足利義昭のニュース

NHK大河の会見に乱入の三谷幸喜 本編にも出演する説出る

NEWSポストセブン / 2015年10月07日16時00分

ひょっとして三谷幸喜は、自らも大好きな戦国ドラマに出演を画策しているのではないか? 戦国ものでは、これまでにも俳優として大河ドラマ『功名が辻』に室町幕府十五代将軍足利義昭役、フジテレビ『女信長』に今川義元役で出演している。ふたつの役に共通しているのは、戦国でもっともトホホなイメージの役ということだ。足利義昭はお飾り将軍で信長に反抗してトホホ、今川義元は大軍 [全文を読む]

本能寺は「移転先」にあり。今も京都に残る信長由来の地を巡る

まぐまぐニュース! / 2017年06月02日23時12分

二条御所とは、信長が室町幕府15代将軍足利義昭のために造営したものです。家康が京都の居所とした二条城とは別物です。 本能寺の変の時は信長の息子・信忠が宿としていた場所で、明智軍に囲まれ、父のいる本能寺まで応戦することが出来ず、この場所で戦死したといいます。御所はその時に焼失してしまっています。厳密には現在の烏丸通り、新町通り、丸太町通り、下立売り通りに囲ま [全文を読む]

清水富美加「幸福の科学出版」インタビュー企画で布教活動開始か? 映画出演や出馬の可能性は…!?

tocana / 2017年02月15日07時00分

もちろん、「出家」から戻る「還俗」という手続きもあり、室町幕府最後の将軍・足利義昭などがそれにあたる。■清水富美加と「縁切寺」 また、女性が「出家」するというと、「縁切寺」ということが思い起こされる。昔は婚姻すれば夫から逃げることなどできない世の中であったが、どうしても夫から逃げたければ、寺の中に駆け込むしかなかった。寺の中に駆け込めば、離婚が成立するとい [全文を読む]

もし本能寺の変がなかったら…信長は天下を取っていた?

しらべぇ / 2016年12月19日10時00分

なぜなら、本能寺の変が発生した1582年の時点で足利義昭という征夷大将軍が存命だったからだ。■節制が一番義昭が死ぬのは1588年。つまりそれまでは、義昭との「寿命競争」に突入することになる。ちなみに史実では、豊臣秀吉が義昭に「自分を養子にしてくれ」と頭を下げている。もちろん、征夷大将軍という肩書が目当て。だがその提案を断られ、仕方なく関白になる方針を採った [全文を読む]

『信長の忍び』アニメ放送開始迫る!おとぼけ忍者の少女が信長のために命を懸ける!浅井長政といよいよ決着の時!

ダ・ヴィンチニュース / 2016年09月29日18時00分

今川義元との戦いから始まった本作は、9巻で室町幕府将軍・足利義昭と対峙するに至り、最新10巻ではとうとう信長の妹・お市の嫁ぎ先・浅井長政との戦いにたどりついた。睦まじい夫婦の仲を引き裂く、どころか夫の命を実の兄が奪ってしまう悲劇。史実だけ見ても切ないこの展開を、信長の忍びとして千鳥はどう見るか。命を奪い合うことの悲劇、けれどもそれ以上に生き抜くことの覚悟 [全文を読む]

織田信長も松下幸之助も。なぜ成功者は大風呂敷を広げるのか?

まぐまぐニュース! / 2016年09月26日17時45分

たとえば、織田信長は他国を侵攻する際に、将軍家嫡流である足利義昭を奉戴して上洛することを大義名分として掲げ、民衆や諸大名の支持を取りつけることに成功しました。 戦国時代を研究してみると、諸大名が大義名分を掲げるために知恵を絞っているのがよくわかります。世のため人のためとなる大義を掲げることに腐心しています。人心は大義がある方になびくからです。 政治や戦争に [全文を読む]

織田信長と比叡山延暦寺 420年の恩讐を越えた和解

NEWSポストセブン / 2016年09月16日11時00分

1568年、信長は室町幕府15代将軍・足利義昭を奉じて上洛した。だが傀儡将軍であることを嫌った義昭は、密かに敵対勢力である越前の朝倉義景、北近江の浅井長政、大阪・石山本願寺、伊勢長島の一向一揆の衆らと通じ、“信長包囲網”を敷いた。 この四面楚歌の状態を打ち破るべく、信長は反目する延暦寺の焼き討ちを企てたのだった。作家で日本史研究家の高野澄氏が解説する。「延 [全文を読む]

織田信長、天下統治の秘密は茶道具の価値変革…ナイキやゴディバ等の経営戦略の先駆け

Business Journal / 2016年03月13日06時00分

信長は当時対立していた将軍・足利義昭と1573年に衝突して武力で彼を追い詰めたとき、殺害することもできました。しかし、信長は義昭を追放にとどめました。これは、将軍を殺害することへの「天下」の批判を避けようとしたからだと考えられています。 また、信長は「天下」「世間」「外聞」という語をよく用いました。義昭を攻めるときにも、朝廷や京都の世論を気にしていたのです [全文を読む]

