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河北医療財団・河北博文理事長「自分らしく、生き・死ぬために患者の人生に寄り添う『家庭医』の存在が重要」

財界オンライン / 2021年7月27日 18時0分

河北博文・河北医療財団理事長

「その人らしく生き、死ぬ時まで寄り添う存在が必要」──河北医療財団理事長の河北氏はこう話す。河北氏は、内科診断学全般を身に着け患者の人生に寄り添う訓練を受けた「家庭医」の重要性を説く。しかし、日本では年間50人ほどしか誕生していない。そこには欧米との違いもあるが、コロナ禍で死生観が見つめ直される今、改めて議論すべき問題と河北氏は訴える。

どこで人生を修了するかを常日頃から考える
 ── 前回、コロナ禍の中で高齢の患者にECMO(体外式膜型人工肺)を使用するか否かという議論の中で、河北総合病院では関連施設と連携して患者さんによってはDNR(Do Not Resuscitate =蘇生処置拒否指示)の了解を取るというお話でした。これは新しい医療につながる話ですね。

 河北 高齢の患者の死因の多くは肺炎ですが、カナダの医学者で「近代臨床医学の父」と言われているウイリアム・オスラー(1849―1919)は「肺炎は老人の友」と言っています。

 例えば高齢でコロナに感染して、本人の意思が確認できなくなっても、人工呼吸器を付けて、栄養さえ補給していれば体は温かいわけです。ただ、そういう状態になった時に、本当に生き続けていることが好ましいかどうかということは本人も家族も、本音では考えると思うんです。

 どこで人生を修了するか?ということも、本当は常日頃から考えることが大切です。それを共に考えることができるのが「家庭医」です。

 ─ 家庭医というのは、地域住民の健康のために働く総合診療医のことですね。

 河北 そうです。しかし、日本では家庭医はほぼ養成されていません。日本では毎年、約9300人の新規の医師が誕生しています。私は本来、そのうちの半数ほどが家庭医になって欲しいと考えていますが、現実には多くても年間で50人ほどしかいないんです。

 当院では2006年に家庭医を養成する「河北家庭医療学センター」を開設しましたが、年間で数人です。千葉県の亀田総合病院を始め、家庭医を養成している病院はありますが全国で10カ所ほどしかありません。4000~5000人は必要なところ50人ほどしかいない。これが日本の家庭医の現状です。

 ── なぜ、日本では家庭医のなり手が少ないんですか。

 河北 日本医師会が反対するからです。日本医師会は患者の居住地域における身近な医師を「かかりつけ医」と呼んでおり、これは家庭医とは似て非なるものです。

 失礼な言い方かもしれませんが、皮膚科や眼科といった診療所の先生も全て「かかりつけ医」ですが、その人達が患者の人生に寄り添っているでしょうか?

 一方、家庭医は、内科診断学全般を身に着けた総合医であると同時に、その人に寄り添うことができる訓練を受けている人達です。しかし、そういう医師は日本にほどんどいない。

 今、日本には約10・3万カ所の診療所がありますが、この医師達はそうした教育を受けていないんです。

 ─ 家庭医に求められる知識や素養がなければならないと。

 河北 そうです。私がいつも言っているのは、人間の尊厳は大切だということです。生きることも、死ぬことも尊厳です。さらに言えば、尊厳とは「その人らしい」ことです。

 その人らしく生きて、その最期に、その人らしく死んでいくということがあるわけです。「その人らしい」ということを語り合えるのが家庭医です。

 例えば、私も時々、「自分はなぜ生まれてきたんだろう? 」、「自分の社会的役割とは何だろう? 」、「自分は人生で何をしたいんだろうか? 」ということを考えます。それを自分だけで考えるのではなく、常に寄り添ってくれるのが家庭医なんです。

 ですから家庭医は、その人以上にとは言いませんが、その患者のことを非常によく知っていて、「その人らしい」生き方についても議論ができる存在です。

【関連記事】河北医療財団・河北博文理事長「コロナ禍の今、地域の病院と病院、自治体と病院の連携が共に重要」

「プロフェッショナル」とは
 ─ 人生の様々な場面に常に近くにいる存在だということですね。

 河北 はい。「プロフェッショナル」という言葉がありますが、キリスト教圏の国では「神学」、「法学」、「医学」を習得した人達だけがプロフェッショナルと呼ばれるそうです。

 この3つに最も共通しているのは、「人」の生命の判断を神から委ねられている人達だということです。

 神学を修めた聖職者は人が生まれた時に洗礼をし、亡くなった時には家族を含めて様々に接する人たちです。法学者は裁判で死刑の判決を行うなど、神に代わって、その人の命を絶つという権限を持っている。そして医師は日常的に人の生死に関わっています。

 人が亡くなる時には、患者と医師だけでなく、牧師や僧侶が関わりますし、法律家として弁護士さんが入って遺言、あるいは日本尊厳死協会の文書などを扱いますが、そういうことを常日頃から考えておく必要があります。先程のDNRも、本来はそうあるべきで、その準備に関わるのが家庭医なんです。しかし、日本には非常に少ない。

 ─ 欧米には多いということですね。

 河北 英国は完全に家庭医制度を採っているなど、欧州各国にはいます。米国にも「ホームドクター」、あるいは「ファミリードクター」がおり、その人の人生に寄り添うための教育を受けた人達がたくさんいます。

 ─ これはキリスト教社会と関係していますか。

 河北 そういうわけではないと思います。ただ、私はそういう習慣がないのでわかりませんが、キリスト教における教会は、若い人も含めて日常から行く場所ですが、仏教におけるお寺は誰かが亡くなったら行くような場所で、身近ではありません。今後は僧侶も日常から人の生活に関わる必要があるのだろうと思います。ソーシャルディスタンスを隔てるとき、ヒューマンタッチが必須であることを示して欲しいものです。

