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<Wコラム>夏こそ行きたい! 韓国南部の旅~珍島の雲林山房

Wow!Korea / 2016年8月16日 22時21分

珍島の名所「雲林山房」(写真提供:ロコレ)

韓国南西部に浮かぶ珍島(チンド)。1984年に完成した珍島大橋で陸地とつながった。ここは、「神秘の海割れ」が起こる島として日本でも知られるようになった。この島の名所となっているのが雲林山房(ウンリムサンバン)である。

■朝鮮王朝末期の優れた教養人

雲林山房は、4代続いた山水画の名家の記念館である。

管理事務所の窓口で入場券を買う。念のため、バスの乗り場を窓口の女性に教えてもらおうとしたら、奥から「駐車場の向こうに行けば停留所がありますよ」という日本語が聞こえてきた。私は韓国語で話しかけていたのに、日本から来た者だとすぐにわかったらしい。声の主は70代のハラボジ(おじいさん)だった。

声が太く、ドスがきいていて、まるで片岡千恵蔵に話しかけられているような気分になった。

「バスは午後4時半に出ます。まだ1時間以上あるから、ゆっくり見学してください」

そう教えてくれたハラボジは、胸にボランティア活動を示すワッペンを付けていた。少しでも地域の役に立ちたい、というのが信条なのだろう。頭が下がる思いで、ハラボジに礼を言った。

雲林山房に入ると、広い庭園があり、その奥に展示館があった。ここを築いたのは、珍島出身で朝鮮王朝末期の優れた教養人だった許錬(ホリョン)(1808~1893年)である。詩、書、画において天賦の才能を発揮し、40歳のときには朝鮮王朝24代王の憲宗(ホンジョン)に謁見し、王が使う墨と筆で画を描くという栄誉を受けた。都での名声は高かったが、師の金正喜(キム・ジョンヒ)が流刑先の済州島(チェジュド)で亡くなると、その死を悼んで1857年に故郷に戻り、画室を建てて余生を送った。それが、今の雲林山房になった。

■一人旅の寂しさ

画業は代々受け継がれ、2代目、3代目、4代目と名人を輩出した。4代にわたって山水画の名人を生み出しているというのは特筆もので、山紫水明の世界を描いた作品群を展示館でたっぷりと堪能することができる。

広い敷地には、許錬にゆかりのものが点在している。それは、許錬が植えた百日紅、蓮池として著名な雲林池、許錬が絵を描いた画室、許錬が住んだ生家などである。私は特に雲林池が気に入った。周囲の樹木とよく調和していて、中央に浮島があり、水面には蓮の葉が美しい模様で浮かんでいる。

蓮の葉を見ていると、心がとても穏やかになっていく。

そのうち、中年男性だけの団体客がやってきて、大声で冗談を言い合っていた。総勢で20人ほど。顔が真っ赤な人が多く、バスの中で賑やかに酒盛りを楽しんでいたことをうかがわせた。

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