徳川家康 徳川幕府に関するニュース

没後400年。天下人・徳川家康は睡眠時間を大事にしていた!

nemgym(ネムジム) / 2015年08月30日08時00分

天下を取った歴史上の偉人、徳川家康が亡くなってから約400年が経ちます。徳川幕府を築き、当時にしては非常に長い74年間を生きた徳川家康のライフスタイルは、いったいどのようなものだったのでしょうか。 徳川家康の1日のスケジュールって? 現代とはまったく異なる生活を送っていた歴史上の人物が、毎日をどのように過ごしていたのか気になりませんか。徳川家康の1日につい [全文を読む]

惟政と徳川家康の会談が舞台に!演劇「二人の英雄」2月19日に韓国で開演

スポーツソウルメディアジャパン / 2016年01月26日15時52分

そんな中、韓国と日本の民間分野を通じて、相好の文化交流をよりいっそう深める芸術公演のプロジェクトとして、惟政(ユ・ジョン=泗溟大師)と徳川家康の会談を演劇化することが決定した。タイトルは、「二人の英雄:泗溟大師と徳川家康」朝鮮時代の高僧である惟政と江戸幕府の初代征夷大将軍。400年前、二人の英雄の対面は、以後約260年の間に、韓国と日本両国および東洋平和の [全文を読む]

なぜ真田信繁は敗れ、家康は徳川幕府300年の礎を築けたのか

まぐまぐニュース! / 2016年02月17日02時20分

一拠点に固執しない 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康たち、いわゆる戦国時代の三英傑が天下を取れたのはなぜか、その理由は多くの歴史家に研究されてきました。 その性格、家臣団をまとめる経営術、軍略の巧みさなど、いろいろな理由はあります。でも、全国各地の戦国大名や領主たちと見比べて、なぜ彼ら三英傑が天下を取って、その他の大名や領主たちは天下を取れないのか、という視 [全文を読む]

<Wコラム>日本のコリアをゆく~広島・鞆の浦編1

Wow!Korea / 2016年04月22日23時53分

朝鮮半島に未曾有の被害をもたらした「文禄・慶長の役」は1598年に秀吉の死をもって終結するが、関ヶ原の合戦に勝利して江戸に幕府を開いた徳川家康は、朝鮮王朝との関係改善を願った。国内を安定させるためには、隣国と良好な関係を早く築くことが必須と考えていたし、外交使節を迎え入れることで徳川幕府の正統性を示そうとしたのである。率先して和議の仲介役となったのが対馬藩 [全文を読む]

「理想の社長」対決!秀吉と家康、カリスマ上司はどちら?

しらべぇ / 2016年04月04日05時30分

信長亡き後の日本を率いた二巨頭、豊臣秀吉と徳川家康もまた、人気のある歴史人物である。■「上昇」と「安定」の対決豊臣秀吉は名もなき貧農の生まれながら、己の才覚だけで出世を重ねついに天下を取った男。まさに日本史上最大のサクセス・ストーリーの体現者で、また強大な財力を背にしていたことから「上昇・拡大志向の政治家」と見なされる向きがある。一方、徳川家康は2世紀半存 [全文を読む]

400年の美。なぜ狩野派だけが、天下人の心を捉えたか?

まぐまぐニュース! / 2015年12月20日19時00分

画壇に君臨し続けた絵師集団「狩野派」とは 今年は琳派の祖・本阿弥光悦が徳川家康から与えられた洛北・鷹峯の地に芸術村を開いてから400年となる記念の年でした。 京都国立博物館でも琳派展が開催され俵屋宗達、尾形乾山、酒井抱一の「風神雷神図屏風」が一堂に集まり展示されました。琳派や朝廷の絵所預(えどころあずかり)として活躍した土佐派など、日本美術史には京都を起 [全文を読む]

【真田丸】名は武士の命 「幸」の一字に秘められた思いとは

しらべぇ / 2016年09月25日05時30分

たとえば徳川家康は、若いころの名前は「松平元康」。これは主君だった今川義元から「元」の字をもらってつけられたものだが、義元が死ぬと躊躇なく今までの名を捨てた。また、佐賀の大名鍋島直茂も、主君格の龍造寺隆信が生きていた頃は「鍋島信生」。「信」の字を捨てると同時に、直茂は龍造寺家から大名の地位を乗っ取ってしまう。武将の改名は、まさにその人物の心の中を表現してい [全文を読む]

