1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

失敗は自己責任? 個人の責任はどこまで追及されるべきか…【石井ゆかりの幸福論】

ココロニプロロ / 2021年2月25日 18時45分

もとい、人生にはもうひとつの「出口」があります。それは「出産・育児」です。
自分の生命力は、自分という個体の中ではかならず終わりますが、新しい人間に燃え移って、継承されていきます。一人の人の人生から、もう一つ別の新しい人生が「放出される」のです。
子供を生み育てることもまた、大きなリスクを引き受ける営為です。
でも、私たちの内なる激しい生命力は、そのリスクを負って、命を次世代につなげていきます。


こうして考えてみると、「幸福」とは、かなり複雑なものであることに気づかされます。
というのも、多くの人が「しあわせになりたい」と願うとき、最初に念頭に置くのは、自分自身の幸福であるはずです。
ですが、「自分の幸福とは何か」を考えていくと次第に、愛する人や子供の幸福が最大の条件となることは、珍しくありません。
さらに、「幸福とは何か?」という問いの答えが「苦しみや悲しみが訪れないこと」となる場合もあります。これは、ここまで長々と述べてきた「ゲートの開閉」の問題です。
喜びやゆたかさが私たちの生活に入ってくるとき、責任や義務、罪悪感などが一緒に流れ込んでしまうことも、よくあります。
幸福は、自分一人だけの世界では、完結しないのです。

私たちの人生は、常にいくつもの「出入り口・ゲート」によって、外界と繋がっています。ゆえに、私たち自身の幸福を考えるときはいつも、その出入り口から出入りするものに考えが及ぶのです。
出入りするものは、完全にはコントロールできず、出入りの際には常にリスクが伴います。そのリスクが現実のものとなったとき、多くの人が自分を責めますし、他人が自分を責めてくることもあります。でも本当は、それを「責める」ことは、ナンセンスなのです。


ゲートの開け閉めを失敗して、受け入れるべきではないものを受け入れてしまう経験を、ほとんど全ての人が持っているはずです。
一方、ゲートの開け閉めの賭けに運良く勝っただけなのに、「自分は自力で成功したのだ」と信じ切っている人は、少なくありません。
時限爆弾の青い線と赤い線のどちらを切るか、ノーヒントで決めなければならないような瞬間を、私たちは人生の中で、けっこうしばしば、経験しているのです。
そこで爆弾をバクハツさせてしまったとして、その人の責任を問えるでしょうか。
法的にはもちろん、そこがしばしば、問われます。
裁判の場では、それこそが「争点」になります。
でも、私たちが自分個人としての人生や幸福を考える場合は、どうでしょうか。
あるいは、自分にとってごく大切な人の人生について考えるときは、どうでしょうか。
かけがえのない大切な人が、赤か青か、間違ったほうを切ってしまったなら、私たちは基本的に、全力で相手をサポートしようと思うはずです。
自分もまた、同じ目に遭わないとも限らないことが、わかるからです。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください