砂田実のニュース

さあ一丁、ブワァーっと植木等だ!(2)1週間の睡眠時間は10時間

アサ芸プラス / 2017年03月27日05時57分

TBSの演出家だった砂田実は、局にとらわれず、植木とさまざまな場所で仕事をともにした。「僕の中学の同級生に青島幸男と、フジのディレクター・すぎやまこういちがいて、TBSの社員でありながら『おとなの漫画』の台本もこっそり書いていたよ。それでクレージーの連中とも顔なじみになった」 砂田は、CMの演出もいくつか手掛けていた。代表作が昭和38年に植木を起用して流 [全文を読む]

日本レコード大賞 炎の四番勝負!<最終回>「1989年~美空ひばり VS Wink~」(3)

アサ芸プラス / 2013年12月25日09時58分

レコ大の中継を第1回から担当した砂田実は、この当時はTBSを離れていたが、それでも情報は耳に入ってきていた。 「昭和歌謡の最大の功労者であるひばりに贈るべきだという情緒派と、最も売れたWinkにすべきとのデータ派で意見が対立していったようです」 その前年から審査員に加わった音楽評論家の富澤一誠は、風向きが変わっていくのを肌で感じた。 「新聞各紙の芸能記者 [全文を読む]

日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第3回>「1980年~五木ひろしVS八代亜紀~」(1)

アサ芸プラス / 2013年12月13日09時58分

レコ大の中継を立ち上げた砂田実(元TBS)は、こんな“珍事”を口にする。 「暮れが近づくと、審査員のドンだった音楽評論家が『カンパイおじさん』と呼ばれていた。レコード会社や芸能プロのパーティに顔を出し、乾杯の発声をするだけで何十万円かがポケットに転がり込むんだ」 やがて評論家は“利権”に溺れ、自分の一存で大賞も決められるという態度を取るようになる。砂田らT [全文を読む]

日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第2回>「1978年~沢田研二VSピンクレディー~」(1)

アサ芸プラス / 2013年12月10日09時58分

NHKなどが沢田の出演を見合わせるが、レコ大中継を立ち上げたTBSの砂田実チーフプロデューサー(当時)は、敢然とコメントした。 「今のところ出演を拒否するつもりもない」 あれから37年が経つが、あらためて砂田に沢田という存在を聞いてみた。 「僕は演歌よりポップス派だけど、中でも沢田研二という人は画面から美しさが伝わる本物のスター。僕はTBSを辞めた後にナベ [全文を読む]

日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第1回>「1972年~ちあきなおみVS小柳ルミ子~」(3)

アサ芸プラス / 2013年12月04日09時58分

歌謡界の黄金期たる70年代の華々しいデッドヒートであるが、中継を担当した砂田実は、どう見つめていたのだろうか──。 「TBSは運営には関わっても、選考には口をはさまない。ただ、個人的には、ちあきの比類なき歌唱力に軍配を上げたかった」 それから約2年後の74年10月22日、砂田は再びちあきと向き合った。中野サンプラザで開かれた初のリサイタルに、演出を依頼さ [全文を読む]

日本レコード大賞 炎の四番勝負!<第1回>「1972年~ちあきなおみVS小柳ルミ子~」(1)

アサ芸プラス / 2013年11月29日09時58分

番組の立ち上げに関わった元TBSの砂田実は、現行の放映を残念がる。 「放送日がまちまちだった『レコ大』を、大みそかに持っていったのが69年。NHKに何度も交渉に行って、レコ大と紅白歌合戦をつなげる形で“国民的なお祭り”にしたんです」 そもそも第1回のレコ大(59年)は中継もされず、初代の栄誉に輝いた水原弘でさえ「レコード大賞って何だ?」と他人ごとのように洩 [全文を読む]

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