は標高が700メートル以上だという。高原と言ってもいいほどだ。

車で10分ほど走ると祥雲寺という寺があり、その裏に空き地が広がっていて、そこに「浅川兄弟の生誕の地」と書かれた柱が立っていた。そして、その横に浅川家の墓所があった。

一応は見てまわったが、資料館で浅川兄弟の足跡を調べる前に寄ったので、どうも実感が沸かない。しばらく空き地に立って八ヶ岳の方向を眺めてから資料館に向かった。

■兄弟の業績がわかる資料館

タクシーが横付けしたのは、高根生涯学習センターの前だった。ロッジ風になっている建物で、その中に図書館と浅川伯教・巧兄弟資料館があるという。

中に入ると、右側は開放的な間取りの図書館になっていて、左側に浅川伯教・巧兄弟資料館があった。その立派な造りを見ただけで、地元がいかに浅川兄弟を誇りにしているかがわかる。

資料館に入ると、最初に浅川兄弟の肖像写真が出迎えてくれる。兄の伯教は細面で繊細さを表情に内包していて、弟の巧は骨太で表情に逞しさが満ちている。肖像写真を見るかぎりにおいては、まさに対照的な兄弟と思えるが、この2人が植民地時代の朝鮮半島で果たした役割はともに大きかった。

ゆっくりと資料館の中を見て回る。兄弟の業績がわかるだけでなく、往時の朝鮮半島の暮らしが一目でわかるように、人形などを使って立体的な展示手法が採用されている。

また、兄弟の生涯を描いた映像や、白磁などの陶磁器も用意されていて、内容も盛り沢山だった。

そうした展示を1つずつ見ながら、2人の足跡を振り返ってみた。

■陶磁器に魅せられた兄

兄の伯教は、1884年(明治17年)に現在の高根町で生まれた。山梨県師範学校を卒業したあと、山梨で小学校の教壇に立っていたが、その頃から民芸品や古陶器に興味を持ち、その過程で朝鮮の陶磁器に関心を寄せた。

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