足利義政のニュース

哀しき宿命か!応仁の乱収束の芽を摘んだ将軍兄弟のすれ違い【応仁の乱を読む1】

サライ.jp / 2017年05月17日11時30分

今回は、本書の第3章「大乱勃発」から最初のターニングポイント、乱勃発直後の室町将軍・足利義政とその弟・義視のすれ違いに注目します。■停戦を遠ざけた兄・義政のちぐはぐな采配「応仁の乱勃発の直接的な引き金になったのは畠山家の家督争いである」(本書より)著者の呉座さんがそう指摘するように、大乱のそもそもの火種は、1450年代中頃から続いていた守護大名・畠山義就( [全文を読む]

【イラストで覚える歴史】応仁の乱! 大きな内乱の背後には悪女の影が!?

マイナビ進学U17 / 2016年01月15日12時03分

そんな応仁の乱を引き起こした原因の一つといわれているのは足利義政の妻。その悪女っぷりも紹介します。■政治めんどくせぇ! アートに逃げた足利義政1467年、応仁の乱が始まりました。人間関係のもつれから起こった争いは11年間続きます。人世むな(1467)しく応仁の乱!!応仁の乱は、室町時代の大きな内乱です。乱が起こるまでをみてみましょう。時の8代将軍・足利義政 [全文を読む]

昨今注目の「応仁の乱」 平凡な登場人物とグダグダ長い戦乱

NEWSポストセブン / 2017年02月28日11時00分

〈息子がいなかった室町幕府の八代将軍・足利義政は弟の義視を後継者と定める。しかしその後、義政の妻・日野富子が男児(のちの義尚)を出産。富子は我が子を将軍にしようと画策する。この諍いに有力守護大名の細川勝元(義政側=東軍)と山名宗全(義尚側=西軍)が介入し、11年に及ぶ天下を二分した大乱に発展した〉──。 しかし、今回のベストセラー『応仁の乱』はこの通説を否 [全文を読む]

【京都】大文字焼きと呼ばないで。「五山の送り火」に伝わる3つの説

まぐまぐニュース! / 2016年08月15日12時10分

2.室町中期「足利義政」説 1499年、足利義政が近江の合戦で死亡した息子・義尚の冥福を祈るために、家臣に命じて始めたとの説。 3.江戸初期「能書家・近衛信尹(このえのぶたか)」説 1662年に刊行された書物「案内者」の中に「大文字は三藐院殿(近衛信尹)の筆画にて」の記述があるのでこれが有力視されています。 これだけ有名な行事なのにハッキリとした起源が残 [全文を読む]

京都の謎。なぜ足利義政は略奪してまで「銀閣寺」を建てたのか?

まぐまぐニュース! / 2016年07月07日19時45分

無料メルマガ『おもしろい京都案内』では、銀閣寺が建てられた経緯や創建した足利義政の胸の内を探りながら、そのさらなる魅力と謎に迫ります。 世界遺産「銀閣寺」の魅力 今日は誰もが一度は訪れたことがあるような有名寺院「銀閣寺」の魅力や謎に迫ってみたいと思います。 銀閣寺は京都市左京区にある日本で最も有名な観光寺院です。京都に17か所ある世界文化遺産の一つにも登録 [全文を読む]

シーソーゲームか!応仁の乱の均衡を揺さぶったキーマン2人【応仁の乱を読む3】

サライ.jp / 2017年06月07日19時00分

前回までは、乱勃発直後の「将軍・足利義政とその弟・義視の行き違い」と「戦法の画期的な変化」に着目しました。今回はその少し後、東軍・西軍の力関係を象徴する二人の人物に注目します。■1:東軍にダメージを与えた「成身院光宣の死」1469(文明元)年11月、東軍を支えた重要人物・成身院光宣(じょうしんいん・こうせん)が80歳で亡くなりました。光宣は、興福寺の僧侶の [全文を読む]

泥沼か!応仁の乱を膠着させた3つの軍事イノベーションとは【応仁の乱を読む2】

サライ.jp / 2017年05月28日19時00分

前回の「哀しき宿命か!応仁の乱収束の芽を摘んだ将軍兄弟のすれ違い」では、長期化の発端となった、勃発直後の将軍・足利義政とその弟・義視の間に生まれた兄弟の溝に注目しました。今回は2つめのターニングポイント、「戦法の変化」に注目します。そこには当時の大きな“軍事的イノベーション”が関わっていたのです。■1:新たな攻城兵器の出現「両軍の当初のもくろみに反して戦乱 [全文を読む]

