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<中村うさぎの降板が意味するもの>テレビ業界に減った「才能ある怪しいTVマン」たち

メディアゴン / 2015年3月4日 0時58分

吉川圭三[ドワンゴ 会長室・エグゼクティブ・プロデューサー/元・日本テレビ ゼネラル・プロデューサー]

* * *

MXテレビ「五時に夢中」に出演していた作家・中村うさぎさんが1月30日に本人のブログで降板を表明した。

いろいろ内部事情があったみたいだが、経歴も含めて私は妙にこの人のファンだったので、あの「何か危ういヤバい感じの人」がテレビから消えてしまうのはちょっとさびしい気がした。こういう<テレビ番組に果たして出して良いのか悪いのか?>まったく分からない「境界線」の人って面白い。

筆者もこれまで「境界線」の人をバラエティ番組に一杯出して来た。現在のように大メジャーになる前の美輪明弘さん、後期の故・岡本太郎さん、何を言い出すか分からない怪優の故・大泉滉さん。・・・こういった方たちはなかなか容易にコントロールできないが、予測が不可能なので上手くハマれば大いに爆発してくれた。

一方、素人さんのテレビ出演についてだが、かつて筆者の制作した「たけし・さんまの超偉人伝」(日本テレビ)はそんな奇人・変人・怪人の陳列番組だった。

・「東北の田舎の沢で毎日じっと河童の帰りを待つ老人」
・「ナポレオンの使っていた傘とか毛沢東の杖とかインチキそうな品を売りつける口上の怪しい骨董屋の親父」
・「世界の男女風俗(彼が集めた世界中の女性の下の毛も含む)を研究し歴史的遺物(?)と称して収集・陳列する関西の怪老人」
・「八百屋の店先で野菜を売りながら奥で山の様な仏壇を売る大阪のおばさん」

(正直言うと、当時、関西ローカルだった名番組「探偵ナイトスクープ」からも、ネタを少々引っ張ってロケをしていたが)こういう人を見ていると「こういう人生があるんだ。」と感動すると同時に、強烈な笑いがやって来る。そして不思議に何故か見ているこちらの方の気持が楽になってくる。

 「人生なんかあまり深刻に考えてもしょうがない。」

こうした人々は生真面目に生きる我々へのある種欺瞞的生き方を嗤っているような気さえしたものだった。決してNHKの「ザ・プロフェッショナル」やテレビ東京の「カンブリア宮殿」やTBSの「情熱大陸」等からは決して出演依頼の来ない桁外れのアウトサイダー達。

現在放送中のフジテレビの変人登場番組「アウト・デラックス」も結構、健闘しているが、上記の方々は振れ幅も半端でなく、常軌を逸していて、濃くて、ユニークで唯一無二の存在であった。

MXテレビの「五時に夢中」には、巨大キー局の間隙を縫って、こうした普通でなさそうな人々・味のある人が登場する。下ネタを連発する作家の岩井志麻子さん、明るいインテリだが毒も吐く新潮社の中瀬ゆかりさん、異常なテンションの危ない危ない岡本夏生さん、番組開始初期から出ているマツコデラックスさん。MXだから(?)かなりぶっちゃけ気味の堀江貴文さん。

一方これは、これは確認がしっかり取れていない情報だけれど、日本テレビのプロデューサー細野邦彦氏という名物テレビ屋が日本テレビ退職後に取締役でMXテレビに行った時、初期の「五時に夢中」の若手プロデューサーの相談にしょっちゅう乗っていたそうである。

ピカピカに磨き上げられたフェラガモの黒い短靴を履き、ダンヒルの靴下を引っ張り上げながら(これが細野さんのクセ)、

 「この人出しても良いでしょうか?」

とか、

 「この話題、少々危険ですけど大丈夫でしょうか?」

と担当プロデューサーが聞きに行くと、

 「大丈夫、やっちえ、やっちゃえ。」

と言いながらケツもちをしてくれたそうで。(後で細野さんは色々、本当に地雷を踏まない様に調べていたようだが)

細野邦彦さんは京都出身で立教大学卒。新聞を隅々まで読んでいて意外とインテリだったが、性格が複雑怪奇で、毀誉褒貶があって、オッカナイ、毒舌な人だった。ある日、日テレのお偉いさんのミッションで「NHKの怪物番組・大河ドラマを視聴率で抜け!」との無茶な指令を受けた時は、四谷あたりの旅館でスタッフ達と籠り苦悩の挙げくに、コント55号司会の坂上二郎さんが女性タレントとジャンケンの勝敗で服を脱ぎ合い観客が現金で競り合う野球拳の番組「コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ!!」(日本テレビ・1969〜1970)を日曜8時に堂々と制作・放送して本当に抜いて見せた。

