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赤狩りと恐怖の均衡について(中) 「核のない世界」を諦めない その4

Japan In-depth / 2024年4月26日 17時0分

赤狩りと恐怖の均衡について(中) 「核のない世界」を諦めない その4




林信吾(作家・ジャーナリスト)





林信吾の「西方見聞録」





【まとめ】





・アインシュタイン博士、戦後、反核運動の旗振り役を勤めた。





・1949年8月29日、ソ連は原爆実験に成功した。





・1960年代から70年代にかけて核開発競争は加速度的に進んだ。





 





「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーが、1950年代の米国を震撼させた「赤狩り」に巻き込まれたのは、若い頃から共産党員と親しい関係(例・不倫)にあったことと、より直接的には、米国の水爆開発に難色を示し、当時のソ連邦が水爆の開発競争で米国に先んじかけたのを、間接的に助けたのではないか、と疑われたからだと、前回述べた。





今さらながらだが、原子爆弾(原爆)は、ウランやプルトニウムの核分裂反応を爆発力に変えるのに対して、水素爆弾(水爆)は重水素や三重水素(トリチウム)の核融合反応を爆発力に変える方式である。その「引き金」として原爆が用いられるが、原爆そのものとの比較で言うと、放射能によって土壌が長期間汚染されるなどの副次的被害は、むしろ少ないとされている。





その代わり、というのも妙なものだが、爆発力は文字通り桁違いで、原爆はTNT爆薬換算でキロトン、すなわち100万倍で表されるが、水爆はと言えば、さらにその1000倍のメガトンという単位が用いられる。





また、一口に核爆弾と言っても様々な仕様があり、広島と長崎に投下された原爆は、それぞれ異なるタイプであった。





俗に広島型・長崎型と呼ばれるが、広島型は非常に燃えやすい性格を備えたウラン235を用い、筒状の爆弾本体の両端に分離装填し、これを高性能爆薬の力で一挙に核分裂させる方法で起爆した。細身の外見から、砲身型原爆とも呼ばれるが、米軍ではリトルボーイ(ちび)というコードネームを用いた。





一方の長崎型は、プルトニウム239を球形の中心に置いて、周囲を爆薬で囲み、その爆発力で一挙に核分裂を起こさせる方式で、爆発力は広島型の1.3倍に達したという。広島型に比べてずんぐりした形状で、米軍のコードネームもファットマン(でぶ)であった。





話を戻して、学者として原爆の開発に関与していながら、その被害の実態を知るにつれて、激しく感情を揺さぶられたのは、オッペンハイマーだけではなかった。映画にも登場するアルベルト・アインシュタイン博士もその一人である。





米国生まれのオッペンハイマーと異なり、ドイツ系ユダヤ人で、ナチスによる弾圧に遭い、米国に亡命してきた彼は、ナチス・ドイツが原爆の開発に着手したとの情報を得るや、複数の学者と連名で、米国も開発を急ぐべきである、との書簡をホワイトハウスに送った。戦後、このことに対する自責の念を繰り返し吐露して、反核運動の旗振り役も勤めている。





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