越後 上杉謙信に関するニュース

真の敵は酒中にあり!? 戦国武将と酒をめぐる喫驚エピソード4つ

サライ.jp / 2017年06月11日17時00分

■2:上杉謙信――「越後の龍」を死に至らしめたの遠因は酒と塩?「過度の飲酒による死」といえば、上杉謙信にもその疑いがある。「越後の龍」こと謙信は、無類の酒好きであった。居城や上杉本陣での飲酒はもちろんのこと、敵の城の前で悠々と盃を傾けたという逸話も存在する。その上、彼の酒の肴はいつも梅干しか味噌だった。戦国時代当時、塩は金にも値した。現代でも熱中症予防には [全文を読む]

上杉謙信が愛用した「馬上杯」でSAKEを飲む!10月22・23日「上越妙高駅前 馬上杯でSAKEまつり」を開催

@Press / 2016年10月05日10時30分

株式会社北信越地域資源研究所(所在地:新潟県上越市、代表取締役:平原匡)は、当社が運営する北陸新幹線・上越妙高駅西口で展開する、コンテナを活用した商業施設「フルサット」内の立ち飲みコンテナ屋台「ご当地ソウル」にて、新潟県上越地域の地酒と食の一大イベント「越後・謙信 SAKEまつり」の連動企画、「上越妙高駅前 馬上杯でSAKEまつり」を2016年10月22日 [全文を読む]

武田信玄の武勇伝、上杉謙信の美談は嘘だった?謙信、“利益のない”戦いをひたすら続けた謎

Business Journal / 2015年07月08日23時00分

興味深いことに、この甲州軍学に対して越後軍学というのも江戸時代に流行します。こちらは謙信の家臣、宇佐美定行の子孫を自負する宇佐美定祐が始めました。彼は紀州藩の家臣です。8代将軍に紀州藩の徳川吉宗が選ばれると、紀州藩で始まった越後軍学は甲州軍学と対抗して広がるようになります。有名な「川中島合戦図屏風」が和歌山にある理由が、ここにあります。●リスペクト合戦 [全文を読む]

上杉謙信が義を通わせた道。越後と信州を結ぶ「塩の道」を往く

まぐまぐニュース! / 2017年02月28日15時10分

この道は、塩を待つ信州側では糸魚川街道と呼ばれ、塩を送り出す越後側では松本街道とも呼んだ。「塩の道」というロマンチックな響ききさえするネーミングは近年になってから。 信州など内陸部への移入路は昔から無数に開けていたという。信州は、海の遠い国であり、それだけ塩や魚など海産物に対する希求が強かった。千国街道が、数多い塩の道の中で特に著名になったのは、最も多く [全文を読む]

株式会社モニタス「好きな戦国武将ランキング調査」を実施。堂々の1位は「変わり者」で有名なあの人!? そして、2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送に先立ち、井伊直虎の人気についても公開!

DreamNews / 2016年12月29日12時00分

さらに、戦国最強の武将とも言われる越後の上杉謙信が同率でランクイン。その後は、2017年のNHK大河の主役の井伊直虎や、江戸幕府の創設者である徳川家康。さらに、織田信長の寵愛を受けた小姓・森蘭丸が入っていました。一方、50代男性の3位は上杉謙信と、川中島の戦いで大バトルを繰り広げ、彼の最大のライバルと言われる武田信玄が登場。そのあとは、黒田官兵衛や伊達政宗 [全文を読む]

「綺麗な甘み」が際立つ酒!池田屋酒造『謙信 純米吟醸・五百万石』【今宵の一献 第14回】

サライ.jp / 2016年10月22日17時00分

この「塩止め」によって窮地に追い込まれた信玄の危難を救ったのが、長く敵対関係にあった越後の上杉謙信でした。 もともと「甲相駿(こうそうしゅん)」の三国不可侵の和平協定は、信玄にとっては越後の謙信を牽制する策でもあったのですが――当の謙信は「争うべきは弓矢にあり、米や塩にあらず」として、越後の日本海ルートの「塩止め」を行うことはしなかったのです。そこから争 [全文を読む]

越後の龍・上杉謙信は女性?

