中国の「一帯一路」構想は帝国主義の再来か

ZUU online / 2019年8月5日 20時30分

■日本人が知らない「国際ニュースの核心」

激動の国際情勢を、一段深く理解したい。そのためには、世界史の知識が欠かせない。この連載では、世界史を大きなストーリーとして捉える見方でおなじみのカリスマ塾講師・茂木誠氏が、現在の国際情勢の歴史的背景を、キーワードで解説する。

■「ソ連(ロシア)の孤立」で成り立ってきた米中蜜月

米中対立の長期化が懸念されています。しかし両国は昔から仲が悪かったわけではありません。中国を植民地支配しようとした西欧列強や日本とは違い、一度も中国を侵略しなかった唯一の大国がアメリカなのです。

ただ一度だけ、中国がアメリカと敵対関係になったことがあります。1949年に中国が共産化し、朝鮮戦争で北朝鮮側についたときです。朝鮮戦争が休戦した後も、米ソ冷戦による共産圏(ソ連・中国・北朝鮮)との緊張状態は続き、ベトナム戦争を引き起こします。

ところが72年、ニクソン大統領が北京の毛沢東を訪問したことで、米中関係は劇的に改善されます。当時、ニクソン大統領は、ベトナム戦争の泥沼化に苦しんでいました。共産主義の拡大を招く懸念から、引くに引けない状況だったのです。

一方で、長大な国境線を共有するソ連と中国は、領土問題という火種を抱えていました。

そこでニクソン大統領は、米中が結ぶことでソ連を孤立させようと画策しました。米中和解の最大の狙いは、中国とソ連の間に楔を打ち込み、ソ連をけん制することにあったのです。

■米国の支援で力を蓄えた中国が米国に挑戦する!

78年、毛沢東の後を継いだ鄧小平は、ソ連型計画経済の失敗を認め、米国型市場開放へと舵を切りました。「改革開放」政策です。米国や日本をはじめとする外国資本の積極的な対中投資により、80年代の中国は急激な経済成長を遂げたのです。

鄧小平は、非常に賢い指導者でした。外資導入による経済発展を最優先させるため、西側諸国との平和共存を外交政策の基本方針とし、協調外交を徹底して演じたからです。 

89年の天安門事件で西側諸国から非難と制裁を受けたときも、ソ連や東欧の共産主義体制が崩壊したときも、鄧小平はアメリカを決して挑発せず、友好関係を維持し続けました。

現在、中国が虎視眈々と狙う南シナ海の覇権樹立についても、鄧小平の時代に立案された「列島線」概念をもとにしています。 

しかし、彼はその野望を決して見せることはありませんでした。中国が真の実力を蓄えるまでは、じっと待つのが最善の策と考えたのです。鄧小平が貫いた外交姿勢は、「韜光養晦(とうこうようかい)」と呼ばれています。「能ある鷹は爪を隠す」といった意味です。

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