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<Wコラム>朝鮮王朝おもしろ人物列伝(文定王后編)~強い野心を秘めた王妃・文定王后

Wow!Korea / 2016年8月9日 21時39分

ドラマ「獄中花」で文定王后を演じた女優キム・ミスク(写真提供:news1)

文定(ムンジョン)王后は「朝鮮王朝3大悪女」ではないが、自分の子を王にするためにやったことを見れば、彼女も典型的な悪女の1人である。文定王后は存命中にいったい何をしたのだろうか……。

■自分の子を王にするために

文定王后は、11代王・中宗(チュンジョン)の二番目の正室である章敬(チャンギョン)王后が息子のホを産んでから6日後に亡くなったことで、三番目の正室として迎えられた。前妻の息子は文定王后に育てられるが、野心を秘めた彼女に疎ましく思われていた。

そんな状況の中である事件が起きる。

1534年、息子の慶源大君(キョンウォンデグン)を産んだ文定王后は、自分の子を王にしたいと思うようになる。朝鮮王朝では、後継ぎは長男がなるという原則であるため、慶源大君が王になるのは不可能に近かった。さらに、幼いころから聡明だった異母兄のホは多くの人望があり、陥れるのも難しかった。

しかし、文定王后は諦めきれず、ホの命を狙うようになった。それについては、こんな逸話が残っている。

ホが宮殿で休んでいたときのことである。異常な熱気を感じて起き上がった彼は、宮殿が燃えていることに気づいた。ホは一緒に休んでいた妻を先に逃がすとその場に座り込む。ホは、この火事を起こしたのが文定王后であることに気づいていて、親孝行のつもりで死を覚悟したのである。そのとき、外から彼を呼ぶ中宗の声が聞こえた。自分を心配してくれる父親の声を聞いたホは、炎に包まれた部屋から逃げ出した。

■文定王后の策略

1544年、中宗は病状の悪化によって亡くなり、章敬王后の息子であるホが12代王・仁宗(インジョン)として即位する。しかし、父親である中宗の死を悲しんでいた彼は、即位してからずっと体調を崩したままだった。そんな王を周りの者たちは心配していたが、文定王后の態度は冷たかった。

1545年、文定王后は「祭祀の後であいさつに来なさい」と言って、仁宗を呼びだす。体調が悪いにもかかわらず、文定王后のもとへ行こうとする王を、臣下たちは無理しないようにと止めるが、仁宗は「息子として行かねばならない」と言って、臣下たちの言うことを聞かなかった。

彼が訪ねていくと、それまで冷たい態度を取っていた文定王后の機嫌がよく、仁宗に餅を勧めてきた。何か裏があると思ったのだが、仁宗は餅を食べてしまった。

即位直後から体調を崩していた仁宗。餅を食べてからは、下痢や高熱を出すようになり、さらに症状が悪化して気を失ってしまう。彼の治療に当たった医官たちの看護のおかげで意識が戻った仁宗だが、絶対安静にしていなければならなかった。

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