映画 小林旭に関するニュース

伝説の刺青師が明かす“日活&東映スター”交流秘話「酒盛りしながら唐獅子牡丹を」

アサ芸プラス / 2015年06月13日17時57分

九死に一生を得て復員後、映画俳優を志して銀幕の世界に飛び込んだが、数々のスターたちの背中に任侠を描き続ける「刺青師」を長年続けてきた男がいる。河野弘氏。戦争映画の軍事指導の他、私生活では戦死した兵士たちの鎮魂の活動も精力的に行う。そんな河野氏が振り返る「スターたちとの日々」とは──。 スクリーンに刺青が浮かび上がる。 龍と花との刺青を背負う親分玉井金五郎、 [全文を読む]

伝説の刺青師が明かす“日活&東映スター”交流秘話「女優と“博徒”の家に遊びに」

アサ芸プラス / 2015年06月14日09時57分

戦後は叔父が脚本家だった縁から映画俳優を志し、46年に東横映画に入社した。 2年後の春、京都で戦友との花見の帰り道、土浦航空隊に映画「ハワイ・マレー沖海戦」(42年、東宝)の撮影で訪れ、河野らが予科練習生として撮影協力、交流のあった藤田進と再会。藤田の薦めで、新しくできた新東宝撮影所に入ったが、55年にはやはり藤田の推薦で新しくできた日活撮影所に移籍した。 [全文を読む]

【芸能コラム】「やすらぎの郷」受け継がれていくスターたちの輝き

エンタメOVO / 2017年04月25日14時45分

倉本聰脚本の下、往年の映画スターが一堂に会した昼の帯ドラマ「やすらぎの郷」(テレビ朝日系 月~金 午後12時半)が好調だ。 かつてテレビ界で活躍した人々が暮らす老人ホーム“やすらぎの郷”を舞台に、引退した脚本家・菊村栄(石坂浩二)の周囲で繰り広げられるさまざまな人間模様が描かれる。豪華俳優陣の競演に加えて、随所にかつてのテレビドラマや映画に対するオマージュ [全文を読む]

鬼才・小沼勝が愛した日活ロマンポルノと美しき女優たち

NEWSポストセブン / 2017年02月09日16時00分

小学生の頃から映画に親しんだ。中学2年で東京に転居し、一浪して日大芸術学部映画学科へ。就職活動では松竹の試験を受けて不合格になるも、大学の掲示版で「日活助監督募集」の告知を見て受験し、合格した。 小沼監督が入社した1961年の日活は、戦時中に撤退していた映画製作を再開して7年が経ち、石原裕次郎の登場で低迷期を脱した頃だった。「日活撮影所で裕次郎を最初に見た [全文を読む]

夭逝が多い?昭和時代の「あの」ヒーローたち

メディアゴン / 2016年03月07日07時40分

柴川淳一[郷土史家]* * *映画俳優・赤木圭一郎が生きていたら、今年で75歳になる。ジェームス・ディーンと八代目・市川雷蔵は同い年だから、生きていれば、共に84歳だ。プロレスラー・力道山は満91歳のはずだし、ジョン・F・ケネディは生誕99年を迎える。いずれも筆者の幼い頃のヒーローたちである。もしも、彼らが生きていたら・・・と今でも残念でならない。ジェーム [全文を読む]

高橋英樹が語る“寝ずに豪遊した20代”の思い出

WEB女性自身 / 2016年02月06日06時00分

それなら隠せばいい、着物を着せてしまえば見えないということになって、任侠映画に出ることに」 中山「それもすごい話ですね(笑)」 高橋「人生の転機でした。とにかく着物に慣れなきゃいけないと思って、着物を着て生活するようになり、日本舞踊を始め、勉強のために歌舞伎を見に行くように。初めはできなかったことを必死で覚えていくのは大変でしたけど、それも楽しかったですね [全文を読む]

【書評】制作現場を記録し続けた女性による戦後日本映画史本

NEWSポストセブン / 2014年06月06日16時00分

【書評】『スクリプターはストリッパーではありません』白鳥あかね/国書刊行会/2800円+税 【評者】坪内祐三(評論家) 国書刊行会の映画本にはハズレがないが、またまた読みごたえある本が出た。白鳥あかねの『スクリプターはストリッパーではありません』だ。スクリプターとは何か? それは序章「スクリプターという仕事」に詳しいが、ある意味でそれは監督以上に重要な仕事 [全文を読む]

浅丘ルリ子73歳「お付き合いしている人が3~4人」

WEB女性自身 / 2013年12月02日07時00分

’55年、14歳のときに『緑はるかに』で映画デビュー。以来、映画、ドラマに数多く出演し、現在は舞台を中心に活躍している。「私はこれまで158本の映画に出演してきましたけど、(小林)旭さんとは42本もご一緒しているんです。共演が多かった(石原)裕次郎さんでも37本ですから。旭さんとの出会いは私が主演の映画『絶唱』(’58年公開)でしたけど、それから“日活ゴー [全文を読む]

阿部寛に市川海老蔵「億単位の借金を抱えた」芸能人たち

日刊大衆 / 2016年08月14日15時00分

さだといえば名曲『関白宣言』を真っ先にイメージするが、実は小説家でもあり映画製作にも携わるマルチクリエイター。これまでにも、数々の映像作品に関わってきたが、1981年に、自ら監督・出演した『長江』で大借金。当初、2億円と見積もっていた予算が、最終的には30億円近くまで膨らんでしまい、金利を入れて35億円にもなってしまったという。しかし、この経験が本人いわく [全文を読む]

緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(12)若い頃は遅刻グセがあった

アサ芸プラス / 2015年01月02日09時57分

吉田が初めて高倉の主演映画に関わったのは「大空の無法者」(60年、東映)という作品だった。当時の東映は京都が主流であり、高倉や吉田がいた東京撮影所は日蔭の存在だった。 「当たらない映画が続いて東京撮影所は元気がない。健さんにしたって年下の中村錦之助、日活でも石原裕次郎や小林旭のほうが先に売れてしまう。あの頃の健さんの口ぐせは『明日があるから!』だったけど、 [全文を読む]

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