特集2017年8月20日更新

長く愛される日本の味 ロングセラーのお菓子

以前、『 実は販売終了していた懐かしのお菓子 』特集でもご紹介しましたが、明治の定番お菓子「カール」が全国販売を終了したことが話題になりました。そういえば最近お菓子を食べてないな・・・と思ったあなた!なくなってしまってから悲しんでも時は戻りません。まだ健在のロングセラーお菓子をチェックしてみませんか?

目次

ロングセラーお菓子の危機

『カール』の全国販売終了

2017年5月、ロングセラースナックの代表格である『カール』が9月から全国販売を終了し、関西以西のみの販売商品となることを発表し、ネットでも大きな話題になりました。

「複数のスーパーのチェーン店で調査した昨年1年間のスナック菓子の売上げランキングで、『カール』は1,200商品中20位。これだけ知名度、ブランド力のあるロングセラー商品の全国販売中止が与えた影響は、スナック菓子業界だけにとどまりません」
そうなると、子どものころから慣れ親しんできたロングセラーですら リストラ されてしまうことも!?「カール」に続く商品が今後、出てくる可能性もあるのだろうか?
古いお店や鉄道の路線と同じで、ぜんぜんお客さんではなかったのに、なくなると聞くと急に惜しむのはちょっと身勝手と言えるでしょう。
大切なのは、ふだんからちゃんと買い続けること。「カール」の悲劇を繰り返さないために、子どものころからお世話になっているお菓子にあらためて着目しましょう。

全国展開のロングセラーお菓子

グリコ キャラメル(1922年~)

江崎グリコは1921年に、エネルギー源となる糖質「グリコーゲン」を配合した栄養菓子として「グリコ」キャラメルを発売。以降、グリコーゲンをはじめとした糖質の研究を、ヘルスサイエンスの視点から続けてきた。その中で、グリコーゲンが表皮細胞のうるおい成分を増やすことを発見。化粧品に使用できるよう分子量や不純物の量をコントロールし、EAPグリコーゲンを開発した。
2月11日はグリコの発売記念日です。1922年の2月11日、「1粒300m」をキャッチコピーに、大阪の三越百貨店で発売が開始されました。もう90年以上の長い歴史を持っているのですね……!

一つ目の記事には1921年とありますが、厳密には開発・製造が1921年で販売を開始したのが1922年ということです。

都こんぶ(1931年~)

中野正一氏は1931年(昭和6年 )19歳で晴れて独立。堺に中野商店を創業、かねてから温めていたアイデアの昆布を原料としたお菓子を開発。それは今の「都こんぶ」の原型の黒蜜の入った酢漬けの昆布。そしてこの昆布を原料にしたお菓子に自分の望郷の思いを込めて「都こんぶ」』とネーミング。
中野商店は生まれたばかりの「都こんぶ」を販売するために、まず駄菓子の販路に目をつけた。当時は子供相手の駄菓子屋が中心であったから、菓子問屋の立ち並ぶ大阪は天王寺や松屋町へ売り込みを開始

ミルキー(1951年~)

不二家のアイドル、ペコちゃんが誕生するのは戦後の1950年(昭和25年)。年齢6歳の女の子。翌年にはボーイフレンドのポコちゃんも登場。そしてこの年、1951年(昭和26年)、記念すべきペコちゃんとポコちゃんの絵柄のミルキーが発売された。
1951年(昭和26年)の発売以来、半世紀以上、ロングセラーを続ける”ミルキー”は、初代社長の藤井林右衛門の意気に燃える青年のような夢からスタート。戦災で焼け残ったボイラーたった一基を手掛かりに、彼は戦後いち早く沼津工場を再建。ここで水アメと練乳の製造を開始。
丸2年の間、何十、何百の試作品が作られ検討されたといわれる。ようやく完成したのは、1951年(昭和26年)。練乳を50%近く使い、思い切ってまろやかな味を出したため、砂糖3.75kg(1貫目)が2000円、バターもまだろくに出回らない、米の値段が60kg、2800円という当時としては、考えられないほどぜいたくいっぱいのお菓子だった。

