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奈良東大寺の伝承「神様遅刻」の真相は? 福井「おにゅう」から読み解く水銀との関係

共同通信 / 2024年4月21日 18時8分

東大寺二月堂の仏教修行「修二会」(お水取り)で、お堂に浮かび上がる籠たいまつの炎=2024年3月12日、奈良市(多重露光)

 若狭の神様が漁に夢中で、神々の集まりに遅刻した―。例年多くの観光客が訪れ、大きなたいまつが有名な東大寺二月堂(奈良市)の仏教修行「修二会(しゅにえ)」には、こんな滑稽な伝承がある。

 「伝承の裏に国家的な水銀不足という大問題があった」と新説を唱えるのは、奈良教育大の渡辺伸一教授(社会学)だ。伝承と奈良の大仏をつなぐ、その説とは。(共同通信=佐藤高立)

 修二会は毎年3月、11人の修行僧「練行衆(れんぎょうしゅう)」が本尊の十一面観音菩薩に懺悔(さんげ)し、人々の幸福を願う。「お水取り」とも呼ばれ、「若狭井」という井戸から「お香水(こうずい)」をくみ上げる一部非公開の儀式がある。大仏開眼と同じ752年から続く伝統の行事だ。

 二月堂には、ある伝承が残る。修二会に際して全国の神々が東大寺に招かれたが、若狭(現・福井県)の遠敷(おにゅう)明神が漁に夢中になり遅刻した。おわびに、本尊に供える水を献上すると約束したというものだ。

 これに由来し、遠敷明神のお膝元である福井県小浜市では毎年3月、お香水を遠敷川に注ぐ「お水送り」という神事がある。お香水は10日間かけて地下を通り、奈良の若狭井に至るとされる。

 福井県には水銀の元になる鉱物「辰砂(しんしゃ)」の産出を意味する「丹生(にゅう)」という地名が残っており、小浜市でもかつて「遠敷」は「小丹生(おにゅう)」と書かれていたという。加えて辰砂の採掘跡が発見されたことなどから、渡辺教授は遠敷明神が水銀をつかさどる神だとみる。

 さらに修二会の開始が大仏開眼と同じ752年という点に着目。大仏の金めっきに使う水銀の調達が遅れ、その年の4月の供養までにめっきできたのは仏顔だけだった。その事実が「水銀の神の遅刻」と表現されたと考えた。「水銀不足は、神をおとしめるほど、よっぽどのことだったのではないか」

 渡辺教授は「遠敷明神は漁で遅刻するように、滑稽に描かれていますよね」と笑う一方で、「遅れという視点から修二会と大仏めっきとを関連づけた伝承の解読は初で、その点に意義がある」と語った。

 ▽大仏と水銀 奈良市の東大寺の本尊である国宝・盧舎那仏(るしゃなぶつ)は743年、聖武天皇が造立の詔を出した。地震や戦火で損傷し、奈良時代のまま残っている部分はわずかだが、当初は金めっきがされていた。

 めっきは金と水銀を混ぜた合金を塗り、水銀を蒸発させる方法で行われたが、752年の開眼供養では、仏顔など一部しか間に合わなかったとされる。

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