上田利治のニュース

よみがえる名場面。プロ野球・日本シリーズ伝説の瞬間「激闘!昭和編1」

週プレNEWS / 2016年10月25日06時00分

このとき阪急は初戦で勝利したエースの山田久志がブルペンで待機していたが、今井が続投を志願し、上田利治監督も了承。だが、これが完全に裏目となり、ヒルトンに左手一本でレフトスタンドに運ばれ逆転を許してしまう。その裏、阪急は一塁走者の福本豊が盗塁を仕掛けるも、警戒していた松岡弘-大矢明彦バッテリーに刺され、万事休す。大逆転勝利でシリーズの流れは一気にヤクルトへ [全文を読む]

元阪急ブレーブス山田久志氏 上田利治監督の賀状に敏感反応

NEWSポストセブン / 2013年12月31日16時00分

* * * 阪急・オリックスの監督だった上田利治から、毎年届く年賀状には、彼の几帳面な性格を表す“ひと言”が必ず書かれていた。それは選手たちに対しても同じ。蝶のように舞い、蜂のように刺す華麗なフォームで、“サブマリン”といわれた山田久志にも、上田からの賀状が毎年届けられ、そこには決まって「開幕は頼むでェ」のひと言が添えられていた。だが1987年の賀状だけ [全文を読む]

世界の盗塁王福本豊氏 上田監督の言い間違いで突如引退決意

NEWSポストセブン / 2012年11月08日07時00分

試合後、挨拶に立った上田利治監督は、「去る山田、そして残る福本」というべきところ、「去る山田、そして福本」とやってしまった。 これに驚いたのは福本だった。福本には引退する気などなかったのだ。しかし騒ぎ出したマスコミに囲まれ、「監督がいうてしもたもんはしゃあないがな」と引退を受け入れてしまった。 「だって取り消すのも邪魔くさかったもん」 福本氏が語る。 「体 [全文を読む]

ノムさんも絶賛、記録に無頓着だった大投手

クオリティ埼玉 / 2017年05月31日15時50分

「これで50歳まで投げられるか」と思ったが、1973年オフに上田利治新監督に「コーチになって俺を助けてくれ」と頼み込まれると引退を決めてしまう。コーチとしては多くの投手を育て、その人柄から選手たちに慕われた。 肺ガンを患い、2006年9月23日に永眠。入院前に弟たちと好きなカラオケに行った。いつも歌っていたのが『故郷(ふるさと)』で必ず泣いたという。女手1 [全文を読む]

【プロ野球】ドカベン・香川伸行(南海)、赤鬼・マニエル(近鉄)ら個性派揃いの1980年の関西パ・リーグとは?

デイリーニュースオンライン / 2017年04月23日17時05分

1981年に上田利治監督が復帰したものの、1981年が通年2位、1982年が通年4位、1983年が通年2位。「そこそこ強いが優勝には届かない」という成績だった。 KANSAI CLASSIC2017プレイベントのトークショー ■松坂世代の生まれ年 1980年といえば、松坂大輔(ソフトバンク)の生まれた年。今年、誕生日を迎えると37歳になる。松坂世代の現役選 [全文を読む]

山田久志の日本記録12年連続開幕投手が途切れた日

NEWSポストセブン / 2017年03月28日07時00分

心配顔の上田利治監督に、山田が社交辞令で“監督の思うようにしてください”と告げたところ、オープン戦絶好調の佐藤義則が開幕投手に指名された」(スポーツ紙記者)という。 試合後、上田監督は「佐藤は山田の偉大さがわかっただろう」とコメント。山田は17年連続2ケタ勝利も途切れ、翌年に現役を引退した。 【試合データ】 1987年4月10日(西宮球場) 阪急6-6南海 [全文を読む]

名シーン、名セリフだらけ! 昭和・平成の日本シリーズ伝説の瞬間

週プレNEWS / 2016年10月19日15時00分

当時、阪急コーチで、後に監督となる上田利治は、事前のデータから長嶋のヒットコースを想定していながら、二遊間を詰める確認が甘かったのだ。 「飛んだ瞬間、勝ったと思った」というゴロは、ショート阪本敏三のグラブのすぐ先を抜けた。そのわずかな差が、シリーズの勝者と敗者を分ける結果となった。そして時代は昭和から平成へと移り、世の中の価値観も多様化する。球界でも巨人中 [全文を読む]

週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<野球篇/「あの重大事件」座談会>(2)落合博満が「監督批判」で星野仙一に土下座

アサ芸プラス / 2016年10月16日09時56分

B 日本シリーズで忘れられないのは、78年、ヤクルトと対戦した阪急・上田利治監督の、球史に残る1時間19分の猛抗議ですね。D 0対1で迎えた第7戦、6回裏にヤクルト・大杉勝男のレフトポール上を通ってスタンドインした打球を線審が「ポールの上を通過」と本塁打判定。ウエさんは左翼ポール下まで猛ダッシュして「ファウルだ!」と。まったく聞き入れられないとなると、全選 [全文を読む]

【プロ野球】オリックス14年入団組3人は”花の44年トリオ”を継げるか?

デイリーニュースオンライン / 2016年07月18日17時05分

西本幸雄監督時代に勝てなかった阪急は、上田利治監督にバトンタッチ。1975年に広島を破り念願の日本一に輝くと、1976、1977年は宿敵・巨人を破りV3を達成した。その時の中心選手が、山田、加藤、福本の3人だ。 福本は1947年生まれ、山田、加藤は1948年生まれの同年代。いずれも高校卒業後、社会人野球を経て阪急に入団している。加藤と福本はプロの練習を目 [全文を読む]

【プロ野球】巨人・高橋、阪神・金本…長期政権にするための絶対条件とは?

