大内義隆のニュース

【イラストで覚える歴史】キリスト教布教! ザビエルって何をした人?

マイナビ進学U17 / 2016年01月15日12時03分

中でも衝撃的だったのは、周防の戦国大名・大内義隆(おおうちよしたか)との大ゲンカ!大内義隆はBL(ボーイズラブ=男同士の恋愛)大好き。一方、当時のキリスト教では同性愛は禁止。「男同士でイチャイチャしちゃダメですよ」とザビエルが言ったため、大内義隆はブチ切れ。ザビエルは周防を出ていくはめに……。しかし、ザビエルは諦めずに、翌年、大内義隆と再謁見します。ザビエ [全文を読む]

徳川家康も真田昌幸も!なぜ戦国時代の「人質」から多くの英傑が生まれたか

サライ.jp / 2017年04月30日19時00分

それが途中で大内義隆へ鞍替えし、その際に嫡男の少輔太郎を大内氏の拠点である山口に人質に出した。つまり毛利から見れば、大内義隆は「お館様」と呼ぶべき存在である。だが義隆は少輔太郎を厚遇した。この大内義隆という人物は公家に近い性格の持ち主で、歌や芸事に明け暮れると同時に戦うことを嫌った。それが結果的に命取りになってしまうのだが、代わりに山口を文化都市として大い [全文を読む]

【真田丸】戦国時代と大航海時代 「貿易の富」が戦乱を終わらせた

しらべぇ / 2016年08月21日05時30分

1528年、大内義隆が家督を相続するとその傾向はますます強くなる。大内義隆という人物は戦国向きの性格ではなかったものの、その政治手腕は一流である。山口を国際港にして、近隣諸国と盛んに貿易を行なう。ちなみに彼が家督を次ぐ6年前、1522年にヨーロッパで人類初の世界一周達成という出来事があった。そこから日本とヨーロッパとの距離が、さらに近くなった。1543年に [全文を読む]

本日発売!「下剋上」の代名詞となった美しき軍師・陶隆房の生涯とは?吉川永青著『悪名残すとも』、Web上で無料試し読みもスタート!

PR TIMES / 2015年12月25日11時36分

陶隆房(すえ・たかふさ)は、弱冠20歳で大内義隆の重臣として1万もの兵を率い、その後、毛利元就と西国の雄を争った武将です。著者の吉川さんは、2010年『我が糸は誰を操る』で第5回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞、最近では複数の作家による競作長篇『決戦!関ヶ原』や『決戦!三國志』にも参加している気鋭の作家。吉川さんが、陶隆房を通じて本作に込めた想いとは?また、 [全文を読む]

美しき軍師はなぜ下剋上をしなくてはならなかったのか―陶隆房の凄絶な生涯を追う長篇小説『悪名残すとも』刊行

ダ・ヴィンチニュース / 2015年12月10日17時30分

戦国時代、その美貌から幼少期には大内義隆に可愛がられ、その後彼の重臣となり、一万の軍を率いた若き軍師・陶隆房(すえたかふさ)。彼の知られざる凄絶な人生を語った長篇『悪名残すとも』が、2015年12月25日(金)に発売される。著者は、「第5回小説現代長編新人賞奨励賞」を受賞し、葉室麟・伊東潤など著名作家との競作長篇『決戦! 関ケ原』にも参加した、歴史小説家の [全文を読む]

なぜ下剋上を起こしたのか?美将・陶隆房の知られざる凄絶な人生とは!気鋭の歴史小説家 吉川永青著『悪名残すとも』、12月25日発売!

PR TIMES / 2015年11月26日11時08分

戦国の世、その美貌から幼少期には大内義隆に可愛がられ、その後彼の重臣となり、一万の軍を率いた若き軍師 陶隆房(すえ・たかふさ)に焦点を当てた長篇です。[画像: http://prtimes.jp/i/7006/1892/resize/d7006-1892-638778-1.jpg ][表: http://prtimes.jp/data/corp/7006/ [全文を読む]

【新東方見聞録】徳川家康とベトナムの知られざる「蜜月関係」(ベトナム・ホイアン)

GOTRIP! / 2017年05月25日06時30分

織田信長が登場する以前にも、中国地方の有力大名大内義隆が貿易で巨万の富を得ています。さらにそれ以前、足利義満は日明貿易のためだけに明朝の冊封を受け入れています。 それだけ、貿易は儲かるのです。数々の修羅場をくぐり抜けてきた戦国大名が、その可能性を否定しないはずがありません。 ・「日本人建造」の橋 ホイアンには、来遠橋という建造物があります。 これは屋根付き [全文を読む]

