「この矢よ、当たれ」藤原道長が兄・道隆主催の〈弓の試合〉に出場して迷わず的の中心を射抜いたワケ
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年5月19日 10時15分
(※写真はイメージです/PIXTA)
吉高由里子さんが主演する大河ドラマ『光る君へ』(NHK)が放送中です。物語は、吉高さん演じる、のちの紫式部“まひろ”と柄本佑さん演じる藤原道長の間の特別な絆を軸に進んでいきます。「中宮大夫」となった道長ですが、彼は中宮大夫“らしからぬ”行動ばかり取ります。本稿では、平安文学研究者の山本淳子氏による著書『道長ものがたり』(朝日新聞出版)から一部抜粋し、はみ出した行動を取り続ける道長の真意に迫ります。
三年後もはみ出し「中宮大夫」
道長は、定子の事務方長官に就きながら、彼女の一世一代の儀式を欠席した。道隆に反発する意図があったと感じるのは、1000年後の私たちだけではない。日記を記した実資自身が、そう受け取っていた節がある。というのも、実資は『小右記』で道長を滅多に「中宮大夫」と呼ばないのである。
貴族の日記は、上級貴族のことは原則として肩書で呼ぶ。または肩書に本名を添えて呼ぶ。だが上級貴族はいくつもの肩書を持つ場合があり、そのうちどれで呼ぶかは日記を記す者の自由である。『小右記』は、道長が中宮大夫となっても彼をほとんど「中宮大夫」と呼ばず、以前と変わらず「右衛門督」と呼び続けている。
「中宮大夫」と呼ぶのは5年にわたった在任期間のうち四回きりで、最初の一回は道長が大夫になった時、最後の一回は長徳(ちょうとく)元(995)年、道隆が死を前に出家を遂げたことを、道長が定子の事務方の立場から実資に告げてきた時。それらの記事を除くと、実資はわずか二回しか道長を「中宮大夫」と記してはいない。そしてその二回が、いずれもきわめて意味深なのである。
ここでは、このうち一つ目を掲げよう。道長の中宮大夫就任から3年の時が流れた、正暦四(993)年。道隆邸で弓の遊びが行われたとの記事である。
昨日、摂政第(てい)に於(お)いて射有り。内大臣以下、公卿多く会す。前日の弓の負態(まけわざ)と云々(しかじか)、藤大納言〈朝光(あさてる)〉、銀の弦袋を以(もつ)て懸物(かけもの)と為(な)す。而(しか)るに主人、虎皮の尻鞘(しりざや)を以て相替へ懸くと云々。上下以て目すと云々。中宮大夫〈道長〉、中科(ちゆうか)。
(昨日、摂政・道隆様の邸宅で弓の試合があった。内大臣の道兼様以下、多くの公卿たちが参会した。前日の弓の試合に負けた罰ということで、大納言の藤原朝光が、銀の弦袋を今回の賞品に用立てた。ところが主人の摂政殿は、それに替えて虎皮の尻鞘を賞品にするという。これには皆が目を付けたとか。中宮大夫・道長が的の中心を射貫き、賞品を手にした)
(『小右記』正暦四年三月十三日)
道隆邸で弓の試合が行われた。大勢の公卿が集まる大掛かりな催しである。当初決まっていた賞品があったが、道隆はそれに替えて、虎皮の尻鞘(しりざや)を優勝賞品に立てた。虎の皮というからには舶来(はくらい)、派手好きな彼らしい大盤振る舞いだ。そしてそれを手中にしたのが、「中宮大夫」道長だった。
この頃、道長は権大納言に昇進していて、『小右記』は前後の記事では彼をその肩書で呼んでいる。だがここだけは「中宮大夫」である。道隆邸で行われた弓の儀だから、道長はその娘に仕える中宮大夫として参加したということか。しかしそれならば、彼は主催者側として配慮しなくてはならない立場にある。現代の接待ゴルフ同様、皆がときめいた豪華優勝賞品を、もてなす側が奪ってしまうのはマナー違反だ。
ところが道長はそうした。それも、「中科」つまり的の真ん中を射貫き、優勝したのだ。彼は「中宮大夫」なのに「中宮大夫」らしからぬ行動をとった。おそらく故意に、である。実資はそれをおもしろがり、あえてここでは「中宮大夫」の呼び名を使ったのだろう。先に意味深と言ったのは、そのためである。
「この矢よ、当たれ」
国史学者の倉本一宏(くらもとかずひろ)氏は、この実話から『大鏡』の次の逸話が作られたものと想像する。『大鏡』は弓の儀を、史実の翌年の正暦五(994)年八月以降の、道隆がわずか21歳の息子・伊周(これちか)を内大臣にひきあげ、道長は甥の下の官職に甘んじる屈辱を味わっていた時期に設定している。
逸話でも『小右記』の史実同様に道隆邸で弓の儀が行われるが、招かれてもいなかった道長がぶらりと現れるのは『大鏡』お得意の演出である。道隆は驚きながらも歓待し、道長に射させた。
すると、伊周に花を持たせる出来レースの予定が、矢数二本の差で伊周の負けとなってしまった。道隆も客たちも伊周を応援し、逆転を期して二本分の延長戦を行う次第となった。
やすからず思しなりて、「さらば、延べさせ給へ」と仰(おほ)せられて、また射させ給ふとて、仰せらるるやう、「道長が家より帝(みかど)・后(きさき)立ち給ふべきものならば、この矢当たれ」と仰せらるるに、同じものを中心(なから)には当たるものかは。
次に、帥殿(そちどの)射給ふに、いみじう臆(おく)し給ひて、御手もわななく故(け)にや、的(まと)のあたりにだに近く寄らず、無辺世界(むへんせかい)を射(い)給へるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射給ふとて、「摂政・関白すべきものならば、この矢当たれ」と仰せらるるに、はじめの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させ給ひつ。
(道長殿はうんざりして「さらば、延長なされ」と仰せになり、再び的に向かって立つやおっしゃった。「道長の家から帝・后が立ち給う運命ならば、この矢当たれ」。すると当たるどころではない、的の中心を射貫いたではないか。
次に伊周殿が立たれたが、ひどく気圧されて手がぶるぶる震えていたためか、的から逸れてあらぬ所を射てしまったので、道隆殿は青くなった。次はまた道長殿の番だ。今度は「私が摂政・関白をする運命なら、この矢当たれ」と仰せになって射ると、初めの矢同様、的も破れんばかりに中心を射貫かれたのだった) (『大鏡』「道長」)
史実として、道長は道隆邸で空気を読まず、勝利を奪った。そこにヒントを得たのだろう、『大鏡』はこれを天道(てんとう)からの啓示という逸話に作り替えた。息子可愛さで負けを認めない卑怯な道隆。怒りをこらえ、逆にこれを機会として天に問いかける道長。天は答えた。彼の家から帝が生まれる。そして彼の娘は母后(ははぎさき)となる。そして道長自身は、摂政・関白になる。それは天の決定なのだと――。
これは史実ではない。だが史実に照らしても、少なくとも道長が道隆・定子の配下に甘んぜず、意識的にはみ出した行動をとっていたことが窺われる。そして『小右記』を見る限り、実資のような中立派は、道長のスタンスを認めつつ高みの見物を決め込んでいた。
山本 淳子
平安文学研究者
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