デイリーニュースオンライン / 2016年01月03日16時00分

鶴岡一人 南海・23年 優勝 王 貞治 ダイエー・ソフトバンク 14年 5位 川上哲治 巨人・14年 日本一 西本幸雄 阪急・11年 最下位 水原 茂 巨人・11年 3位 古葉竹識 広島・11年 優勝 上田利治 阪急・10年 2位 原 辰徳 巨人・10年 4位 8人中3人が優勝、2人がAクラス入りを果たしているが、Bクラスに終わった西本監督と原監督も、監 [全文を読む]

現役時の野村克也氏 田淵幸一氏を「こいつダメ」と感じた瞬間

NEWSポストセブン / 2015年12月27日07時00分

上田利治、森祇晶、そして手前味噌ながら私。この伝統をぶち壊したのが、田淵幸一と大矢明彦だ。 特に田淵は捕手の性格ではない。私は現役最晩年の2年間、西武で一緒にプレーしたことがある。田淵がレギュラーで私が控え。ロッカーが隣同士だったので、ある日の試合後、「なんであそこでストレートを要求したんだ。根拠は何だ」と聞いたことがあった。 私は、捕手は「根拠のないサイ [全文を読む]

【プロ野球】来季は前途多難!? 巨人・高橋監督では”優勝できない”ワケ

デイリーニュースオンライン / 2015年12月21日07時00分

コーチとして西本幸雄氏を支え、後に自身も名監督となった上田利治氏のような成功も夢ではない。 以上、今季の新監督は「スター性」「現役実績」「監督実績」「コーチ実績」のいずれかを称えられ監督就任とあいなった。他球団をみても、現役実績を重視されたのがソフトバンクの工藤公康と中日の谷繁元信、コーチ実績はヤクルト真中満だろう。 これ以外に「鶴の一声」(オーナーの決定 [全文を読む]

昭和と平成の境目を過ごした工藤公康監督は「名選手ほど名監督になる」の申し子

ソーシャルトレンドニュース / 2015年11月16日14時01分

逆に、大毎、阪急、近鉄と3球団を優勝に導いた西本幸雄氏、阪急でパ・リーグ4連覇を達成した上田利治氏といった現役時代は目立たなかったものの、監督として大成した人物もいた。だが、その傾向は近年変わりつつある。2年連続日本一に輝いたソフトバンクは昨年の秋山幸二監督、今年の工藤公康監督ともに80年代から90年代前半にかけて西武の黄金期を支えた名選手だった。過去10 [全文を読む]

名将・川上哲治氏と西本幸雄氏の違いは決断力と現役時の威光

NEWSポストセブン / 2015年04月05日07時00分

その傍らには、名参謀として西本を支え、のちに監督として阪急の黄金期を築いた上田利治氏がいた。上田氏が、プロ野球史上最年少となる25歳で広島の打撃コーチになってからの長い指導者人生で、影響を受けた名監督について語った。 * * * 監督になるにあたって、僕は3人の名監督を参考にしました。西本さん、南海の鶴岡(一人)さん、そして川上(哲治)さんです。3者には違 [全文を読む]

V9時代 最下位争い常連の広島が「巨人殺し」と言われた理由

NEWSポストセブン / 2015年04月02日16時00分

右肩のケガが原因でプロ生活をわずか3年で引退、1962年に史上最年少となる25歳で広島の打撃コーチに就任した上田利治氏が、V9巨人に広島が強かった秘密を語った。 * * * 僕がコーチをしていた頃の広島は5位か6位が定位置でした。でも意外と思われるかもしれませんが、巨人戦においては「巨人殺し」といわれるほど善戦していました。 当時の巨人戦は(広島)市民球場 [全文を読む]

今こそ伝説の80年代パ・リーグを熱く語れ! こんな名言、あんな珍言…「国民栄誉賞もろうたら立ち小便もできない」?

週プレNEWS / 2014年12月21日11時00分

上田利治監督がスピーチでこの日、引退する山田久志と共に「去る山田、そして福本」と確信犯的に言い間違えたところ、福本は驚きながらもあっさりと「監督がそう言ってしまったんならしゃあない」と、そのまま本当に引退してしまう。なんという潔(いさぎよ)さ! そんなスピーチが西宮球場で行なわれていた同時刻。川崎球場で勃発した伝説の「10・19」からも数々の名言が。まずは [全文を読む]

元阪急・今井雄太郎 宿舎の監督部屋に闖入・大暴れした過去

NEWSポストセブン / 2013年09月28日16時00分

ある年のキャンプでは泥酔した後に宿舎の部屋を間違え、監督の部屋に闖入、「ここを誰の部屋だと思っている」と大暴れをして、上田利治監督に大目玉を食らったこともある。 これに目をつけられて、登板する前には度々ビールを飲まされていた。それが功を奏したのか、完全試合を達成したこの年は13勝を挙げるなど、阪急のリーグ4連覇に貢献。1981年、1984年には最多勝投手と [全文を読む]

伝説のキャンプ 元阪急・今井は酔って上田監督叩き起こした

NEWSポストセブン / 2013年02月19日16時00分

その部屋は悪いことに上田利治監督の部屋で、夜中に監督を叩き起こして大騒動になったこともあった」(元担当記者) ただ、これには後日談がある。上田監督はこれを咎めることなく、「成績が下がったら部屋を変えるぞ」といって、今井に入り口近くの部屋を用意した。理由は、飲んでも遊んでもやる時はやるというのが当時の選手たちだったからだ。 「今井や佐藤などは、1日に400球 [全文を読む]

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