ホームランバー(1955年~)

「ホームランバー」は、1955年に国内メーカー初のアイスクリームバーとして誕生したのが原点。1960年に名称を「ホームランバー」に変更し、日本初の“当たりつきアイスバー”として人気を集めた。

グリーンガム(1957年~)

株式会社ロッテ(本社:東京都新宿区、代表取締役会長:重光武雄)は、1957年4月の誕生以来、たくさんのお客様に愛され続けてきました『グリーンガム』を2014年4月に57年ぶりにリニューアルいたしました。

クールミントガム(1960年~)

ロッテの「クールミントガム」も、1957年の発売からデザインを幾度かリニューアルしていますが、ベースカラーは変わらず、南極の空気と氷山の冷たさを清涼感のある青と白で表現しています。ベースカラーと対照的な色相である黄色の三日月でアクセントを加えているのがポイント。マスコットキャラクターのペンギンは、ロッテが1956年に第1次南極観測隊のためにガムを製造、贈呈したことがきっかけといわれています。

※上記記事では1957年発売となっていますが、公式サイトでは1960年6月発売開始となっています。

ポテトチップス のり塩(1962年~)

湖池屋が日本初のポテチを発売したのは今から55年前の1962年。ある男が仲間と飲みに行った居酒屋で、その歴史は幕を開けるーー。
「湖池屋創業者の小池和夫は、仕事仲間と飲みに行った際、まだ珍しかったお手製ポテトチップスを口にしました。そのおいしさに感動し、世の中に広めたいと思ったのが開発のきっかけです」(湖池屋広報)
「開発にあたり、小池は日本ならではのものを作りたいと考えました。そこで食卓にある様々な調味料を使って試行錯誤し、たどり着いたのが『のり塩』です。
初めは釜で揚げていましたが、量産するためにオートフライヤーを導入。調整が難しく、また、家庭用の糖度が高いジャガイモを使っていたので焦げてしまうことが多々あったようですが、67年には日本で初めて量産化に成功し、日本中に届けられるようになりました」

プリッツ(1962年~)

グリコは1962年にテスト販売した「プリッツ」を、翌63年におつまみ用から子ども向けに方向転換して「バタープリッツ」として発売。私も同じ1963年生まれとして、熱く応援したいと思います。いつか女性と「プリッツゲーム」に興ずる機会があることを信じつつ。

かっぱえびせん(1964年~)

転機は55年。あられといえば米菓だが、米不足から日本初の小麦粉を使った「かっぱあられ」を発売。孝氏が次に考えたのは、瀬戸内海で獲れるがそのまま捨てられていた小さなエビを、かっぱあられに入れることだった。小麦粉に練り込む段階で小エビをボイルしたり、乾燥させたり、粉末にしたりして試作を繰り返した結果、たどり着いたのが生のまま丸ごとエビをミンチにして加えることだった。こうして「かっぱえびせん」が誕生した。発売されたのは、新幹線が開通し第1回東京五輪が開催された1964年。「やめられない、とまらない」というCMソングに乗って爆発的にヒットした。
「また、その当時、マンガ家の清水崑(こん)先生の『かっぱ天国』という作品がとても人気でした。カルビーの創業者である松尾孝は、小麦あられに何かアイキャッチ的なものが必要だと思い、清水先生に連絡すると、お互いが被爆した長崎県(清水)と広島県(松尾)の出身ということで意気投合し、かっぱのイラストを描き下ろしてもらったのです。そして、『かっぱあられ』という名前をつけて売り出すことになりました。
その後も『かっぱあられ鶏卵せんべい』や『かっぱあられあまから焼き』などの関連商品を出していき、1964年に松尾が子供の頃に大好きだった小エビの天ぷらをイメージした商品を作りました。それが『かっぱえびせん』なのです。かっぱシリーズ最後の商品としてかっぱという名前がついているんです」

ホワイトロリータ(1965年~)

65年には、ブルボンの「ホワイトロリータ」が登場。もちろん、このロリータにはいかがわしい意味はまったくありません。ホワイトな気持ちで食べましょう。

ポッキー(1966年~)

