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【ファッションの“未来”たちに聞く】ルーツを辿って行き着いた“オカン”と二人三脚で作るファッション--デザイナー村上亮太 1/2

FASHION HEADLINE / 2016年7月26日 21時0分

母・千明さんが子どもの頃の亮太さんのために編んだニット

日本のファッションの未来を担うであろう若き才能たちに迫る連載、「ファッションの”未来”に聞く」。第3回となる今回は、リョウタ ムラカミ(RYOTA MURAKAMI)のデザイナーである村上亮太に話を訊く。

上田安子服飾専門学校を卒業後、「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」でアシスタントを務めながら、「ここのがっこう」へ通う。実の母親と共同で手掛けた卒業制作が欧州最大のファッションコンテスト「ITS」にノミネートされ、注目を集める。でんぱ組.incへの衣装提供や、VOGUE ITALIAが主催したイタリアの百貨店「リナシェンテ」のウィンドウを手掛けるなど、活動は多岐に渡る。

今回のインタビューは、母親が描いたデザイン画が展示された「村上千明の絵画展」の会期中、阿佐ヶ谷のTAV GALLERYにて敢行。在廊中の村上を訪ねた。

ーーこの連載でみなさんに最初にお聞きしている質問です。ファッションに興味を持ったのはいつ頃でしょうか。

幼い頃は母親が作った服を着ていました。リボンがついている、女の子が着るようなセーターみたいなものです。それまでは、自分の服装を意識したことはなかったんですが、ちょうど小学3年生の時に引越しをしたんです。新しい学校に行くわけですが、そこで初めて「村上クンの服なんなの?」って違和感を持たれて(笑)。転校して不安な時期だったこともあって、いじられたことに対して、すごくショックを受けました。それから半間ぐらい不登校になりました。

その時に初めて、自分が着ているものを意識すると感情が生まれました。同時に、母親を馬鹿にされたような気持ちになって、すごく傷付きました。

デザイナー村上亮太さんと母・村上千明さん

ーー着ている服一つで不登校になる程いじられるって、子供は残酷ですね。お母さんには言い出しにくかったのでは?

そうなんですよ。でも、ずっと聞かれていたので、ついに告白したら、母親も「ごめんね」と、必死に謝られて。この後近くのスーパーで、みんなと同じような服をいっぱい買ってきてくれました。でもそれもまたなんかズレてるんです。プーマの偽物みたいな服でした(笑)。でも結局その新しい服を着て、また学校に通うようになりました。それから母親は服を作らなくなったし、僕も自然とそういうことがあったことを徐々に忘れていきました。

ーーデザイナーへのなろうという想いはどの辺りでお持ちになりました?

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