デイリーニュースオンライン / 2016年07月25日14時00分

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武田家と上杉家の直系子孫が対談「父の代で関係が復活した」

NEWSポストセブン / 2016年07月11日16時00分

越後の龍”、“甲斐の虎”と並び称された宿命のライバルである上杉謙信と武田信玄。今回、両家の直系子孫である上杉家第17代当主・上杉邦憲氏(73)と武田家第16代当主・武田邦信氏(68)の対談が実現した。「川中島の戦い」から450年の時を経て、“龍虎”が再び相まみえる──。 上杉:私たちがお会いするのは初めてですよね。 武田:本家ではない上杉家の方とお会いす [全文を読む]

『真田丸』第5話をマニアック解説。景勝公の無口は本心隠す処世術?

まぐまぐニュース! / 2016年02月07日13時00分

景勝は北条軍の介入を排除し、景虎を倒して越後国主となったわけだが、内乱の後遺症として、越後国内の各所に火種が残ることとなった。この乱に際して、武田勝頼は当初は北条氏政と同盟関係にあったことから景虎を支援していたが、途中から景勝支援にスイッチした。この結果、勝頼の妹の菊姫が景勝に嫁いでいる。 ところで、ドラマに出てくるマップ、越後北部で上杉家の勢力が途切れた [全文を読む]

乙女ゲーム「いざ、出陣!恋戦」ドラマCDが2枚同時リリース、キャストコメントも到着

okmusic UP's / 2014年05月18日00時30分

戦国時代を舞台に、国の将来を託された姫と戦国武将たちとの恋物語を描く、PSP用恋愛シミュレーション「いざ、出陣!恋戦 第二幕」より、ドラマCD2タイトル『いざ、出陣!恋戦 第二幕 甲斐編 ドラマCD 真田十勇士がゆく!~河童編~』と『同 越後編 ドラマCD 武将探偵 上杉謙信 ~干し柿殺人事件~』が5月14日にリリースされた。【その他の画像】キャストのみな [全文を読む]

信玄(甲斐)と謙信(越後)の2人の銅像が建つのは何県か?

NEWSポストセブン / 2012年06月29日07時00分

戦国時代の武将、武田信玄(甲斐)と上杉謙信(越後)。信濃の支配を巡り「川中島の戦い(1553~64年)」にて5度も激しく戦うが、勝敗はつかず。後に信玄は上洛を志して徳川家康・織田信長連合軍を三方原で破るも、病死。信玄の没後、謙信は越中・能登・加賀へ進出。“越後の雄”となるが、病に倒れる。 こうした歴史の教科書で学んだ偉人の顔を眺めながら偉業を感じ取るのも [全文を読む]

家康が大化けしたわけ:甲州流軍学/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2016年10月17日07時00分

1561年には越後の上杉謙信と川中島の接戦を演じるも、勘助、信繁をともに失う。信玄は、その前年の桶狭間の戦いで今川氏が討ち取られたのに応じ、機動力を発揮して一気に反転し、南下西進。73年には三方ヶ原の戦いで家康を打ち負かす。だが、病状悪化、同年に死去。息子の勝頼は騎馬の機動力を駆使するも、75年、長篠の戦いで信長の鉄砲隊に敗れ、82年3月には信州高遠城を落 [全文を読む]

【新潟】真っ赤な焼きそば知ってる?赤・白・黒のご当地焼きそば

TABIZINE / 2016年08月24日10時00分

■関連記事 【新潟】世界も注目する!まるごと芸術の里「越後妻有」 http://tabizine.jp/2016/01/14/52985/ 妙高赤倉レッド焼きそば (C) facebook/妙高市観光協会 最後は『妙高赤倉レッド焼きそば』。ネーミングからも分かる通り、真っ赤な焼きそばですね。妙高市は上越市の南、隣県の長野市の北に位置する自治体で、妙高高原 [全文を読む]

