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<「空気を読む」能力に価値はない?>読めて当たり前の「空気」を「読める・読めない」という愚

メディアゴン / 2016年2月8日 12時52分

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西野亮廣[芸人(キングコング)]

* * *

世界的なジャズピアニストが如く、連日パソコンのキーボードを天才的スピードでパチパチ叩いております。とくに今は、夏に出版するエッセイ『実験ノート(仮)』の執筆もあって、一日の文章量はモーレツなことになっています。

そんなわけで、このエッセイのネタの一つを備忘録としてココに書いて、あとで清書しようと思います。

ときどき「ら抜き言葉」の指摘に人生を捧げている歯抜けババアに出くわすんだけど、日本語の乱れをウンヌンカンヌン言うんだったら、「よろしく願い奉りはべり」を一生言ってろ、と思ってしまう。

「煮詰まる」の本来の意味は、議論や話し合いで考えやアイデアが出尽くして、そろそろ結論が出る段階のことなんだけれど、今は「八方塞がり」や「頭打ち」といった意味で使われている。「的を射る」も、すっかり「的を得る」になっちゃった。

でも、別にいいじゃんね?

星の数ほどの理不尽を抱え、23.4度ほど首を傾げながら、それでも地球は容赦なく回る。常に変化していく時代の流れを、瑣末なことばかりに支配されてしまう人間ごときが止めれるハズがない。

そもそも、言葉というのはコミュニケーションをとる為に生まれたんだから、よりスムーズなコミュニケーションがとれるモノをチョイスすればいい。

大切なのは前に進むことだ。それらを踏まえた上で、ここから前に進む為に、今一度、「空気を読む」という言葉の意味を明確に定義しておいた方がいい。

今、「空気を読む」は、「多数派につく」という意味として使われている。小舟と大船があったら、大船に乗ることを「空気を読む」としている。とにかく人が多い方をチョイスすることを「空気を読む」としている。

・・・とすると、「空気を読む」という能力には1ミリの価値もないんだよね。「俺は空気が読める」とか言っちゃう奴には知性の欠片もない。空気なんて読めて当たり前。パッと見て、人が多い方を選べばいいだけだから。皆が黙っていれば、黙ればいい。それだけ。

ただし、「空気を読む」という行為が、正解か? となると、それは、また別次元の話。どれだけ船が大きくても、タイタニック号に乗れば、数字時間後には死ぬわけだから。大切なのは、航路や船底や積み荷量を点検し、キチンと目的地に着く船を選べる能力を養うことだ。

それこそが「空気を読む」の本分なんだけど、今は違った意味として使われている。もちろん、大きな船が安全に目的に着く多場合もある。むしろ、その方が多い。

なので、決して、「少数派を選べ!」という話ではなく、選考理由を『人数』にしてしまう「空気を読む」という行為が、あまりにも危険すぎるという話。

空気なんてサルでも読めるんだから、「空気が読める・読めない」なんてバカなこと言ってないで、「こっちの船が大きくて、あっちの舟が小さいことは誰でも分かります。その上で…」というレベルで話を進める癖をつけた方が、未来が明るくなるんじゃないかな。



(キングコング西野)

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