江川卓のニュース

【プロ野球】七夕に思い出す因縁対決…江川卓vs.掛布雅之

7 / 2016年07月05日17時05分

なかでも、80年代きってのライバル対決といえば、「江川卓vs.掛布雅之」を外すわけにはいかない。 「巨人のエース」と「阪神の4番」によるライバル対決は、1979年から1987年までの9年間、167打数に渡って繰り広げられた。その初対決の日が、奇しくも1979年の7月7日。どちらが織姫でどちらが彦星かはわからないが、「七夕対決」として大きな注目を集めたという [全文を読む]

死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(1)

6 / 2012年06月22日11時00分

新協約の効力が発動されるドラフト日の前日、11月21日に、いわゆる「空白の1日」を利用して、巨人は江川卓(57)と入団契約を結んだのである。 しかし、当時の金子鋭コミッショナー、鈴木竜二セ・リーグ会長はこれを却下。この裁定を不服とし、巨人は同年ドラフト会議をボイコットしたが、阪神が江川を指名。翌79年1月31日、異例の裁定で「小林繁との交換トレード」が成立 [全文を読む]

【センバツ高校野球】今こそ振り返りたい”1973年の江川卓”

5 / 2016年03月18日17時40分

今年で88回を数えるセンバツだが、最も甲子園を沸かせた存在が1973年の第45回、「怪物」と呼ばれた作新学院のエース・江川卓だろう。 この大会で甲子園初見参となった江川は、その高いポテンシャルを存分に見せつけ「江川フィーバー」を巻き起こした。そんな「1973年センバツの江川卓」を振り返る。 ※野球の見方が変わるスマホマガジンでニュースやコラムが読み放題! [全文を読む]

巨人監督「万年候補」江川卓氏が語っていた監督就任への思い

5 / 2015年10月25日16時00分

結局、“万年候補”といわれ続けた球団OB・江川卓氏(60)の巨人監督就任はまたも流れたのだった。 19日の日刊スポーツによれば、江川氏は18日、報道陣に「(球団から)連絡は来ていません」と語りながらも、「新聞に書かれることも、ありがたいことですけど。もしそういうこと(球団からの連絡)があれば、ちゃんと対応します」と監督就任へ満更でもない様子が窺えていた。 [全文を読む]

死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(4)

5 / 2012年07月02日11時00分

【関連記事】 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(1) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(2) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(3) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった! 小林興起(2) 死んでも「アイツ」に [全文を読む]

死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(3)

5 / 2012年06月29日11時00分

【関連記事】 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(1) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(2) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(4) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった② 長州力 (1) 死んでも「アイツ」に [全文を読む]

死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(2)

5 / 2012年06月28日11時00分

【関連記事】 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(1) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(3) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった③ 西本聖 「エース」の座を争った江川卓との9年間(4) 死んでも「アイツ」に勝ちたかった② 長州力 (1) 死んでも「アイツ」に [全文を読む]

【プロ野球】かつてはオープン戦で引退試合? 江川卓、村山実、杉下茂らのアツいラストピッチを振り返る

4 / 2017年03月23日16時05分

■季節外れの雪が舞う日、東京ドーム最初のマウンドに立った江川卓 作新学院時代は「怪物」と呼ばれ一世を風靡。法政大時代は東京六大学リーグ史上2位の通算47勝をマーク。巨人入団をめぐる「空白の1日事件」では多くの野球ファンを敵に回したこともあった江川卓。 巨人入団後はエースとして活躍したが、13勝を挙げた1987年のシーズン終了後に突如現役引退を発表。まだ3 [全文を読む]

あのスターを生んだ夏の甲子園(7)「記憶に残る怪物」江川卓が残した圧倒的な記録

4 / 2016年08月14日09時59分

“元祖・怪物”と言われた江川卓(元・巨人)が作新学院(栃木)のエースとして甲子園に初見参したのは73年春の選抜だった。この大会、江川は自慢の剛速球を武器に脅威の奪三振ショーを演じ、チームをベスト4に導く。じつに4試合で60奪三振。春の選抜の大会新記録を達成した。ただし、それでも優勝は出来なかった。準決勝で試合巧者の広島商に屈したのだ。被安打2ながら、その2 [全文を読む]

ポスト原監督 桑田真澄氏、江川卓氏、川相昌弘ヘッドコーチ

4 / 2015年06月18日07時00分

“万年候補”といわれながら、入閣すらなかった江川卓氏だ。 江川氏は以前、ユニフォームに大きく近づいたことがあった。「清武の乱」が起きた2011年のことだ。 「清武の乱」とは2011年11月、巨人の球団代表兼GMだった清武英利氏が「読売巨人軍のコンプライアンス上の重大な件」とする記者会見を開き、渡辺恒雄会長(当時)にコーチ人事を鶴の一声で覆されたなどと批判。 [全文を読む]

フォーカス