映画 小林旭に関するニュース

仲代達矢、映画会社と専属契約しなかった理由

シネマトゥデイ 映画情報 / 2017年06月29日22時14分

日本を代表する名優・仲代達矢が、今もなおカルト的人気を誇る主演映画『殺人狂時代』と自身の過去について、6月25日(現地時間)ニューヨークの映像博物館で行われたイベントで語った。 映画『殺人狂時代』は、『肉弾』『大誘拐 RAINBOW KIDS』などの岡本喜八監督がメガホンをとった1967年公開のコメディー作品。マザコンの犯罪心理学者・桔梗信治(仲代)が、溝 [全文を読む]

伝説の刺青師が明かす“日活&東映スター”交流秘話「酒盛りしながら唐獅子牡丹を」

アサ芸プラス / 2015年06月13日17時57分

九死に一生を得て復員後、映画俳優を志して銀幕の世界に飛び込んだが、数々のスターたちの背中に任侠を描き続ける「刺青師」を長年続けてきた男がいる。河野弘氏。戦争映画の軍事指導の他、私生活では戦死した兵士たちの鎮魂の活動も精力的に行う。そんな河野氏が振り返る「スターたちとの日々」とは──。 スクリーンに刺青が浮かび上がる。 龍と花との刺青を背負う親分玉井金五郎、 [全文を読む]

伝説の刺青師が明かす“日活&東映スター”交流秘話「女優と“博徒”の家に遊びに」

アサ芸プラス / 2015年06月14日09時57分

戦後は叔父が脚本家だった縁から映画俳優を志し、46年に東横映画に入社した。 2年後の春、京都で戦友との花見の帰り道、土浦航空隊に映画「ハワイ・マレー沖海戦」(42年、東宝)の撮影で訪れ、河野らが予科練習生として撮影協力、交流のあった藤田進と再会。藤田の薦めで、新しくできた新東宝撮影所に入ったが、55年にはやはり藤田の推薦で新しくできた日活撮影所に移籍した。 [全文を読む]

鬼才・小沼勝が愛した日活ロマンポルノと美しき女優たち

NEWSポストセブン / 2017年02月09日16時00分

小学生の頃から映画に親しんだ。中学2年で東京に転居し、一浪して日大芸術学部映画学科へ。就職活動では松竹の試験を受けて不合格になるも、大学の掲示版で「日活助監督募集」の告知を見て受験し、合格した。 小沼監督が入社した1961年の日活は、戦時中に撤退していた映画製作を再開して7年が経ち、石原裕次郎の登場で低迷期を脱した頃だった。「日活撮影所で裕次郎を最初に見た [全文を読む]

夭逝が多い?昭和時代の「あの」ヒーローたち

メディアゴン / 2016年03月07日07時40分

柴川淳一[郷土史家]* * *映画俳優・赤木圭一郎が生きていたら、今年で75歳になる。ジェームス・ディーンと八代目・市川雷蔵は同い年だから、生きていれば、共に84歳だ。プロレスラー・力道山は満91歳のはずだし、ジョン・F・ケネディは生誕99年を迎える。いずれも筆者の幼い頃のヒーローたちである。もしも、彼らが生きていたら・・・と今でも残念でならない。ジェーム [全文を読む]

高橋英樹が語る“寝ずに豪遊した20代”の思い出

WEB女性自身 / 2016年02月06日06時00分

それなら隠せばいい、着物を着せてしまえば見えないということになって、任侠映画に出ることに」 中山「それもすごい話ですね(笑)」 高橋「人生の転機でした。とにかく着物に慣れなきゃいけないと思って、着物を着て生活するようになり、日本舞踊を始め、勉強のために歌舞伎を見に行くように。初めはできなかったことを必死で覚えていくのは大変でしたけど、それも楽しかったですね [全文を読む]