後水尾天皇VS徳川家、孝明天皇VS井伊直弼の暗闘史

NEWSポストセブン / 2017年02月23日07時00分

ところが、この譲位は徳川家康に反対され、第3皇子の政仁親王(のちの後水尾天皇)に譲位することとなる。約300年続いた徳川幕府は、天皇とどのような関係を取り結んだのか。歴史家の八柏龍紀氏が解説する。 * * * 後水尾天皇が即位すると、幕府は本格的な朝廷統制に乗り出す。元和元年(1615年)、幕府は「禁中並公家諸法度(江戸幕府が天皇や公家を統制する法令)」を [全文を読む]

安部龍太郎が書きたかった「徳川家康」という男

プレジデントオンライン / 2017年01月02日11時15分

(作家 安部龍太郎 構成=岡村繁雄) [全文を読む]

徳川埋蔵金いよいよ放送 どう考えても「あるとしか言えない」ワケ

しらべぇ / 2016年12月21日10時00分

■家康の蓄財ぶりでは、徳川幕府の場合はどうか?徳川家康は、度を超えたケチとして有名だった。ちり紙1枚なくなると機嫌が悪くなり、なかなか服を新調しない。その上、つぎはぎだらけの羽織を着た者を褒め称えるということまでしている。それはすべて、「最悪の事態」に備えてのこと。蓄財に励む者こそが天下を制するという原理を、家康は早い段階で習得していた。そのような男が、徳 [全文を読む]

真田丸『第39話』解説。「幕府」という言葉に隠された驚きの事実

まぐまぐニュース! / 2016年10月02日22時00分

今回のワンポイント解説(10月2日) 「慶長8年(1603)、徳川家康は征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開いた…」とは、ナレーションなどでよく使われるフレーズだ。でも、このフレーズ、実はちょっと不自然。 そもそも「幕府」とは、軍陣における将軍のテントのこと。日本では近衛府のことを「幕府」と呼び、 右近衛大将だった源頼朝が征夷大将軍に任じられたことから、 [全文を読む]

【真田丸】戦乱の世は「震災期」 地震と日本史の関係を考察

しらべぇ / 2016年07月24日05時30分

つまり徳川家康は、地震の影響を上手く利用して天下取りを果たしたとも言える。だが皮肉にも、そのような過程で成立した徳川幕府は地震によって衰退した。ペリーの2度目の来航直後、日本は再び大震災期に突入。世に言う「安政地震」だ。これは江戸や東海地方、四国、九州などで多発した大地震の総称である。黒船来航は全国の尊王攘夷派が行動を起こすきっかけになったが、それに加え大 [全文を読む]

名刀コレクター徳川家康 信長や秀吉保有の名刀群も収集

NEWSポストセブン / 2016年04月18日16時00分

天皇家や足利家、織田信長に豊臣秀吉、徳川家康ら時の権力者たちがいかに刀を求めたかについて、時代小説家の牧秀彦氏が解説する。 * * * 刀剣は記紀神話にも登場し、その霊力で邪気を祓(はら)う神聖な武器として描かれている。天皇家は朝敵討伐の際にその威光を借り、権威を委任する証しとして「節刀」を用いた。その天皇家の武官たる立場にふさわしい重宝、つまり代々の宝と [全文を読む]

離宮に秘められた謎。京都の人に「徳川家」が嫌われている理由

まぐまぐニュース! / 2016年02月28日19時30分

このお寺は、江戸初期、徳川家康から三代将軍家光の頃の天皇、後水尾(ごみずのお)上皇とお世津(せつ)との間に生まれた第一皇女・梅宮(うめのみや)が、二代将軍徳川秀忠の娘・和子(まさこ)入内(じゅだい)により邪魔になり出家して、幕府から与えられていた寺でした。 次ページ>>京都の人たちが今でも「徳川家」を嫌う理由とは? 後水尾上皇は、公家諸法度(くげしょはっと [全文を読む]

