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『花束みたいな恋をした』は、カルチャーから離れていく若者を描いたホラー映画か?

PHPオンライン衆知 / 2024年4月26日 11時50分

『花束みたいな恋をした』はホラー映画か?

映画『花束みたいな恋をした』は一般的にラブストーリーとして捉えられているが、ライター・ブロガーで『ファスト教養』著者のレジー氏は、同作を「ファスト教養」の視点から観ることができるという。小説、映画、音楽から離れた若者は、またカルチャーに戻ってこられるのか。東京女子大学学長で『教養を深める』著者の森本あんり氏と考える。構成:編集部(中西史也)

※本稿は、『Voice』(2024年5月号)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

カルチャーから一度離れても、また戻ればいい

【森本】レジーさんのご著書『ファスト教養』(集英社新書)に出てくる映画『花束みたいな恋をした』のレジーさんの視点には深く考えさせられました。

主人公の男の子・麦(菅田将暉)が、恋人の絹(有村架純)と当初は互いの好きな映画や小説、音楽といったカルチャーで関係を深めていく。でも二人の生活のために、麦は本来やりたかったイラストレーターではなく営業職を始める。そうすると、すぐに役立つビジネス・自己啓発書を読むばかりでカルチャーへの興味を失い、二人の関係も冷え込んでいく――。

レジーさんは、麦の姿をカルチャーからファスト教養への変化として捉えていて、そういう見方があるのだと感心しました。

【レジー】『はな恋』のことを「カルチャーから離れていく若者の姿を描いたホラー映画だ」と言う人もいます。私も社会人になってから音楽や映画に距離を置いた時期もあったので、麦の気持ちは痛いほどわかりますし、他人事だと思えないんです。

でもとくに若い人に伝えたいのは、一度カルチャーから離れてもまた戻ってくればいいということです。私も社会人になりたての忙しい時期、仕事に慣れてきて落ち着いてきた時期、子どもができてまた忙しくなった時期というように、カルチャーに接する度合いはライフステージによって波がありますから。

【森本】では『はな恋』の麦も、あそこで終わるのではなくて、やがて時間やお金にゆとりができたら、イラストレーターの仕事を再開して文化の側に戻ってくる道もありえますかね。

【レジー】そういう可能性もあるはずです。「あってほしい」という願望に近いかもしれませんが。

【森本】「麦のイラストへの熱意や能力は、生活が苦しくなったらやめる程度のものにすぎなかった」という見方もありますよね。

【レジー】はい、それもわかります。でも必ずしも仕事ではなくとも、趣味でイラストを描くだけでもいいでしょう。エンタメは本来、自分の生活のどこかにあればいいものですから。

【森本】ああ、それはとてもありがたいご指摘です。じつはあの話をうちの女子大生にするとき、結局二人は別れてしまう、というところが気になってしまうんです。でも、映画を離れた実人生では、別の展開が大いにありうる、ということですね。

【レジー】そう期待したいですね。

 

時間的な制約を解き放て

【森本】ただ、そうなると今度は、レジーさんに対しても「会社員としてもライターとしてもこなしていける能力があるからまたカルチャーに戻ってこられるけど、一般の人は麦みたいに潰れていくのが普通」という意見も出てきそうです。

【レジー】実際に同じようなことを言われたことがありますよ......。必ずしも私や森本さんのように、発信者側にならなくてもいいし、もしいまカルチャーに触れられていなくても悲観する必要はありません。現在の自分で固定するのではなく、つねに変わりうる可能性があることを認識できるかだと思うんです。

【森本】時間的な制約から解き放たれる、まさにリベラルアーツです。教養とは「10年後、20年後の自分を自由に想像しながらいまの人生を楽しむこと」なんて言えないかな。

【レジー】その再定義、良いですね! コンテンツとしては、将来の時間軸を想像させるような仕掛けが必要でしょう。

【森本】では、もしレジーさんがお金を稼ぐ必要がなくなったら、会社での仕事は辞めて、音楽や映画といったカルチャーだけを楽しむ人生を送りますか?

【レジー】難しい質問ですね。おそらくですが、立場や量はどうあれ、いまのような仕事をゼロにはしないと思います。

ビジネスシーンで接する人たちから得られる刺激や知識が書き手の自分にも活かされているからです。ビジネスの現場での体験が一つのインプットになっているので、それがなくなるとどこかバランスが崩れてしまう気がします。

【森本】そうか、やっぱりレジーさんの教養は会社員とライターの「二刀流」によって培われているわけか。

【レジー】自分の礎になっています。違う世界を知れば、他分野へのリスペクトも生まれますし。

【森本】拙著『教養を深める』(PHP新書)で対談した上野千鶴子さんも、自分や相手の限界を知ることで寛容になれるとおっしゃっていました。他者を知って自分を相対化したうえで、将来の時間軸を考える。本物の教養とは、自らの限界を認識しながらも、自分は変われると想像してエンジョイできることなのかもしれません。

 

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