当時、無名女芸人だった泉ピン子等を起用しエグイ実話のテレビ三面記事番組「ウィークエンダー」(日本テレビ・1975〜1984)等で公序良俗に反する当時PTA激怒必至の名番組(?)を生みだしてきた才能溢れるTVマンだった。細野さんの番組のオンエアーが始まる時に筆者がたまたま局に居合わせたりすると、ジャンジャン細野班のデスクに苦情電話が鳴った。電話を取ると怒号の嵐だった。

細野邦彦さんをモデルにした辣腕プロデューサーは畏敬する先輩テレビ屋・井原忠高と共に小説家・小林信彦氏の小説「オヨヨ・シリーズ」にも出て来る。細野さんは強烈な個性の持ち主だった。

全盛期の細野さんは自分の言うことを聞かない大物芸能人・大物役者が大嫌いで、どこから見つけて来たのか、若手、無名タレント、売れていないが潜在能力のある芸能人・文化人・漫画家・小説家・評論家・政治家等を見つけてきて低コストで高視聴率の番組をたくさん制作した。

筆者が日本テレビに入社した時の新人研修での事だ。浅黒い痩せぎすの洒落たネクタイをした恐そうな細野さんが会議室に現れてお話した講義の話は今でも忘れられない。

細野さんが若い時、テレビ局はまだまだ弱小メディアで日本の映画会社は黄金期にあった。ある大物喜劇映画俳優をプロデューサーの命令で細野さんは何度も何度も頭を下げて交渉しやっと日本テレビに呼んで来て、真夜中にコントを撮っていた時の事である。

ふと、その方がその場の思いつきで・・・

 「例えば、ここに一つのドラム缶があったとする。それをドラマスティック叩いてみよう。」

などと言った。台本も良い出来だったので細野さんは必要がないと思ったが、先輩ディレクターの命令で当時ADであった細野さんは局から一番近い2キロ程離れた新宿通りのガソリンスタンドで店の親父を叩き起こし、日テレまでの登り坂をころがしドラム缶を汗びっしょりになりながら運んだそうである。しかし、やっと局に着いたら、その大物の気が突然変わって、ドラム缶が必要じゃ無くなっていた・・・という。

 「俺はその時思ったね。大物を使うとこんなひどい目に合う。俺がディレクターになったら絶対に大物は使わねえと心に誓ったんだ。」

これは才能がある細野邦彦だけが言える言葉だったが我々には入社草々、実名を挙げての生々しいテレビマンへの厳しい訓示だった。

細野邦彦は我々若手に、

・「お前ら!テメエの趣味でTVやってるんじゃねえんだから、やるんなら最低限の視聴率は取れ。会社がつぶれて事務員のお姉ちゃんの給料払えなくなったらどうするんだ!」
・「大物使って視聴率取っても自慢しちゃいけねえ。お前らは知恵とアイデアで迫れ!」
・「ひよこの様なタレントを人気者に育てる。これがテレビ屋の真髄だ。」

こんなことを言って「アイデアだけの低俗」と非難される番組を沢山作っていたが、別の先輩から聞くと細野さんのデザイン感覚・音楽感覚・テレビマンとしての腕・TVの本質を見抜く目は当時ピカ一であったそうだ。

部長になっても暇になると、レコードライブラリーで大音量でクインシー・ジョーンズ等を聞いていたのを私は目撃したが、最初出来たばかりの日本テレビに入社した時は音楽効果の人だったという話もあった。ある日、上司がたまたま誰かの穴埋めで細野さんに手伝わせたところ、大変な腕前だったので皆腰を抜かしたという。

MXテレビ「五時に夢中」の背後にはこの怪しいテレビ屋、細野邦彦さんの存在があったのかも知れない。そして個人的には最近こういうクセのあるTVマンがなかなか出て来ないのが残念な限りだ。

ちなみに私が現在、所属するドワンゴには一体何をしているのか解らない怪しい人達が沢山いる。これはこれで、かなり面白い状況なんだけど。

でも一面こういう人達が近くに居ると思うと実はちょっとオッカナイのですけれど。

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