日本書紀 聖徳太子に関するニュース

聖徳太子か厩戸王か論争 井沢元彦氏が称号の謎に迫る

NEWSポストセブン / 2017年04月12日07時00分

【※注/他の人や生き物のために自分の命を捨てること】●怨霊を封じ込める観音像 聖徳太子の死後、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)は政争に巻き込まれた末に一家心中をしたと『日本書紀』に記されている。結果、聖徳太子一族は絶滅し、拠点であった斑鳩(いかるが)の地に彼らを偲んで建てられたのが、法隆寺の東院伽藍(がらん)とされる。 [全文を読む]

2016年に原発事故、日本沈没… 怖すぎて封印された聖徳太子の未来予言

ハピズム / 2013年04月28日21時00分

日本書紀』の巻の二十二には、太子が「兼知未然」と記されてある。未然は未来と同義語。つまり、聖徳太子には未来を示す予知能力があったことを日本の正式な歴史書が証明しているのだ。 [全文を読む]

2016年に東京壊滅、人類滅亡!? 封印された「聖徳太子の予言」に戦慄!

tocana / 2015年04月23日17時30分

■聖徳太子の幻の予言『日本書紀』にはこう記されている。「厩戸皇子、壯(そう)に及びて未然を知ろしめたもう(太子、これから起こることを予知する)」 [全文を読む]

カグヤ姫には隠し子がいた:684年白鳳大地震の満月津波のかげで/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2017年02月25日07時45分

というのは、正史の『日本書紀』に、この垂仁妃カグヤ姫の名は無く、垂仁本人も事歴が即位39年の後、48年も飛んで即位87年になっている。どのみち140歳まで生きたことになっているから、数字が合わないのは当然なのだが、古墳の殉死を埴輪に代えた、と言われることからすると、事実かどうかはともかく、人物埴輪の登場する400年代半ばと想定されていたのだろう。もう一つ、 [全文を読む]

存在感薄まる聖徳太子 十七条の憲法の功績も否定され始める

NEWSポストセブン / 2013年05月14日16時00分

「1996年に中部大の大山誠一教授が厩戸王は実在したが、聖徳太子の功績は『日本書紀』の編纂時に捏造されたものだとする論文を発表し、『聖徳太子非実在説』が論争を巻き起こしました。今では、教科書の記述が示すように厩戸王と死後に神格化された聖徳太子を分けるのが学会でも主流になっています」 さらに、聖徳太子の最大の功績とされてきた「和をもって貴しとなす」の条文か [全文を読む]

ミカンはどこからやってきた?:古代渡来人の秘宝/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2017年02月15日06時31分

次に出てくるのが、『日本書紀』と『古事記』。垂仁天皇が亡くなる直前の2月1日に、三宅(みあけ)氏の祖、多遅(たじ、田道間(たじま))守を「常世国」に使わせて、「ときじくの香久の木の実(非時香菓)」を探しに出した。しかし、天皇は、7月1日、纏向(纏向)の宮で亡くなり、菅原伏見陵に葬られた。奈良のその後の唐招提寺のすぐ西北のところ。多遅守は、翌年3月12日、 [全文を読む]

末期癌の医師・僧侶、大麻に関する見解

NEWSポストセブン / 2016年12月15日07時00分

2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、日本書紀に記された十七条憲法の「忿を絶ちて、瞋を棄て、人の違うことを怒らざれ」という言葉について田中氏が解説する。 * * * 「忿を絶ちて、瞋を棄て、人の違うことを怒 [全文を読む]

歴史学の最前線が明らかにする「神話と歴史」の事実! シリーズ〈本と日本史〉(1)『「日本書紀』の呪縛』(集英社新書)、11月17日(木)発売!

DreamNews / 2016年11月11日15時00分

第一巻が扱うのは『日本書紀』。歴史は常に勝者のものでした。『日本書紀』も、当時の権力者の強い影響下で生まれ、書物と書物の争いを勝ち抜いてきました。今日においても歴史の記述に大きな力を持つこの「正典」を最新の歴史学の知見をもとに読み解き、相対化します。 神武天皇が実在するかのような政治家の発言や歴史認識が物議を醸す昨今。 歴史学の最先端の知見をもとに、今な [全文を読む]

<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓古代史が面白い」渡来人の足跡(前編)

Wow!Korea / 2016年07月19日23時16分

広隆寺の成立を「日本書紀」はこう伝える。太子が言った。「私は尊い仏像を持っている。誰か、この仏像を祀る者はいないか」秦河勝が進み出て言った。「臣がこれを拝みましょう」秦河勝が仏像を受け、蜂岡寺を建立した。秦河勝が聖徳太子から譲り受けた仏像が、広隆寺の御本尊として現存する弥勒菩薩半跏思惟像だという。これは推古天皇11年(603年)の話だが、以後も秦氏の勇名は [全文を読む]

大空出版、『聖徳太子は天皇だった』を発売 聖徳太子の実在論争に衝撃の新説!