江崎グリコは11月11日を「ポッキー&プリッツの日」と定めている。そのポッキーは、1966年10月に初代「ポッキーチョコレート」が発売されてから、50年目を迎えた。世界30カ国で年間5億箱売れている超人気商品だ。2020年には、現在の2.6倍に当たる売り上げ「10億ドル(約1200億円)」の達成を目指す。
【ポッキートリビア2】発売当初、ポッキーは別名だった!
「発売当時は『チョコテック』という名前でした。ですが商標登録の段階で、使用不可能だと判明。そこで、食べるときの ポッキン という音にちなんで『ポッキー』に改名したんです」

柿の種(1966年~)

「1924年(大正13年)に新潟のある菓子メーカーの人が、あられを作る小判形の金型を誤って踏んでしまった。その歪(ゆが)んだ金型であられを作ったら『柿の種に似ている』ということで、柿の種という名前になったそうです。
ちなみに“柿の種”のネーミングのルーツとなったのは新潟県名産の『大河津』などの甘柿の一種。その種の形が似ていたとのことです。その後、新潟地方では、柿の種形のあられが定番となり、多くのお店で販売しているんです」
ピーナッツ入り柿の種を商品として販売したのは亀田製菓が最初で、1966年のことでした

チョコボール(1967年~)

チョコボールの誕生は1965年にさかのぼる。商品名は「チョコレートボール」で、その頃のキャラクターはあのキョロちゃんではなかった。キョロちゃんの登場は2年後の1967年。当初はピーナッツ味だけであったが、1973年には後に定番となるキャラメル味が誕生している。

ベビースターラーメン(1973年~)

ベビースターラーメンが販売開始となったのは1973年。なんと、すでに44年の歴史があるのです。
しかし、前身となる「ベビーラーメン」は1959年に発売されているので、ここからカウントするとその歴史は約60年! 子供たちだけでなく、幅広い世代から親しまれているというのも納得ですね。

あずきバー(1973年~)

1973年、「あずきバー」は日本で初めての小豆のアイスとして井村屋が発売。以後、売り上げを伸ばし続け、年間2億5800万本を販売する人気のロングセラー商品だ。
「あずきバー」の原料は、小豆の他、砂糖、塩、でんぷん、水飴のわずか5種類。生産管理部の小井一浩は「通常のアイスクリームは安定剤や乳化剤を使って固めていますが、『あずきバー』は添加物を使っておりません。それによって小豆がしっかり固まります」と言う。「あずきバー」といえば独特の硬さが特徴だが、このシンプルな原料が硬くなる理由だというわけだ。

ルマンド(1974年~)

1974年(昭和49年)に発売した、サクッと香ばしいクレープクッキーです。
ルマンドは、当社独自に開発した製造技術や製造設備により、幾重もの繊細なクレープ生地と甘さをおさえたココアクリームの調和で多くのファンを魅了しました。ルマンドは40年以上にわたり、多くの皆様から愛され続けてきました。発売当時はビスケットのヒット商品と同じ150円とし、プラスチックフィルム包装の形態としたこともあり、一大センセーショナルな大ヒット商品となりました。ルマンドは発売以後、生産が追いつかず、増産々の連続で、生産設備も昼夜兼行で設置するなど、その後の新工場の建設へつながりました。2016年6月より新パッケージデザインになりました。

最近はこのルマンドをなんとアイスクリームにしたところ、売り切れ続出の大人気に。現在は北陸や九州など地域限定で発売されています。

ルマンドアイスは、アイスクリームの中にミニタイプのクレープクッキー“ルマンド”を入れ、モナカ皮で包んだもの。ルマンド4本が丸ごと入れられ、サクサクとした食感が楽しめるそう。さらにアイスクリームをコクのあるココア風味のクリームでコーティングし、全体でもルマンドの味わいがイメージされているとか。価格は225円(税別)。

たべっ子どうぶつ(1978年~)

ギンビスが1978年ごろより発売しているビスケット『たべっ子どうぶつ』。一番ポピュラーな「バター味」には46種類の動物が入っているほか、コアラを含めた18種類がいる「MINIたべっ子どうぶつ」シリーズもロングセラーとなっているので、スーパーなどで見かける機会の多いお菓子です。

