鮎川義介のニュース

育ての親は3社!? 意外と知らないクルマメーカーの歴史・日産編

clicccar / 2015年10月08日19時03分

そんな小型乗用車の製造に目を付けたのが、自動車部品の製造を担うとともに、自動車工業への進出を目論んでいた鮎川義介が設立した戸畑鋳物株式会社でした。 その傘下で、495ccの小型乗用車生産1号車を完成。DATの息子という意味で「ダットソン」と名付けられましたが、ソンが損を連想させるとして、太陽(SUN)に変更した「ダットサン」となったのは有名な話です。 (画 [全文を読む]

日本の工業を米から守る。トヨタ自動車の創業者が胸に誓った決意

まぐまぐニュース! / 2017年01月22日11時00分

政府の期待する筆頭候補が鮎川義介が設立した日産自動車であった。鮎川は「国家・民族のために、日本に重工業を始め、すべての産業を打ち立てる」と宣言しており、アメリカのグラハム・ページという自動車会社の工場施設をそのまま買い取って、横浜の新子安海岸に大工場を建設しつつあった。 「国家・民族のために」という志こそ同じだったが、喜一郎は「人のものを(そのまま)受け [全文を読む]

特別公開講座・横浜学「横浜と自動車」が開催!

Walkerplus / 2016年12月15日20時46分

日産自動車を創設した実業家・鮎川義介の足跡をたどり、どのようにして日産自動車および日産コンツェルンが成長していったのかを解説。日産自動車横浜工場の稼働時には、海外の企業を買収して生産設備を丸ごと輸入したという驚きのエピソードを紹介してくれた。講義の最後には、「日産」と「トヨタ」の企業としての違いを説明し、来場者の興味を惹きつけた。三人目の登壇者はかつて日産 [全文を読む]

鳩山・安倍…戦後の歴代総理大臣 33人中13人が親戚だった

NEWSポストセブン / 2016年07月12日11時00分

両家は婚姻や養子縁組を繰り返して結びつき、戦前、「満州国の二キ三スケ」と呼ばれた岸信介、松岡洋右(満鉄総裁、外相)、鮎川義介(満州重工業=日産コンツェルン総帥)の2人の“スケ”は婚姻で結ばれている(二キは東条英機、星野直樹)。さらに佐藤栄作の次男・信二の夫人を通じて美智子皇后の実家の正田家や住友本家、森コンツェルン、三木武夫に辿ることができる。 佐藤・岸家 [全文を読む]

日産DNA「オールド・ダットサン」の展示イベント開催決定

Walkerplus / 2016年05月25日17時00分

日産自動車は、1933(昭和8)年、創業者である鮎川義介が「ダット自動車製造」から、ダットサン車の製造事業を譲り受け、これを独立・分社化したことからはじまる。1935(昭和10)年春には、当時「東洋一」の規模を誇る横浜工場で「ダットサン14型」の生産を開始。これが日本初の量産自動車である他、ライン製造により、これまでにない安価を実現。日本人にとって遠い夢 [全文を読む]

【訃報】初代「フェアレディZ」の生みの親 片山 豊氏が死去

clicccar / 2015年02月23日08時03分

(享年105歳) (出展 NISSAN USA) 静岡県浜松市出身の片山氏は慶應義塾大学を経て、1935年に親戚で事業家の鮎川義介氏が操業した日産自動車に入社。 販売課を経て総務課配属となって宣伝業務を担当すると、当時の宣伝手法とは一線を画したクルマの有るライフスタイルを提案、時代を象徴するスターをCMキャラクターに起用するなど、異業種とクルマを融合させた [全文を読む]

日産が復活させる「ダットサン」は、どんなクルマになるのか!?

Autoblog JP(オートブログ) / 2012年03月21日18時00分

1933年、日産コンツェルンの総帥である鮎川義介は、このダットサン製造に関する一切の権利を引き継いで自動車製造株式会社を設立。1934年に日産自動車と改称し、翌1935年には横浜に新設した工場で、日本初の大量生産による自動車の製造を開始する。外国車のコピーではなく、日本の道路事情に合わせた、信頼性が高く手が届きやすい価格の「国産車」。ラインオフされた第1 [全文を読む]

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