@Press / 2014年11月06日12時00分

■最新刊『聖徳太子は天皇だった』について かつて法隆寺を建立し、十七条憲法や冠位十二階を制定した歴史上の偉人として聖徳太子は広く知られており、その基本情報は『日本書紀』がもとになっています。その他にも、『聖徳太子伝暦』をはじめ『上宮聖徳法王帝説』や『扶桑略記』など、聖徳太子の偉業や逸話について記された文献は多く存在していますが、現在ではその多くが後付けの [全文を読む]

天皇は3カ月も湯治するほど温泉好き? 裏に血なまぐさい政争も

AOLニュース / 2013年10月21日15時00分

「『日本書紀』には温泉好きの天皇も登場する。舒明天皇は即位して3年目の9月に有馬温泉(兵庫県)に湯治に出かけたが、戻ったのは12月になってのこと。3カ月間の温泉湯治とは、なんともうらやましい話。舒明天皇は温泉湯治がお気に召したらしく、道後温泉(愛媛県)にも4カ月間滞在していたという」 温泉に3カ月も4カ月も滞在なんて、本当に「なんともうらやましい話」。さ [全文を読む]

【動画アリ】2週間で60万再生回数越えの“人魚動画”が話題!! 人魚の予言と歴史

ハピズム / 2013年06月11日21時00分

・『日本書紀』に書かれた人魚日本では、『日本書紀』に大阪で漁師の網に人魚がかかったと記されており、これが最古の記録であるといわれている。『古今著聞集』では、伊勢の国の漁師が人魚を引き揚げたことが記載されている「猿に似た顔をしており、口には細かい魚の歯が生えていた。頭部以外は魚のような形状。そして、人間のような声で泣き叫び涙を流していた」漁民たちはその姿を不 [全文を読む]

SMAP解散と天皇「生前退位」の奇妙な共通点! そして聖徳太子の予言「2016年クハンダ襲来、東京壊滅」とは?

tocana / 2016年08月18日07時00分

事実、『日本書紀』にはこう記されている。「厩戸皇子、壯(そう)に及びて未然を知ろしめたもう(太子、これから起こることを予知する)」 つまり、太子が予言者であったということは、日本の正式な歴史書が証明しているといえるのだ。 その予言を記録したといわれているのが、幻の予言書『未来記』だ。 [全文を読む]

聖徳太子 実在疑問で教科書での存在が年々薄くなっていった

NEWSポストセブン / 2013年04月13日07時00分

「近年、『日本書紀』や法隆寺系の史料研究をもとに、聖徳太子の実像については多くの疑問が提起されています。そこで、資料にはさまざまな見方があり、定説を疑うことを考えてもらうために掲載しました」 この記述は教科書や学校の関係者にも波紋を広げ、『教科書から消えた日本史』の著者で、文教大学付属高校講師の河合敦氏も、「私も聖徳太子の実在を疑ってきたひとりだが、つい [全文を読む]

ヘレン・ケラーが支えにした盲目の天才国学者、塙保己一の大偉業

まぐまぐニュース! / 2017年01月04日04時45分

日本後紀は、日本書紀に始まる我が国の六つの代表的な国史「六国史」の一つである。保己一の志とこの門人の熱意がなかったら、日本後紀は現在に伝わらなかったかもしれない。 刊行開始 また集まった古書をそのまま印刷するわけではない。それが原書であり、後世に残す価値のあるものでなければならない。保己一は集めた書物をつねに3人の門人に読ませて、正しいと思われるものをと [全文を読む]

古墳は土石流対策の灌漑施設?/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2016年11月21日07時00分

日本書紀』によれば、水上(みずがみ)池(狭城(さき)池)は、第10代崇神天皇が作ったとされているから、溜池の方が古墳より古い。つまり、これらは埋葬地としての古墳を古墳として作ったのではなく、溜池を掘った残土を中の島として積み上げ、その上に天皇や王族を葬った、というのが実情だろう。 水上池もそうだが、奈良や大阪の古い地図を見ると、溜池にはたいてい中の島があ [全文を読む]

崇神天皇の住吉大運河計画/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2016年11月05日15時00分

たしかに、日本書紀の仁徳14年に、石川の水を引くために大溝(おおうなで)を掘った、との記録はある。そして、その後の調査で、ほんとうに運河遺跡が発掘されてしまったのだ。幅10メートル、深さはところによって5メートルにもなる。 もとより生駒山系と金剛山系の間を大和川が駆け下り、金剛山系の石川と合流する柏原付近は、しょっちゅう氾濫していた。そこで、石川をまるまる [全文を読む]

寺院の数が多いのは福井県!

PR TIMES / 2016年08月31日15時39分

8世紀に編さんされた日本書紀には「天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまう」と記されており、日本人の宗教観は、この時代から培われてきたのがわかります。 また、同じ部屋に仏壇と神棚の両方を祀る場合、神棚は目線より上に、仏壇は正座して拝める高さに、向かい合わせにならないよう少しずらしてお祀りします。これは、片方を拝む時にお尻を向ける失礼がないようにするためだそうです [全文を読む]

恋愛成就! 京都の縁結び神社10選

マイナビ進学U17 / 2016年08月03日12時01分

御祭神である木花開耶姫命は女性の守護神として信仰されており、日本書紀にも登場します。最後に、京丹後市と舞鶴市に挟まれた宮津市の元伊勢籠(この)神社。伊勢神宮の天照大神、豊受大神がこの地から伊勢に移されたという故事から元伊勢と呼ばれており、イザナギノミコトがイザナミノミコトに会うために使っていた梯子とされる天橋立を臨めるスポットのひとつであることから、良縁成 [全文を読む]

<Wコラム>康熙奉(カン・ヒボン)の「日韓古代史が面白い」仏教伝来(前編)

Wow!Korea / 2016年06月23日17時11分

552年説は『日本書紀』の記述が根拠だ。一方、538年説は『元興寺縁起』(飛鳥寺の後身となる元興寺の由来を説明した書)や『上宮聖徳法王帝説』(聖徳太子の伝記)が元になっている。山川出版社の高校教科書『日本史』は538年説が有力だと紹介しているが、552年説を支持する学者もいる。年を確定する明確な証拠はまだない。いずれにしても、百済の聖王の使者が来日して、欽 [全文を読む]

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