ヒット曲 桜田淳子に関するニュース

数字をもってることでは別格の「花の中3トリオ」

NEWSポストセブン / 2017年02月11日07時00分

森昌子と山口百恵はホリプロ所属で、同事務所は石川さゆりを入れてトリオで売り出す算段だったが、『津軽海峡冬景色』以前、ヒット曲に恵まれなかった石川に代わり、サンミュージックに所属した桜田淳子が「花の中3トリオ」となった。 同時期、「新御三家」と呼ばれた郷ひろみ、野口五郎、西城秀樹と「花の中3トリオ」は、『明星』や『平凡』の表紙を飾ったり、歌番組やドラマで共 [全文を読む]

相澤秀禎さん葬儀に参列、“そよ風の天使”桜田淳子の劣化ぶりに関係者騒然!

サイゾーウーマン / 2013年05月30日09時00分

桜田見たさに会場に残っていた芸能関係者も多かったですが、彼女が帰った後、『あまりに印象が違うので、警備に当たった関係者がいなければ、絶対に気づかなかったよな』と話す者も多かったですね」(別の芸能関係者) また、会場内では、サンミュージックゆかりの歌手のヒット曲が次々と流されていたが、「会場が最も驚いたのは、酒井のヒット曲『碧いうさぎ』が流れたこと」(同)だ [全文を読む]

「数字をもっている」と評判の森昌子 ブーム再燃か?

NEWSポストセブン / 2017年05月28日07時00分

青春歌謡がメインだった森昌子は、アイドルらしい明るい曲調の歌が多かった桜田淳子や、10代にして阿木耀子・宇崎竜童の曲を歌い上げた山口百恵に比べると、大ヒット曲が少なくなっていった。 [全文を読む]

紅白歌合戦“ドラマチック歌姫”の60年史!【<73年第24回>「ひなげしの花」アグネス・チャン】

アサ芸プラス / 2015年12月05日17時57分

当時のアレンジそのままにヒット曲をたくさん歌いたいし、もし紅白からオファーが来たら、喜んで出させていただきたいです。 [全文を読む]

海援隊 100万枚ヒット曲を出すも天国から地獄に真っ逆さま

NEWSポストセブン / 2014年11月22日07時00分

撮影■二石友希 ※週刊ポスト2014年11月28日号 [全文を読む]

76年の木之内みどりと岡田奈々(1)水島新司や倉本聰がシンパ

アサ芸プラス / 2013年07月12日10時00分

残念ながらヒット曲はなかったものの、雑誌でのグラビア人気は群を抜いて高く、山口百恵や桜田淳子を上回ることもあった。 若者たちばかりではなく、みどりに魅せられた大御所たちも開花に一役を買って出る。人気マンガの「野球狂の詩」(77年)の実写化において、水島新司たっての願いでヒロインの水原勇気に扮した。また脚本家の倉本聰の指名で、人気ドラマ「前略おふくろ様2」( [全文を読む]

百恵と淳子、大本命はアグネスだった

アサ芸プラス / 2013年01月17日09時59分

50年を超える「日本レコード大賞」の歴史でも、これほどヒット曲が並んだ新人賞レースは数少ない。 5人の中で最年長だったあべ静江は、ちょうど40年前の激戦を振り返る。 「本当に慌ただしい時間の中の1コマ‥‥私にとってはそんな感覚でした。歌手であることをアルバイトのように考えていた私は、最優秀新人賞を獲れるとも思っていませんでしたね」 あべは歌手デビューの前 [全文を読む]

大阪☆春夏秋冬「里奈卒業ライブ」詳報 最後の7人編成を目に焼き付けよ!

エンタメNEXT / 2016年12月23日08時00分

いったん舞台袖に引っ込んだはずのメンバーたちがステージに現われると、「♪ よーこそここへ クッククック わたしの青い鳥」と桜田淳子のヒット曲を歌いながら、7人組のトレインがステージ上を練り歩く。 もはやカオスと化した会場にはメンバーとファンの笑いがあふれ、多幸感が場を支配していた。これがしゅかしゅん流のサヨナラなのだろう。この日をもって7人編成のしゅかしゅ [全文を読む]

【著者に訊け】太川陽介 初著作『ルイルイ仕切り術』を語る

NEWSポストセブン / 2014年10月09日07時00分

表題は太川氏最大のヒット曲『Lui-Lui』(1977年)に由来。当時NHKの歌番組『レッツゴーヤング』では太川氏ら「サンデーズ」の各メンバーに都倉俊一氏が新曲を作るコーナーがあり、明るい曲調と眩しいまでの笑顔、そして「ルイルイ!」の決めポーズが話題となり、「ルイルイ、やって~」と、今でも55歳の元アイドルに求めるファンは多いとか。「本当に有り難い話です [全文を読む]

百恵と淳子、このままでは“美空ひばり”になってしまう

アサ芸プラス / 2013年01月15日10時00分

これが淳子の「第2章の扉」となり、75年は大ヒット曲を量産。この年、最もレコードを売った女性歌手となった。 谷田はデビューから77年までを「初代ディレクター」として担当し、後輩にバトンを渡す。それから長い年月を経て、谷田のもとに淳子から手紙が届いたのは99年のこと。ビクターを退職する際に、芸能界を離れていた淳子からのメッセージが寄せられた。 「谷田さんが作 [全文を読む]

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