ネタバレ注意!歯は抜け落ち、白髪だらけ…NHK大河ドラマ『真田丸』の今後の展開は?

tocana / 2016年02月11日19時00分

34歳、父(昌幸)とともに石田三成に従い、徳川家康と対戦。軍勢3万8000人の徳川秀忠を上田城にて軍勢2500人で迎え撃ち、勝利する。しかし、昌幸、信繁親子が加担した石田三成が関ヶ原の戦いで敗れたため、敗軍の将となったふたりは人里離れた九度山に流刑…。35歳、長男、大助誕生。(諸説あり)45歳、父(昌幸)死去。46歳、次男、大八誕生。(諸説あり)47歳、妻 [全文を読む]

[林信吾]【戦国・江戸・明治時代のXマス】~クリスマス特別編(下)~

Japan In-depth / 2015年12月24日11時00分

しかしこの禁令は、いつしかうやむやになってしまい、関ヶ原の合戦(1600年)を経て徳川家康の世となっても、切支丹はしばらく命脈を保った。しかし1613(慶長18)年、徳川幕府は禁教令を出す。これに伴う弾圧はまことに苛酷なもので、多くの殉教者を出した。徳川家康は信長や秀吉よりもはるかに用心深く、切支丹が日本を異教の支配下に置かんとする勢力の尖兵になることを真 [全文を読む]

大坂城豊臣石垣公開プロジェクト 太閤なにわの夢募金 国内最大のクラウドファンディングサイト「ジャストギビング」にて募集開始

PR TIMES / 2014年07月03日14時20分

しかし、徳川家康の江戸幕府が豊臣氏を破った1615年の大坂夏の陣により落城し、徳川幕府はその上を覆い隠すように徳川期大坂城を築きました。これまでの調査により、本丸地区の地下には豊臣秀吉が築いた初代大坂城の石垣(詰ノ丸石垣、以下豊臣石垣)が残されていることが明らかとなっています。 大阪市では、大阪城エリアの世界的観光拠点化にむけて、大坂夏の陣から400年の [全文を読む]

理想のリーダーに徳川家康、大石内蔵助、島津義弘らが挙がる

NEWSポストセブン / 2013年07月30日16時00分

NHK大河ドラマで4度も徳川家康を演じた津川氏は、「信長と秀吉の失敗から学び、御三家をつくって後継者問題を解決した」として徳川家康を推すと、諸田氏は「危機的状況では大石内蔵助のような、オレについてこいというリーダーが必要」と主張する。 他方、山内氏の推薦は、戦国大名の島津義弘。「関ヶ原からの敗走時、家臣は命を投げ打って義弘を守った。藩が生き残るためには義 [全文を読む]

松平定知氏「日本の礎を築いたのは明治政府でなく徳川幕府」

NEWSポストセブン / 2017年05月22日16時00分

僕は久松松平(徳川家康の異父弟の家系)で、家康とは遠くでかすかに連なる者として、多少「江戸」に肩入れしているところはあるかもしれませんが(笑)。 たとえば明治維新以降、徳川幕府の鎖国政策は間違いで、鎖国ゆえに日本の近代化が遅れたと批判されました。しかし、実際は「江戸四口」と言って、長崎でオランダに、薩摩で琉球に、対馬で朝鮮に、松前でアイヌにと、必要に応じて [全文を読む]

発案者は意外な人物!難攻不落の「秀吉の大坂城」落とした家康の作戦

サライ.jp / 2017年05月18日17時00分

攻め手の徳川家康が、まず1614年の「冬の陣」で20万の兵で豊臣軍10万超を攻撃し、いったん講和を成立させ、そして翌年の「夏の陣」でとどめを刺したことはよく知られています。 家康が一度で決着をつけなかったのは、大坂城の堅牢さゆえの作戦でした。秀吉自身が「誰もこの城は落とせない」と豪語した難攻不落の大坂城。その攻略法を家康が知ったのは、他ならぬ生前の秀吉本人 [全文を読む]

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