厩戸皇子 聖徳太子に関するニュース

聖徳太子か厩戸王か論争 井沢元彦氏が称号の謎に迫る

NEWSポストセブン / 2017年04月12日07時00分

* * *「聖徳太子」というのは死後に送られた称号で、本名は「厩戸皇子」、または「厩戸王」です。ですから歴史学者が、正確を期すため本名の「厩戸王」で呼ぼうとするのは悪いことではありません。 しかし一方で、彼の功績が「聖徳太子」という名前とともに長く語り継がれてきたこともまた事実です。決してこの名前は教科書から消すべきものではありません。〈厩戸王は用明天皇 [全文を読む]

2016年に原発事故、日本沈没… 怖すぎて封印された聖徳太子の未来予言

ハピズム / 2013年04月28日21時00分

生まれた場所は宮中の馬小屋の前だったため厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていた。 馬小屋といえば、イエス・キリストも馬小屋で生まれている。そのため、聖徳太子はキリストの生まれ変わりだという説や、キリストの話が日本に伝来して聖徳太子の話になったという説もある。キリスト教が日本に入ってきたのは戦国時代と言われているが、それよりもずっと前の時代に、シルクロー [全文を読む]

2016年に東京壊滅、人類滅亡!? 封印された「聖徳太子の予言」に戦慄!

tocana / 2015年04月23日17時30分

宮中の馬小屋の前で生まれたため、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と呼ばれていた。 同じようにイエス・キリストも馬小屋で生まれている。実は、イエスと聖徳太子には類似点が多いのだ。2人とも不思議な能力を用いて人々を導き、様々な奇跡を起こした聖人であるという点。さらに、イエスはキリスト教の祖であり、太子は仏教を日本に広めた人物であるという点。そして、キリストは神の子 [全文を読む]

西郷どんは4日後に戦争突入。歴史上の人物は40歳頃ナニしてた?

まぐまぐニュース! / 2017年04月18日17時57分

聖徳太子こと、厩戸皇子。最近は教科書になんて載せるかが話題になったり、いなかったんじゃないかとまで言われる聖徳太子。生年に40を足した614年頃、何をしていたのでしょうか。 614年、犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)を隋へ派遣していました。遣隋使はこれが最後になりますので、高校で日本史を選択していた方なら習ったかも。 また翌615年に三経義疏(さんぎょうぎ [全文を読む]

小中学校で「聖徳太子」や「鎖国」が消える?そのワケは?

JIJICO / 2017年03月06日09時00分

また、ある年代以上の方には、「厩戸皇子」ではないのか?という疑問もあるかと思いますが、この点は、件の人物が活躍した6世紀末から7世紀はじめ、まだ「天皇」のことを「大王」と言っており、当然「皇子」の呼称もないため「王」が相当する、ということのようです。 「鎖国」を使わないことは本当に学術的判断からなのか? いっぽう「鎖国」の方はどうでしょうか?こちらは、も [全文を読む]

聖徳太子が中国の皇帝に「日没する処の天子」としたためた理由

まぐまぐニュース! / 2017年02月05日08時00分

最近の歴史の教科書には「厩戸皇子」と記述されている聖徳太子ですが、歴史の授業で「聖徳太子が中国の皇帝に出した手紙に『日没する処の天子(=中国)』と書いたことで皇帝が激怒した」と習ったことをご記憶の方も多いかと思います。しかし、今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』で紹介されている小学校教諭・齋藤武夫先生によれば、皇 [全文を読む]

NHK大河「おんな城主」が男だけじゃないギョーテン新説!(3)「仁徳天皇陵」は「大仙古墳」

アサ芸プラス / 2017年01月23日05時54分

これは「聖徳太子」という名前が、真田幸村のように死後に付けられた尊称で、生前名乗っていた「厩戸皇子」が正式な表記として記載されているため。ちなみに、現在の教科書では、「仁徳天皇陵」が「大仙古墳」、「踏み絵」は「絵踏み」となっている。 前出・大石氏が歴史の魅力を語る。「新説が出ることは、これまでの常識を否定されることではなく、新説・新史料を精査・再検証して新 [全文を読む]

SMAP解散と天皇「生前退位」の奇妙な共通点! そして聖徳太子の予言「2016年クハンダ襲来、東京壊滅」とは?

tocana / 2016年08月18日07時00分

厩戸皇子、壯(そう)に及びて未然を知ろしめたもう(太子、これから起こることを予知する)」 つまり、太子が予言者であったということは、日本の正式な歴史書が証明しているといえるのだ。 その予言を記録したといわれているのが、幻の予言書『未来記』だ。 [全文を読む]

<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓古代史が面白い」仏教伝来(中編)

Wow!Korea / 2016年06月25日22時41分

願をかけなければ……」厩戸皇子は霊木と称される木を切って四天王の像を即興で造り、束髪の上に載せた。「この戦、ぜひ私どもに勝たせてくださいませ。願いが叶いましたら、かならず寺塔を建てます」一心に祈る厩戸皇子。その姿を見ていたら、蘇我馬子も、仏に祈らずにはいられなかった。「我らをお守りください。勝たせてくださったら、寺塔を建てて三宝を広めます」■蘇我氏の天下蘇 [全文を読む]

大空出版、『聖徳太子は天皇だった』を発売 聖徳太子の実在論争に衝撃の新説!

@Press / 2014年11月06日12時00分

また、歴史の教科書においても「聖徳太子」から「厩戸皇子」へと表記の変更が進んでいます。 本書では、「万葉史観」によって『日本書紀』が隠蔽した真実を暴き、聖徳太子の実像を解明。「聖徳太子は、万葉集における軍王であり、斉明天皇の恋人であり、蘇我蝦夷であり、そして天皇だった。」という、聖徳太子の実在論争における新説について、当時の文献を紐解きながら解説します。 [全文を読む]

聖徳太子 実在疑問で教科書での存在が年々薄くなっていった

NEWSポストセブン / 2013年04月13日07時00分

いまから25年前、1988年の教科書では、〈推古天皇は、翌年、甥の聖徳太子(厩戸皇子)を摂政とし、国政を担当させた〉となっていたが、今年度の教科書では、〈推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた〉(以下、教科書の引用は山川出版社より)となっている。 聖徳太子より厩戸王という呼び名が強調され、「国政の担当者」から「協力者」に格下げさ [全文を読む]

末期癌の医師・僧侶、大麻に関する見解

NEWSポストセブン / 2016年12月15日07時00分

* * * 「忿を絶ちて、瞋を棄て、人の違うことを怒らざれ」という文は日本書紀第22巻で厩戸皇子(聖徳太子)が作った十七条憲法の言葉です。以来、このように自己を制御し、他者の価値観をも尊重する日本の文化が形成されました。 古代、日本の国は藤原不比等らによるグランドデザインによって形造られました。シナリオとシンボルと制度がグランドデザインの3要素です。日本 [全文を読む]

本日15時より天皇陛下がお気持ち表明 テレ東を含む全局が中継

しらべぇ / 2016年08月08日06時00分

604年に聖徳太子(厩戸皇子)が定めたとされる十七条憲法には、第3条に「承詔必謹」という言葉がある。「天皇の詔勅が下ったならば、必ず謹んで承らなければならない」という意味だ。そこまで歴史をさかのぼらなくても、今年83歳を迎えられる天皇陛下が語る「思いがにじみ出たメッセージビデオ」の内容に、謹んで注目したい。・合わせて読みたい→「太上天皇」復活か 生前退位の [全文を読む]

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