日本代表が経験した五輪予選「迷走」 監督交代でチーム激変…「7-2-1」の奇策も散った夢【コラム】
FOOTBALL ZONE / 2024年4月15日 12時39分
■92年大会から仕様が変更、「23歳以下」に出場資格
サッカー男子のパリ五輪アジア予選がU-23アジア杯として4月15日に開幕する。カタールで行われる同大会で、大岩剛監督率いるU-23日本代表が五輪キップ獲得に挑む。
16チームで争う大会で、アジア枠は3.5と狭き門。7大会連続出場中の日本は五輪の「常連」だが、1968年メキシコ大会の銅メダル以降、96年アトランタ大会まで28年も大舞台から遠ざかった時代があった。五輪サッカーがプロへ門戸を開き、年齢制限を設けた時期、アマチュアからプロへの過渡期にあった日本サッカーも迷走していた。(文=荻島弘一)
◇ ◇ ◇
1992年バルセロナ大会から五輪のサッカーは大きく変わった。出場資格に年齢制限が設けられたのだ。もともと、五輪はアマチュアの大会。プロは参加できなかった。しかし、IOCがプロ参加を解禁し、参加資格も徐々に緩和。プロ参加の世界一決定戦としてW杯を主催するFIFA(国際サッカー連盟)との交渉で、五輪は「23歳以下」の大会になった。
24年ぶり五輪出場への戦いが始まったのは、日本サッカーがプロ化への大きくかじを切る時だった。日本リーグのプロ化が決まり、93年リーグ発足時に参加する10クラブが発表されたのが91年2月。この年の6、7月にアジア予選がスタートした。
山口芳忠監督率いるU-22代表(91年時)は香港、インドネシア、台湾、ラオスとの1次リーグを首位で通過。92年にマレーシアで行われる最終予選進出を決めた。山口監督は大学生主体のB代表など若い世代の監督として実績を残していたが、日本サッカー協会(JFA)はチーム力強化のためにA代表の横山健三監督を総監督に指名。実質的な指揮官交代だった。
大一番を前にした「迷走」。山口監督を中心にまとまっていたチームへの影響は小さくなかった。選手も動揺した。横山総監督は1次予選を戦ったメンバーから半分近くを入れ替え。DF陣を厚くした選考で、チームも大きく変わった。
驚いたのは、最終予選に向けての戦略。簡単に言えば「引き分け狙い」だった。五輪キップは日本、韓国、中国、カタール、クウェート、バーレーンの6チームのうち上位3チームに与えられる。当時の勝ち点は勝利が2で引き分けが1。5分でも他チームの勝ち点次第で突破が可能だった。
前回の88年ソウル五輪予選と同じように「弱者」の戦い方だった。「アジアの中での日本の立ち位置からいって、普通に戦っていては勝ち抜くのは難しい」というのが横山総監督の考え。86年W杯、88年五輪で敗れている韓国や中国との戦いを強いられ、さらに西アジア勢も強い。当時は「それも仕方ない」と思えた。
横山総監督は「7-2-1」というとんでもないフォーメーションを口にした。DFを5人並べた上でMFのうち2人も守備専任。攻撃は2人のMFと1トップだけという布陣。90分間失点しないことに重きを置いた戦い方だった。
ところが、日本の「全試合引き分け狙い」の思惑は、初戦の中国戦に1-2と敗れて崩れる。2戦目でクウェートと引き分け、バーレーンに三浦文丈(筑波大)のハットトリックで6-1と大勝して「圏内」の3位に浮上するが、五輪出場の夢を見られたのはここまでだった。
4戦目で韓国に0-1で敗れて可能性はほぼなくなった。最終カタール戦はわずかな望みにかけて「奇策」に出る。センターバックで空中戦の得点源だったDF小村徳男を、まさかのFW起用。大量得点を狙って徹底的にゴール前にボールを上げたが、結局この試合も0-1で敗れた。最終的に6チーム中5位。カタール、韓国、クウェートの「23歳以下」チームがバルセロナ行きを決めた。
■五輪出場を逃し横山総監督も解任
決してメンバーがいなかったわけではない。いや、当時のメンバーのその後の活躍を見れば、タレントが集まっていたといってもいい。主将を務めたのは後に清水で活躍して代表入りもした澤登正朗(東海大)。DF名良橋晃(フジタ)、相馬直樹(早大)、小村、名波浩(順大)は98年W杯メンバーだ。
Jリーグ発足に向けて、大学生中心のメンバーの中にはプロ選手もいた。環境が違えば、サッカーに対する考え方も違う。直前で指揮官が代わったことも含めて「チームはバラバラだった」と振り返る選手もいる。日本サッカーがアマチュアからプロになる大きな流れの中でチームを1つにするのは難しかったのかもしれない。
五輪出場を逃した横山総監督は兼任していた代表監督も退任。直後にはハンス・オフト氏が初の外国人、初のプロとして代表監督に就任する。Jリーグ発足とともに日本代表も「プロ化」。次の96年アトランタ大会で28年ぶりに五輪出場を果たすU-23日本代表はMF前園真聖(横浜F)、GK川口能活(横浜M)ら全員がJリーガーだった。
銅メダルを獲得した68年メキシコシティ―大会から五輪の舞台を踏めなかった日本だが、Jリーグ発足後は1度も出場を逃していない。プロ化前、アジアの「弱者」だった日本代表の五輪への「迷走」も遠い昔。W杯より少ないアジア枠の中で積み重ねた驚異的な出場回数、8大会連続出場を目指す戦いが始まる。(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
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