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<Wコラム>韓国有名校同窓生の自画像2・七十代の自画像、あなたは本当に「韓国」を知っている?

Wow!Korea / 2017年1月12日 17時41分

<Wコラム>韓国有名校同窓生の自画像2・七十代の自画像、あなたは本当に「韓国」を知っている? (参考画像/画像提供:news1)

パリの凱旋門の下には、第一次世界大戦終戦とともにアルザス・ロレーヌ地方がフランスの領土になったことを記念する銅板がはめ込まれています。元はフランス領でありましたが、普仏戦争で敗北したことにより学校ではフランス語の授業が禁止されます。『最後の授業』、アルフォンス・ドーデはこれを文学作品として作ります。

国籍が一度変わっただけで、彼らはこれほど涙にむせびます。だとしたら我々は国籍が何回変わったのか?いくつの国旗がはためいたのか?

奇遇な運命であったが偉大な人生を歩んだ我ら

一九四〇年、皇国臣民として生まれた我らは我が国の童謡よりも先に日本の軍歌を学び育ちました。

最初の旗(訳者注:日の丸):真珠湾攻撃ではじまった太平洋戦争。原子爆弾による一九四五年日本の敗戦。感激の万歳を叫んだのも束の間日本軍の武装解除の名目で北はソ連軍が、南はアメリカ軍が進駐して来ます。アメリカの軍政庁学務局で作られた教科書で学校生活をはじめます。

二番目の旗(訳者注:太極旗):一九四八年八月十五日大韓民国政府樹立とともに本来の祖国の旗!

三番目の旗(訳者注:人民共和国の旗):しかし、その時北にいた人々と六・二五で避難できなかった人々はそれぞれ別の旗を見ます。

四番目の旗(訳者注:星条旗):北の南進によってはじまった朝鮮戦争。やっと樹立した国は戦場と化し我々は避難学校に集いました。仁川上陸作戦(訳者注:アメリカ軍による作戦)と諸外国の助けにより国は守られましたが、戦争で全国土が廃墟となり北緯三十八度線は休戦ラインに変わり分断は継続します。

戦争後、外国からの援助がなければ、食べることさえままならなかった時代、混乱と不正腐敗で国は病にむしばまれていきました。一九六〇年四月十九日、我々は立ち上がり、崔正圭をなくしました。国民が政府を倒し第一共和国は終止符を打ちました。続いて、出現した第二共和国、軍事革命(クーデターとも)にはじまり政治は激動の時代を送ります。

このとき我々ははじめて社会に第一歩を踏み出します。これといった働き口があったわけでもなく会社とはいえないところで一日を二十五時間のように一週間を八日のように働き続けました。月、火、水、木、金、金、金。

家族と休暇を過ごしたことがあったでしょうか。

また一部の人は、祖国を後にして遠い外国に糧を求めて出稼ぎに行きました。言葉も通じない異国の地で、差別と家族への思いでどんなに涙を流したことか。

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