中国共産党100年史とアメリカ その4 アメリカは国民党と手を結んだ
Japan In-depth / 2021年11月12日 13時41分
「夕食後は洞窟の周恩来の宿舎に招かれた。すると毛沢東が悠然と部屋に入ってきた。彼は輝く聡明そうな目や若々しい表情の芸術家を思わせる大男だった。現地産らしい毛織りの暗青色の人民服を着ていた」
▲写真 毛沢東(左)(1900年) 出典:Bettmann/GettyImages
「延安で実際に活動する生身の共産主義者たちと友好的かつオープンに交流し、中身のある意思疎通することは新しい刺激的な体験であり、禁断の果実を味わうことにも似ていた」
こうした印象を受けたエマーソンはチャイナ・ハンズではなかった。ソ連の共産主義独裁の苛酷さも知っていた外交官だった。だがそれでも中国共産党の幹部たちには好感を抱いたのである。
ちなみに彼は延安でそのころ日本から脱出して反日闘争を展開していた日本共産党の野坂参三とも面談している。野坂らが主宰した「日本人民解放連盟」という共産主義組織が、捕虜となった元日本軍人を集めて思想教育をする「日本労農学校」にもエマーソンは何度も招かれたという。
しかしこうしたアメリカと中国共産党との連携も日本の敗北の後は大きく変わっていった。国民党と共産党の内戦が激化するなか、アメリカは明確に国民党を支援したからだ。
そしてアメリカとソ連共産主義政権との対立が深刻となり、アメリカ官民は共産主義の脅威への警戒を強めるにいたった。
中国内戦では共産党が勝利をおさめ、1949年10月1日に中華人民共和国の樹立が宣言された。だがアメリカ政府はその中国を承認はせず、台湾に敗走した国民党政権を唯一の中国合法政権として認め、相互防衛条約までを結ぶ。
(その5につづく。その1、その2、その3。全5回)
**この記事は日本戦略研究フォーラム季報2021年10月号に掲載された古森義久氏の論文の転載です。
トップ画像:ディキシー使節団と中国軍(1944年1月1日)
出典:Photo by FPG/Hulton Archive/Getty Images
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