【日本人が知らないニッポン】家康が学んだ「修羅の原点」臨済寺

GOTRIP! / 2017年01月15日12時30分

たとえば毛利元就の嫡男である毛利隆元は、大内義隆の領国へ人質に出されていました。大内氏が統治する当時の山口は、日本一の「貿易立国」と言うべき栄華を極めていました。それを間近で見た隆元は、対外交易のイロハを学び取ります。 あの真田昌幸も、そもそもは武田信玄のもとへ人質に出された男。だからこそ昌幸は、信玄という戦国有数の指揮官のお膝元で最先端の軍学を吸収するこ [全文を読む]

美少女軍勢RPG「戦国の神刃姫X(センゴクブレイドルエックス)」季節限定「サンタ武将」登場!

PR TIMES / 2016年12月16日18時20分

******[画像3: https://prtimes.jp/i/18760/163/resize/d18760-163-739839-0.jpg ]▼ミニスカサンタ 大内義隆(UR)中国、九州北部に影響力を持つ周防国大内氏の当主。領内に職人や商人を数多く抱え、海外との貿易にも重んじる、内政と外交、経済に通じた教養人だったとされる。今回呼び出された姿は…な [全文を読む]

【真田丸】真田の強さを支えたもの、それは「ソバ」

しらべぇ / 2016年11月13日14時30分

それがのちに西半分の覇者だった大内氏に寝返り、最終的には謀反で殺された大内義隆の「仇討ち」という名目で敵対勢力を制圧。その後、かつての主人格だった尼子氏を討ち滅ぼすのだが、その過程で毛利は石見銀山を手にした。要は銀山の産出する経済力により大きくなったのだ。■米が取れない地域の苦悩ところが、真田にはそれがない。もちろん近隣の鉱山を手中に収めようという野望はあ [全文を読む]

【著者に訊け】吉川永青氏 歴史長編『悪名残すとも』

NEWSポストセブン / 2016年02月19日07時00分

筆頭家老職にあった隆房の決断は結果的に大内義隆の自害と大内家滅亡を招き、歴史に汚名すら刻む。美形を好んだ義隆に寵童として仕え、19で家督を継いだ彼が初陣を飾ったのは天文9(1540)年、20歳の時。本書では、尼子勢の猛攻を安芸国衆・毛利元就と共に退けた「吉田郡山城の戦い」からその生涯を書き起こし、〈一本気〉ゆえに敵を作ることも多かった若き美丈夫の苦悩に光 [全文を読む]

なぜ彼は下剋上を起こしたのか? 美将・陶隆房、過信と反転の人生

ダ・ヴィンチニュース / 2016年01月07日17時30分

「主君の大内義隆を討ち、下剋上を成し遂げておきながら、安芸の一国衆であった毛利元就の下剋上によって転げ落ちていく。隆房は下剋上をした人々のなかでも際立ってドラマチックな人生を送った人物なんですね。そしてその人生を思うにつけ、以前から常々感じていたところがありまして。“人間の可能性というものを絶対視し過ぎではないのか?”と。現代にも通じるそのことに対し、何か [全文を読む]

相互理解の社会を目指し、LGBTを考えてみよう!

恋学 / 2015年09月15日15時00分

実際、1550年11月には周防の守護大名、大内義隆にこのことについて進言し、大内によって追い返されたとの記録も残っています。大内としては、勝手に日本を訪れ、しかも日本の風俗習慣にも口出しをするザビエルに、言い様のない怒りを感じたのかもしれませんね。 LGBTの考える自由と、私たちの考える自由はズレがあってはならない前述のように、僕は何度もLGBTの人々と出 [全文を読む]

めがね店登録件数No.1は、めがね一大生産地がある福井県! ~「めがね店」の都道府県分布と登録件数推移~

PR TIMES / 2014年07月22日15時26分

日本では1551年に、フランシスコ・ザビエルが来日した際、周防(現在の山口県)の大名・大内義隆に献上したものが、最初のめがねと言われています。そして、誕生から400年後の18世紀になり、ロンドンのめがね商が耳に掛ける現在の形に改良して普及。その後の技術革新の中で、薄く軽く丈夫で使いやすいめがねに進化していったそうです*2。今回は、そんな「めがね店」に関す [全文を読む]

フォーカス