コアラのマーチ(1984年~)

1984年より発売を開始し、〈チョコ〉〈いちご&ミルク〉〈ココア&バニラアイス〉の3種類合計で全465種類のコアラのかわいい絵柄プリントも楽しめる「コアラのマーチ」。

カントリーマアム(1984年~)

カントリーマアムは手作り感のあるソフトクッキーで、不二家の人気商品のひとつ。1984年に誕生して以来、子どもから大人まで、幅広い年代に愛されているお菓子で、みなさんも一度は口にしたことがあるのではないでしょうか。

おばあちゃんのぽたぽた焼(1986年~)

1986年に亀田製菓から発売されたロングセラー商品「ぽたぽた焼」は、家族全員好きな味。小さい頃、チョコなどの甘いお菓子が苦手だったわたしのおやつの定番はコレでした。甘いのはイヤなんだけど、 “さとうじょうゆの甘じょっぱさ” は好きだったんですよねぇ。

地方のロングセラーお菓子

二○加煎餅(1906年~)

たれ目キャラがとってもキュートな「二○加煎餅」。博多の郷土芸能として、庶民の間で親しまれている博多弁丸出しの軽妙な会話で最後にオチをつけて笑わせる笑劇「博多仁和加」のお面をモチーフにした、たれ目が印象的なユーモア溢れるせんべいは博多を代表するおみやげとして有名。

白い恋人(1976年~)

「白い恋人」は札幌のお菓子メーカー・石屋製菓が1976年に発売した商品で、北海道の定番土産のひとつ。誰もが一度は食べたことがあるのではないでしょうか。白い恋人専用にブレンドされたホワイトチョコレートは、その甘さとなめらかさでラングドシャーと相性抜群です。
ラングドシャークッキーからホワイトチョコレートが少しだけはみ出していますが、これも実は工夫のひとつ。開発当初、ラングドシャーでホワイトチョコレートをサンドすると、クッキーの端が崩れてしまうという問題がありました。そこで、あえてチョコレートをはみ出させてみたところ、ラングドシャーが割れにくくなっただけでなく、チョコレートとの密着度がアップ! ホワイトチョコをあえてはみ出させる白い恋人ならではの形状がこうして生まれたんです。

生産終了も復活したロングセラーお菓子

以前の特集で生産終了とお伝えしたサイコロキャラメルが北海道限定で復活!ここでご紹介するのはどちらも、ゆかりのある他社が引き継いでくれるパターンですが、パッケージや味を変えない心遣いが嬉しいですね。

サイコロキャラメル(1927年~)

『サイコロキャラメル』は昨年3月に生産を終了したが、製造販売をしていた明治の子会社である『道南食品』(北海道函館市)が「北海道限定の土産用商品」として昨年6月に復活させた。『サイコロキャラメル』の製造に誇りを持つ同社の社長が自ら「引き継ぎたい」と明治本社に直談判したという。

とうがらしの種(1986年~)

激辛菓子『とうがらしの種』も生き返った。1986年発売のロングセラー商品だったが近年は売り上げがふるわず、製造元の『みながわ製菓』(新潟県上越市)が2016年8月に事業を停止した。助け船を出したのはライバルの『越後製菓』(新潟県長岡市)だった。
「同じ新潟で競合するけど仲間意識もあり、何とかウチで復活させたかったんです。それでウチの社長と『みながわ製菓』の社長が話し合って、商標権を譲渡してもらいました」(越後製菓管理部・山谷浩隆さん)

皆さん一度は口にしたことのあるお菓子ばかりだったのではないでしょうか。本当はまだまだ紹介したいお菓子がたくさんあるのですが、掲載分量と締切の都合で断念しましたのでご容赦を。冒頭でご紹介した記事にもありましたが、買っていなかったのになくなるとなると惜しむのは身勝手というもの。たまにはノスタルジックな気分に浸りながら懐かしのお菓子を食べてみるのはいかがでしょう?