思わず背筋がゾッとする。京都の地名に隠された怖いエピソード8選

まぐまぐニュース! / 2017年05月09日04時30分

足利義政の妻、日野富子は西院之河原旧蹟の高山寺に祈願して義尚を生んだと伝えられています。しかし、養子になっていた義視との間に跡目争いが起こり応仁の乱に発展、平安京を焼け野原にしてしまいました。 子供達の霊が西院の河原で「ひとつ積んでは親のため…」と河原の石を積んでいると鬼がやってきて積んだ石を崩してしまいます。すると高山寺のお地蔵様が現れ、子供達を救ったと [全文を読む]

名にし負う茶碗・茶道具がずらり!「特別展 茶の湯」これだけは見たい名碗3選

サライ.jp / 2017年05月03日11時30分

その後、この茶碗を手に入れた足利義政は、ひびがはいってしまったので代替できるものを求め中国に送りましたが、当時の明ではこれより優れたものを作ることができないとして、鎹(かすがい)で修理した状態で送り返されたそうです。その鎹が大きなイナゴ(馬蝗)に見えたので、「馬蝗絆」(ばこうはん)という銘が付きました。■2:油滴天目(国宝) 国宝《油滴天目》中国・建窯 南 [全文を読む]

【今週の対決】美術館、博物館…「茶の湯の文化」の神秘

WEB女性自身 / 2017年04月24日06時00分

足利義政が収集した唐物(中国製品)の青磁茶碗は透明感があって、美しい色合いにうっとり。茶の湯の有名人・千利休がつくらせたという茶碗もあった。 時代、時代によって茶碗の流行の変化を見ることができた! ■東京国立近代美術館「茶碗の中の宇宙」 次に向かったのは竹橋の東京国立近代美術館で開かれている「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」展。450年続く陶芸「樂焼」 [全文を読む]

現代によみがえった「室町の光」!新生『MOA美術館』が仕掛ける美のたくらみとは

サライ.jp / 2017年02月26日11時30分

足利義政が作った銀閣寺東求堂の四畳半の部屋に座ったとき、義政の体験した光は、このような障子越しの光ではないかと考えました。MOA美術館が所蔵する東山御物(足利将軍家の収集品)などは、こうした状況で見るのが一番素晴らしいはずです」(杉本さん) 第四展示室 展示ケース近代以前の日本の美術品は、電灯ではなく自然光や蝋燭の光で見られることを前提に制作されています [全文を読む]

京都には、琵琶湖の水量に匹敵するほどの地下水が湛えられている

まぐまぐニュース! / 2017年02月24日04時30分

室町幕府8代将軍・足利義政や千利休も利用したと伝えられている由緒ある名水です。しかし、残念なことにその後戦争で無くなってしまいました。 現在は同じ水脈である、和菓子屋の亀屋良長が店舗改装の折りに「醒ヶ井」と名付けて井戸を掘り直しました。亀屋良長はこの醒ヶ井の水を京菓子の全てに使用しているそうです。また、一般の方にも解放されているようです。 ここの銘菓は創業 [全文を読む]

夜空を見上げてみよう。月のパワーを浴びて、美しい心を育む

Spark GINGER / 2016年12月13日12時00分

よく知られるのは足利義政が建立した京都の銀閣寺の「向月台(こうげつだい)」。白砂を富士山のような形に盛り固めた向月台とその傍に波のように敷かれた白砂の銀沙灘(ぎんしやだん)は、月を楽しむための造形の最高傑作といってもいいでしょう。今は亡き芸術家の岡本太郎さんは、「私の発見したよろこびの、もっとも大きなものの一つだった」(『日本の伝統』知恵の森文庫)と、初 [全文を読む]

転換期は戦国時代…日本で女性の地位が低下した歴史的背景

WEB女性自身 / 2016年11月13日12時00分

室町幕府の八代将軍・足利義政の正室だった富子は、あの応仁の乱(1467〜1477)の原因を作ったともいわれている。しかも、応仁の乱の最中にはいずれの軍にもお金を貸しつけて、もうけていた。そんな富子は、金の本当の力を知っていた。 「お金で大内氏を撤退させることで、10年間続いた戦いを終結させ、京都に平和をとりもどしました。日野富子と北条政子、彼女たちはいずれ [全文を読む]

「外枠を作ってくれたのが西野亮廣さんで、中身を作ってくれたのが又吉直樹さん」 最強の布陣で挑んだ空前のヒットを飛ばす歴史本の作者・房野史典って何者?