『忠臣蔵』の裏事情:吉良こそが将軍家/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2015年12月09日05時00分

また、歴史の教科書だと、室町幕府は、足利義昭を最後に、1575年に信長に京を追われて潰えたことになっているが、実際は、その後も毛利家の庇護の下、将軍として備後の鞘(福山)に亡命幕府としての権威権限を保ち続けていた。むしろ1582年に本能寺の変で信長の方が先に死に、87年、九州平定に向かう秀吉がわざわざ会いに伺い、88年、義昭は京に戻り、ようやく将軍を解官 [全文を読む]

もはや爽快!あの男の「恥知らず」処世術!織田信長を裏切り→逃亡→秀吉の家臣…

Business Journal / 2015年09月16日06時00分

足利義昭が信長に追放され、室町幕府が滅亡した1573年に、村重は茨木城の城主を任されます。さらに、伊丹氏を退けた功績を信長に認められ、摂津の支配にまで力を及ぼしました。 そして、石山本願寺攻めや紀州征伐など、信長にとって重要な戦いにおいて、村重は活躍します。播磨国の豊臣秀吉、丹波国の明智光秀、そして摂津の村重。この3人が、信長による中国の毛利攻めの最前線 [全文を読む]

本能寺の変の黒幕は天皇?「天皇は織田信長の傀儡」は間違い!戦国時代も和平に尽力

Business Journal / 2015年09月08日06時00分

1570年の「姉川の戦い」や、73年の「足利義昭の追放」に関しても、正親町天皇は勅命を発して和議を行っており、70年から80年にかけて行われた「石山合戦」も停止させようと尽力しました。 信長は、石山合戦にあたり、四天王寺の近辺にも「四天王寺砦」を築いて戦いました。周辺は激戦区となり、76年に四天王寺の伽藍は焼失してしまいます。これを聞いた正親町天皇は、「 [全文を読む]

歴史ドラマは間違いだらけ?信玄、謙信、政宗…名前を見るだけでわかる意外な人間関係

Business Journal / 2015年08月12日06時00分

細川晴元の父は、11代将軍足利義澄の偏諱を受けて「澄元」を名乗り、晴元の息子は15代将軍足利義昭の偏諱を受けて「昭元」を名乗っている。●偏諱でわかる人間関係 戦国時代のライバル物語は、ドラマなどで同世代のように描かれていても実は違うということが珍しくない。それは、名前から判断できる場合もある。 戦国時代屈指のライバルといえば、武田信玄と上杉謙信だが、足利将 [全文を読む]

【全470タイトル・95円~】大人気歴史ムックから話題の記事をセレクトした『歴史群像デジタルアーカイブス』がついに完結!!

PR TIMES / 2015年04月21日11時45分

[画像: http://prtimes.jp/i/9949/163/resize/d9949-163-628279-0.jpg ]『村上海賊の娘』関連史実を堪能できる7タイトル<村上水軍と毛利>村上水軍 系譜と毛利氏との関係(森本繁)95円(税抜)毛利水軍のすごさ(森本繁)95円(税抜)<戦国時代>信長を苦しめた猛将・鈴木孫一(鈴木眞哉)95円(税抜)<戦 [全文を読む]

“明智光秀”子孫が語る「本能寺の変」(3)明智姓を名乗ってるのはほぼいない

アサ芸プラス / 2014年09月26日09時56分

(7月に放送された)『歴史秘話ヒストリア』では(足利義昭やイエズス会牧師など)黒幕説を報じてましたが、大河の宣伝番組として盛り上げているだけで、どれも証拠不十分でしたね」 ただ、ドラマの中で黒田官兵衛親子が「黒田家存続のため」と語るセリフは、新鮮だったという。 「私は武将の『生存合理性』って言っているんですが、現代人には理解しにくい点であり、よく反論を受け [全文を読む]

豊臣秀吉、織田信長、明智光秀。あの有名武将たちの「茶の湯」にまつわる裏話

Woman Insight / 2014年02月04日19時00分

【2】織田信長は茶の湯さえも権威の再構築に使用していた! 名前:織田信長 生まれた年:1534年 初めての茶会:1573年11月23日 好きな人:上杉謙信 苦手な人:足利義昭 言わずと知れた超有名武将。桶狭間の合戦で今川義元を討ち果たしてからは一躍スターダムへ。早くから堺に注目し、宣教師とも交流し、南蛮貿易にも興味を示し、実は黒人を側近にしていたなど、グ [全文を読む]

戦国武将ロマン『英傑の日本史』が カドカワ・ミニッツブックに登場

PR TIMES / 2013年10月10日09時38分

公式サイト:http://j.mp/1aRfKJH?adpcnt=7qM_N3f■英傑の日本史シリーズ 今後の配信予定2013年10月24日 英傑の日本史 激闘織田軍団編 佐久間盛政・丹羽長秀2013年10月24日 英傑の日本史 激闘織田軍団編 明智光秀2013年11月14日 英傑の日本史 激闘織田軍団編 滝川一益・河尻秀隆・織田信孝2013年11月14日 [全文を読む]

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