【書評】制作現場を記録し続けた女性による戦後日本映画史本

NEWSポストセブン / 2014年06月06日16時00分

【書評】『スクリプターはストリッパーではありません』白鳥あかね/国書刊行会/2800円+税 【評者】坪内祐三(評論家) 国書刊行会の映画本にはハズレがないが、またまた読みごたえある本が出た。白鳥あかねの『スクリプターはストリッパーではありません』だ。スクリプターとは何か? それは序章「スクリプターという仕事」に詳しいが、ある意味でそれは監督以上に重要な仕事 [全文を読む]

浅丘ルリ子73歳「お付き合いしている人が3~4人」

WEB女性自身 / 2013年12月02日07時00分

’55年、14歳のときに『緑はるかに』で映画デビュー。以来、映画、ドラマに数多く出演し、現在は舞台を中心に活躍している。「私はこれまで158本の映画に出演してきましたけど、(小林)旭さんとは42本もご一緒しているんです。共演が多かった(石原)裕次郎さんでも37本ですから。旭さんとの出会いは私が主演の映画『絶唱』(’58年公開)でしたけど、それから“日活ゴー [全文を読む]

天才テリー伊藤対談「川地民夫」(3)小林旭はとにかく負けず嫌いだった

アサ芸プラス / 2017年09月23日12時57分

テリー 川地さん、当時は相当稼いでいたでしょう? だって、あの頃の映画スターですからね。川地 金なんか一銭もないですよ。映画に出て、終わっても「ご苦労さん」って20万かそこら渡されるだけですから。テリー 当時の20万って、今だと200万ぐらいじゃないですか。あの頃の初任給って1万~2万ですから、やっぱり相当なものだと思いますけど。川地 でも、当時の映画会社 [全文を読む]

星野源とライアン・ゴズリング。同い年で“今風モテ男”の共通点

女子SPA! / 2017年08月11日08時45分

ドラマや映画では役柄によって服装も違ってくるのですが、表彰式やCMなどではタイトなシルエット。『第9回 伊丹十三賞』の授賞式に登場した際に、ファッションデザイナーのドン小西氏(66)から「あまりにも普通すぎだよな」とか「山手線で座っていても違和感がないようなユルい個性」と評されたスタイル(『週刊朝日』2017年5月5-12日号)。 あれが世間の大半が思い浮 [全文を読む]

緊急追悼連載! 高倉健 「背中の残響」(12)若い頃は遅刻グセがあった

アサ芸プラス / 2015年01月02日09時57分

吉田が初めて高倉の主演映画に関わったのは「大空の無法者」(60年、東映)という作品だった。当時の東映は京都が主流であり、高倉や吉田がいた東京撮影所は日蔭の存在だった。 「当たらない映画が続いて東京撮影所は元気がない。健さんにしたって年下の中村錦之助、日活でも石原裕次郎や小林旭のほうが先に売れてしまう。あの頃の健さんの口ぐせは『明日があるから!』だったけど、 [全文を読む]

創業百年の映画会社「日活」の栄華と衰退の裏面史を描いた本

NEWSポストセブン / 2012年10月11日16時00分

【書評】『日活昭和青春記 日本でもっとも長い歴史をもつ映画会社の興亡史』(松本平/WAVE出版/1890円) 【評者】坪内祐三(評論家) 大正元(一九一二)年に出来た日活は今年創業百年に当たる。だからそれを記念した上映会やイベント、DVDの発売も数多い。そんな中で刊行されたのがこの『日活昭和青春記』だが、普通の人がイメージするいわゆる日活本とは趣が異なる。 [全文を読む]

大林宣彦監督 大震災で映画の製作をやめようと思ったことも

NEWSポストセブン / 2012年04月20日16時00分

カリスマ映画監督である彼が、それまでの撮影スタイルを脱ぎ捨て、デジタルカメラ5台、編集はパソコン1台のみを使い、自主映画としてでもつくりたかったこの作品。彼がどうしても伝えたかったこととは? 大林監督が語る。 * * * ぼくは、自身の古里である広島・尾道を舞台に、多くの作品を作ってきました。それは、町おこしなどといいながら、日本人の手で、敗戦後も焼け残 [全文を読む]