AOLニュース / 2016年11月04日18時00分

ヒットの要因は、例えば、足利義政(八代将軍)を「あ~もう将軍やめたいなあ...。そろそろバトンタッチしたいな...」という何ともくだけた口調で描いてみせたり、真田の時代については「ヨーロッパのどこの国より、世界で一番、日本が鉄砲を持っていたらしいんだよ。技術大国日本。佃製作所」など、かの高視聴率ドラマ『下町ロケット』を引き合いに出してうまく説明してみせたり [全文を読む]

「あ~もう将軍やめたいなぁ……」歴史上の偉人たちがかく語りき『笑って泣いてドラマチックに学ぶ 超現代語訳・戦国時代』

日刊サイゾー / 2016年10月03日18時00分

普通であれば、8代将軍・足利義政の跡継ぎ争いであったと説明するところを「あ~もう将軍やめたいなぁ……そろそろバトンタッチしたいな……」「いや、オレ子供いねーじゃん」という口語訳から始まります。小説のようなテンポで、説明があり、このように続きます。「あ、でも弟いるわ。弟でいいや」そのあと子供が生まれてしまい、弟と子供、どちらが跡継ぎになるか、そのことを昼ドラ [全文を読む]

日本史上最強の「ツワモノ」伝説 足利義政、蓮如、嵯峨天皇

NEWSポストセブン / 2016年05月19日16時00分

銀閣寺建立など東山文化を築いた室町幕府8代将軍・足利義政は、政治に関心を示さず側近に丸投げしていたために応仁の乱を招き、幕府を大きく傾かせた。そうなった原因の一つがセックスだったといわれる。 「7歳の時に乳母の今参局(当時17歳)に性教育を仕込まれ、若くしてセックスの悦びに溺れてしまったといわれています。8歳にして将軍となってからは側室47人の相手に忙し [全文を読む]

卑弥呼や義経と日本酒の関係とは? 歴史は酒の力で動いていた!? 歴史好きも酒好きも驚く日本酒の話

ダ・ヴィンチニュース / 2016年04月20日06時30分

■『応仁の乱』の頃から営業している酒蔵 八代将軍、足利義政の後継者争いなどをきっかけに巻き起こった「応仁の乱」。なんと、その頃にできた酒蔵があるという。それが秋田県の「飛良泉(ひらいずみ)本舗」だ。その創業はなんと1487年だという。応仁の乱の後、義政が銀閣寺を建てた頃からなのだとか。ちなみに。「応仁の乱」によって、戦火が全国に波及。特に主戦場だった京都は [全文を読む]

400年の美。なぜ狩野派だけが、天下人の心を捉えたか?

まぐまぐニュース! / 2015年12月20日19時00分

元信は1467年に応仁の乱が勃発する少し前頃に室町幕府の御用絵師として8代将軍・足利義政に仕えました。それまでは絵画と言えばモノクロの水墨画と源氏物語絵巻などに見られる色味を使った大和絵が主流でした。元信は両者を融合させ、障壁画や肖像画、仏画など様々な絵画を手掛けました。 元信の時代に狩野派が繁栄していくカギとなったのは、大徳寺の大仙院にある元信筆・四季 [全文を読む]

私の秋は忙しくなる。「そうだ京都、行こう」歴代ロケ地で紅葉狩り

まぐまぐニュース! / 2015年11月16日08時26分

室町幕府8代将軍足利義政によって創建され、正式名称は東山慈照寺(とうざんじしょうじ)といい、相国寺(しょうこくじ)の塔頭(たっちゅう)の一つです。(相国寺に属する子院の一つです。ちなみに金閣寺も相国寺の塔頭です。)見どころはもちろん国宝の銀閣(観音殿)で、一層目の心空殿(しんくうでん)は書院風、二層目の潮音閣(ちょうおんかく)は花頭窓(かとうまど)をしつら [全文を読む]

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