 ── 宗教を信仰するという意味ではなく宗教観、あるいは宗教心というのは今後ますます大事になりますね。例えば新渡戸稲造がベルギーの大学教授に日本の価値観について問われた時に考えて、日本人には「武士道」があると答えた。そういう精神性、宗教心がある。

 河北 宗教観はやはり大切です。私は何か特定の宗教を信仰しているというわけではありませんが、やはり「神」の存在はあると思っています。我々の存在を超越したもの、これが神ではないかと。

 1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞したアレクシス・カレルが書いた『人間 この未知なるもの』という本の中にも、人間と宗教に関する話が出てきます。

 100年以上前の話ですが、カレルは当時、自分と同等と思われる科学者に「人間とは何だろう? 」と聞いて回っています。その話を集めたのが『人間 この未知なるもの』なんです。

 ─ 科学者が人間とは何かについて考えたものだということですね。

 河北 この本は私が医学生の時に、私の父親代わりだった影山圭三教授から「君達は医師になるんだったら、この本だけは読んでおきなさい」と言われて読んだ推薦図書でした。

 カレル自身が、この本はパラドキシカル・デスティニー(Paradoxical Destiny)、つまり逆説的運命を持っている本だと第2版に書いています。

 どういうことかというと、この本が古くなればなるほど、時間が経てば経つほど内容が新しくなると。その時代に必要な内容が書かれていると、カレルは書いているのです。

 ─ これはどういう意味なんでしょうか。

 河北 つまり、100年前にはカレルが言ってきたことを理解する人はいなかったと。しかし100年後に、その内容が本当に社会にとって必要になるということなんです。「人間とは何か」ということです。

 私は「医師」と言う時と「医者」と言う時がありますが、全ての「医師」は、やはり人の命の深さを常に考えて、できるだけ社会に対して謙虚にならなくてはいけないと思っています。しかし実際には、横柄な「医者」が多いのが現実です。

「より良き社会へ」ドラッカーとの出会い
 ── 河北さんはシカゴ大学のビジネススクールで学んでいますが、このことはやはりメリットがありましたか。

 河北 シカゴ大学は、実は世界で最も古い「ヘルス・アドミニストレーション」という講座を持っている大学なんです。1934年にできた講座ですが、その2年後にハーバード大学に「スクール・オブ・パブリックヘルス」という講座ができています。この頃に、医療に関わるマネジメント、アドミニストレーションの課題が出てきたということです。

 実は私、日本に帰国してからですが、『マネジメント』を著した経営学者のピーター・ドラッカーと2回対話をしたことがあります。

 ドラッカーは、マネジメントが「金儲けだ」と言われることが全く納得できないと言っていました。「より良き社会をつくる」のが、ドラッカーが目指したマネジメントだと。

 ── その考え方があったからこそ、日本人はドラッカーを受け入れたわけですね。

 河北 そうです。それでも、今の資本主義は投資家のウォーレン・バフェットや、さわかみ投信の澤上篤人さんなどに言わせれば、あまりにもひどい資本主義になってしまった。

 そうしたものに疑問を感じておられたのが、経済学者の宇沢弘文さんだと思います。宇沢さんは「社会的共通資本(Social Overhead Capital)」と表現しましたが、そういう概念が資本主義の中になければなりません。

「日本の資本主義の父」と言われる渋沢栄一が、まさにそういう考え方を持っていました。

 私は06年に、渋沢栄一の功績を称え、その精神を受け継ぐ経営者を表彰する目的で創設された「渋沢栄一賞」をいただきました。これは一つの名誉だと思っています。

民間でできること、国でできること
 ─ 渋沢栄一が説いた「私益と公益の両立」、近江商人の「三方よし」など日本は古来より持っている精神性ですね。

 河北 はい。しかし今は、米国を中心に一部の人間がごそっとお金を持っていってしまっていますし、一部の富裕層は所得税も支払わずに巨万の富を築いている。こんなおかしな話はありません。

 ── 今、格差の拡大が大きな課題となっていますが、背景にあるのは、この問題ですね。

 河北 そうですね。ただし、例えば米国で個人の寄付が年間にいくらあるかといえば約30兆円です。一方、日本は約6000億円です。

 ── 社会の成り立ちが違うということですね。米国の大学の経営も寄付で成り立っている面があります。

 河北 同時に、それをもっと大きく社会病理的に、税金で納めることと、個人の意志で様々な事業が行われることとを考えてみると、社会の様々な事業はほぼ全て民間でできます。それが民営化です。民間でできないものといえば、例えば軍隊の組織化や、警察の仕事の中核的部分です。

 日本が民営化してきた事業は、例えば国鉄や電電公社、最近では郵便事業などがありますが、中途半端で終わっているものもあります。

 ですから、民間でできる事業、あるいは税金の役割とは何なのかを、本当はもう少し政治が考えるべきだと思います。

 日本の国の予算が約103兆円ですが、その行き先はほとんど決まっています。社会保障費のうち国の負担は約30兆円、地方交付税が約15兆円、それ以外に借入金の返済、国債費が約28兆円ですから、100兆円規模の予算を取っても、政策的に使うことができるお金は約30兆円しかないのです。

 この金額に相当する金額が、米国では個人の寄付で成り立っているということを、もっと日本人は考えるべきだと思います。

 ─ コロナ禍では、日本のデジタル化の遅れが顕在化しましたが、この問題をどう考えていますか。

 河北 今回、日本のデジタル化は最低だということが明らかになりました。一方、圧倒的に進んでいたのはイスラエルです。常に臨戦状態にあるということですね。(続く)

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