梅干しと味噌で酒を痛飲の上杉謙信 死因は高血圧症か

NEWSポストセブン / 2016年05月24日16時00分

しかし、常に梅干しや味噌を肴に越後の酒を痛飲したという。そのため高血圧症となっていたことが類推できる。 1570年、謙信は脳卒中で倒れ左片麻痺となっている。その8年後の1578年3月、重臣たちとの酒席で便所に立った謙信は脳卒中を再発。一度は意識を取り戻したが、再び昏睡状態となり不帰の客となった。 ※病名などについては『戦国武将の死亡診断書』(酒井シヅ監修/ [全文を読む]

上杉謙信の兜 戦場で動きやすいよう風で折れた形のものも

NEWSポストセブン / 2016年03月22日16時00分

ここでは、「越後の虎」「毘沙門天の化身」などと称される、上杉謙信(1530~1578年)のものと伝わる3つの兜を紹介しよう(いずれも上杉神社所蔵)。 まずは「金箔押風折烏帽子形兜」(きんぱくおしかざおりえぼしなりかぶと)。烏帽子の形をした兜だ。戦場で動きやすいように風で折れたような形になっている。折れた部分は、2本の棒で固定されている。 続いて「金箔押唐草 [全文を読む]

上杉謙信は女だった!東村アキコ最新作「雪花の虎」全力最速レビュー

Woman Insight / 2015年09月11日11時00分

越後の春日山城城主・長尾為景のもとに待望の第三子が誕生した。軍神・毘沙門天の生まれ変わりとして将来を期待され産声をあげた赤子は……姫。落胆する為景だったが、すぐにこの子を姫武将として育てる決心をする。この姫こそ、武田信玄がライバルと認め、織田信長が恐れた戦国最強の武将……後の上杉謙信である! あの上杉謙信が女だったなんて、その題材だけで期待が高まる『雪花の [全文を読む]

武田家と上杉家当主 末裔ならではの気苦労を語る

NEWSポストセブン / 2016年07月14日16時00分

越後の龍”、“甲斐の虎”と並び称された宿命のライバルである上杉謙信と武田信玄。2人が五度にわたって干戈を交えた「川中島の戦い」は、いまでも伝説となっている。今回、両家の直系子孫である上杉家第17代当主・上杉邦憲氏(73)と武田家第16代当主・武田邦信氏(68)の初対談が実現。川中島から450年の時を経て、“龍虎”が再び相まみえる──。 〈上杉氏は東京大学 [全文を読む]

戦国大名が『源氏物語』を読んだのはなぜ? 戦国武将と意外な読書の遍歴

ダ・ヴィンチニュース / 2016年04月14日06時30分

越後の戦国大名、上杉謙信は林泉寺の天室光育(てんしつこういく)という禅僧に教えを受けており、また、謙信の養子となった上杉景勝、その重臣で大河ドラマにもなった直江兼続は北高全祝(ほっこうぜんしゅく)という曹洞宗の僧に教育をされた。独眼竜の伊達政宗を育てたのは虎哉宗乙(こさいそういつ)という禅僧であり、政宗が大人になってからも、政治・軍事・外交顧問のような役 [全文を読む]

偉人の年収ランキング 1位信長1750億円 坂本龍馬60万円

NEWSポストセブン / 2016年03月17日11時00分

(4位)上杉謙信:24万石・362億円 出羽、越後、佐渡、越中、能登などを領地とした時の石高が145万石。(5位)武田信玄:22万石・335億円 甲斐、信濃、駿河と遠江、三河、飛騨、越中などを領地とした時の石高は約134万石。(6位)伊達政宗:19万石・285億円 1589年の秀吉による小田原城攻めに参加する直前の頃、陸奥、出羽66郡の約半数を治めていた時 [全文を読む]

2016年は“戦国兜”ブーム到来!? 完全保存版の戦国武将“変わり兜”大全集

ダ・ヴィンチニュース / 2016年01月20日11時00分

変わった兜として、直江兼続の「愛」の前立て(兜の前につける飾り)が付いた兜をまっ先に思い浮かべる人も多いだろうが、これに匹敵する変わり兜が山ほどあったのだ! “越後の龍”と謳われた上杉謙信は、風で折れた形の鳥帽子をかたどり、大胆に金箔をあしらった兜を所有。戦場で使用するもの以外にも、透かし細工のものなど、凝った兜を製作していた。また、姫路城城主であった黒田 [全文を読む]

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