被災を乗り越えた石巻の老舗映画館がアート作品に「リボーンアートフェスティバル」

映画.com / 2017年08月17日18時00分

映画.com ニュース] 東日本大震災からの復興を支援する、現代アート、食、音楽のイベント「リボーンアートフェスティバル」が宮城県石巻地域を中心に開催中だ。アート部門では、津波で被災した石巻市の老舗の映画館「日活パール」を会場とし、アーティストの視点から劇場を再構築した作品が展示されている。 かつて歌舞伎座だった同館は、1950年代に洋画専門館から日活の [全文を読む]

買収に翻弄され漂流し続けた日活…「パックマン」生みの親との接点

Business Journal / 2017年02月07日06時00分

●日活の再建社長に 中村氏は、映画界にも足跡を残した。老舗映画会社の日活は、1960年代前半には石原裕次郎、吉永小百合、赤木圭一郎、小林旭などの“青春スター”を擁し、黄金時代を築いた。だが、映画は国民の娯楽のエースの座をテレビに奪われ、あっという間に凋落。日活は93年、会社更生法の適用を申請して倒産した。 会社更生法の終結に伴い、97年にナムコが30億円を [全文を読む]

日活調布撮影所“創る力”展 2月11日~14日開催

@Press / 2016年01月12日18時00分

1912年の創立以来、日活は100年を超える間、映画を創り続けています。1954(昭和29)年、調布に建設した撮影所は東洋一とうたわれ、黄金期には石原裕次郎、小林旭、吉永小百合、浜田光夫たち大スタアを生み出しました。その後、苦難の時代もありましたが、それを乗り越え現在も創り続けています。その中心にあるのは、「日活調布撮影所」でありそこで働く映画創りのプロフ [全文を読む]

小林旭と交際、裕次郎とは兄妹…浅丘ルリ子の衝撃告白が話題

NEWSポストセブン / 2015年07月18日16時00分

満州で生まれ、タイ・バンコクで迎えた終戦やその後の収容所生活などの幼少期、そして、映画『緑はるかに』のオーディションでヒロインに抜擢され、芸能界でスターの階段を駆け上がっていく様が描かれている。そんななか、「職場恋愛」と題した7月7日の連載第7回で、浅丘はかつて交際していた小林旭(76才)のことを語り話題になっている。 《一目会ったときから私は恋に落ちて [全文を読む]

裕次郎、渡哲也…浅丘ルリ子が語る昭和大スターとの交遊録

WEB女性自身 / 2015年05月05日07時00分

「(女優デビュー後)常時5〜6本の作品をかけ持ちしていて、映画1本を2週間で作っていました。だから、忙しいったらありゃしない。20歳のときが最多で、年間22本。でも、私だけではなく、当時の人気俳優・女優たちはみんな同じ状態なのよ」 こう語るのは、今年で芸能活動60周年を迎える浅丘ルリ子さん。’55年、映画『緑はるか』のヒロイン・ルリ子役で銀幕デビュー。その [全文を読む]

追悼・菅原文太 「仁義なき戦い」共演俳優たちが明かした秘話(2)酔うとマイクを離さない

アサ芸プラス / 2014年12月16日09時56分

従来の任侠映画では描かれないリアルなシーンだった。 ちなみに梅宮は、文太と酒を飲む機会も多く、本作の3年前には銀座で運命的な一夜を共にしている。 「俺と文太さんが銀座のクラブに行けばホステスがキャーキャーになるんだけど、1人だけ知らんぷりしている女がいた。いや、俺と文太さんが役者であることさえ知らなかったんだ」 それがクラウディア夫人だった。文太がキューピ [全文を読む]

元・日活看板女優75歳が福島復興にかける理由

WEB女性自身 / 2013年07月07日07時00分

石原裕次郎や小林旭らが活躍していた映画全盛期の1957年、彼女の主演した『肉体の反抗』が大ヒットし、日活の看板女優として人気を博した。主演した映画は40本以上。だが数年後、突如として日本映画界から姿を消す。彼女が24歳のときだった——。 「映画は大好きでしたけど。肉体派女優というレッテルに疲れきっていました。そんな役柄ばかり演じたことで、周りの人たち、とく [全文を読む]

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