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<人の死で潤っているのは誰だ?>一般市民の銃規制を議論し、国家の武器調達には口をつぐむ「二重基準」

メディアゴン / 2015年12月6日 7時30分

茂木健一郎[脳科学者]

* * *

アメリカで起こった銃乱射事件について、背景として「テロ的要素があるかどうか」が関心をひいている。事件の後で出された分析の中に、「もしテロだったら、銃規制の議論にはつながりにくいだろう」というものがあって、ううむと考えこんでしまった。

銃規制の必要性の議論の背景には、一般市民の突発的な行動がある。銃があると、ある確率で、それは使われる。精神的にバランスを崩してのことかもしれないし、恨みや偏見かもしれない。いずれにせよ、テロのような、「大きな意図」がなく、銃が使われる可能性がある。

一方、テロは、明確な意図があり、組織が背景にあって行使される。そのような場合には、銃規制の問題そのものにはつながらないと一般には認識される。そこには、テロ組織が武器を手に入れることは、いわば必然であり、仕方がないという認識があるようだ。

ここには、武器の調達に対する明らかな二重基準がある。一方では市民の武器入手がある。他方では、国家や組織による武器入手がある。前者はランダムな暴力につながり、銃規制の対象になる。ところが、後者は、いわば必然であり、その武器入手は通常議論の対象にはならない。

たとえば、シリア内戦での政府軍やISが武器をどのように入手したかは、通常は不問とされる。彼らは自分たちで武器を製造しているわけではないだろう。どこかで誰かが武器をつくり、それを売っている。その武器が殺戮に使われる。その銃規制は、誰も問題にしない。

ぼくがいつも疑問に思うのはここだ。ISに武器を提供しているのは誰なのか? シリア政府には? そのような「死の商人」の国際的なネットワークがなければ、彼らがやっているような蛮行は、そもそも物理的に不可能だろう。

一般市民に対しては銃規制の問題を議論し、国家や国家に準じる組織の武器調達については、口をつぐむという二重基準。しかし、一般市民が使おうが、国家や準国家が使おうが、武器は同じように人の命を奪う。

二重基準の欺瞞は、平和にとっての最大の敵である。人の死で潤っているのは誰なのか。



(茂木健一郎)

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