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「朝日叩き」は何を意味するのか

プレジデントオンライン / 2014年9月24日 9時15分

「朝日」関係記事の年別掲載率推移(※数字に関しては、本文末参照)

■極端な一部の声が「世論」になる構造

ここ最近、朝日新聞の報道を巡る「報道」が目立ち、同紙を「叩く」ことが流行しているように見える。ネット上には同紙を憎悪する声がこだましている。本稿では、この現象が何を意味するかを考察したい。

筆者は多様な新聞、雑誌と関わりを持っているが、現在朝日新聞では論壇委員というものを務めている。左右上下、薄いものから厚いものまで多数の雑誌の論考を確認し、目立った論考を月1回の会議の場で紹介するというのが主要任務である。したがって各雑誌の論調などには自然と詳しくなるのだが、今回の件についてはこれまでの延長戦で、特に新奇な印象を持っていない。

図は、国立国会図書館の雑誌記事索引を用いて、記事名を手掛かりに各雑誌に朝日新聞関係の記事が掲載された号の割合を年ごとに集計したものである。言い換えれば目次に朝日新聞等が登場した割合の変遷を示す。ちなみにこれらの雑誌の記事に朝日と書かれていれば、ほぼ間違いなく批判記事である。

休刊した『諸君!』以外は、1990年代以前のデータがなく考察に限界があるが、それでも2014年の各雑誌の「朝日率」は過去に比べて極端に高いわけではないことは明確である。週刊誌については05年から数年の間がピークであり、正論は少し前の03年から06年にピークがある。今後の状況次第で今年の値は変わるが、少なくとも目新しい状況ではないことは確かである。

正論の場合は97年に100%となっているが、ちょうどこの時期に「朝日新聞の戦後責任」という連載が掲載されているためである(※1)。これに限らず、歴史教科書や南京事件、従軍慰安婦といった第二次世界大戦をめぐる議論が21世紀を跨ぐ時期の主要テーマとなっている。03年には北朝鮮による日本人拉致を題材とした記事が並ぶが、04年以降は再び歴史問題に戻る。05年には、従軍慰安婦に関する番組が偏向していると安倍晋三幹事長代理(当時)等がNHKに圧力をかけたとする朝日新聞の報道に焦点が当たる。これを機に、朝日新聞の記事の「偏向」を非難する記事も多くなっている。

一方、週刊誌の場合は、記者の不祥事や社内外のゴタゴタなど、歴史問題とは異なる角度の記事が多い。05年のNHK圧力報道に際しても、従軍慰安婦などの内容よりも朝日新聞対NHKという構図に焦点があるように読める。週刊新潮では07年に朝日新聞関係記事が多数掲載されているが、新人記者研修の内容紹介など細かいものが多い印象である。

こうして見ていくと、歴史認識を中心とする政治的イデオロギーの対立を基本構図とし、主流メディアに対する雑誌メディアの対抗という側面が重なったのが、伝統的な「朝日叩き」と言える。従軍慰安婦報道であればメディアや個人の歴史認識により対応が分かれ、吉田調書報道での批判も原発への賛否でだいたい態度が決まっている。場所がネットに拡大しただけで、右と左が相手の失点、弱点を見つけては叩くという日常の風景の延長である。

ただそれでも昨今の事態を新しい何かと捉える向きもある。これは、おそらくSNSの普及が影響しているだろう。「2ちゃんねる」などに留まっていたものが目の前で展開されるようになったため、これまでとは違う何かが進展しているような錯覚を覚えるのである。

このように述べると「朝日叩きは大したことがなく、気にするべきでない」と筆者が言いたいのではと感じる人もいるかもしれないが、逆である。むしろ、朝日新聞社だけでなく、今回の事態を大いに気にし、今後を考える材料にしたほうがよい。

現在、新聞のような伝統的なメディアも徐々にネットでの購読に移行しつつある。デジタル版の新聞の購入を考えている人の選択に、ネットでの評判が一定の影響を与えると考えるのは自然である。それがネットで声の大きい一部の人々によって作られたものであっても、新聞記者と同様、これを「世論」と錯覚する人は多い。ネットでは発信されない意見は存在しないのと同じである。

「2ちゃんねる」の書き込みやヤフーニュースに付くコメントで新聞社の収支が決まると言えば大げさかもしれない。しかし、現在のネットでは、有象無象に見えるこうした「声」以外に媒体の評価を形成し提示する機能が十分でないということを、関係者は重く捉えるべきである。特に、他と比較しての自らの価値を、各紙とも十分に訴えることができていないことは深刻である。

たとえば各紙のテレビCMを見ると、新聞を読んで自分が変わったというように、イメージを売るものが多数である。イメージを売ること自体はCMのひとつの目的ではあるが、ほとんどの場合、他紙との差別化には成功していない。朝日新聞は、お爺さんが死んだので同紙の購読を止めたけど、寂しいのでお婆さんがまた同紙を取り始めたといった内容のCMを流していたが、新聞が習慣の囲い込みで売られているものだということを端的に示している。

だが、人が配達しないネットでは、他紙への乗り換えも、解約も、今よりカジュアルに行われる。お婆さんが産経新聞を取り始めても何ら不思議ではない世界である。

■価値を再認識させた記者たちの「反乱」

ネットで購読紙を選択する時代には、現実世界での営業力は大きな意味を持たなくなる。この点、一部の新聞が「朝日叩き」に加わったことは、他紙のネット上での評判をコントロールしようとしているということを意味し、理/利に適った行動と言えるかもしれない。

ただ、他者を下げれば自分が浮上すると想定しているなら、それは甘い。他紙の失点を互いに強調し、揚げ足を取りあう競争を続けるのなら、新聞というメディア全体の信用が低下するのは必定である。

この状況では、多少の叩き合いでは失われない読者からの信頼や支持を新聞各紙は獲得する必要がある。つまり、自分たちが他紙とどう違うのか、どのような価値を提供できるのかを人々に示すことで、単なる習慣以上のブランド・ロイヤルティを醸成していかなければならないのである。ちなみにこれは、現在の野党の課題と同じである。

そしてこの点で新聞はジレンマを抱えている。新聞の価値は言うまでもなくまずその記事に宿る。ところが、ネットではその売り物をフルオープンにできない。この状況で価値をどのように訴求するかは、各紙とも悩みどころである。

今回の朝日新聞の例は、この点でもヒントになる。池上彰氏は同紙の従軍慰安婦報道検証記事を批判したコラムを書いたが、朝日新聞上層部はこれを非掲載とした。すると、週刊誌の報道でこれを知った同紙の記者たちが、公然とこれに異を唱えた(※2)。記者らは、自紙は批判にも寛容(リベラル)であると信じ、誇りに思っていたため声を上げたのである。この結果、コラムは逆転で掲載されることになった。

ツイッターで反応を観察した限り、記者のツイッター利用を認めず批判も載らない他紙を引き合いに出すなど、記者らの「反乱」を評価する声は多かった。上層部の非寛容でダサい対応が、皮肉にも同紙の価値を再認識させるきっかけとなったわけである。

ネット時代に、このように記者が自紙の価値を体現していくことは重要である。同時に「叩き」への最善の対抗策にもなるだろう。やはり、ネットでは発信しないことは存在しないことと同じだからである。

※1:同様に、『諸君!』では「病める巨象・朝日新聞私史」が82年に連載され、月刊ウィルでは「今月の朝日新聞」が07年から11年にかけて連載されており、朝日新聞に関係する記事がほぼ毎号掲載されていた。
※2:記者らの反応は、次のページにまとめられている。http://togetter.com/li/714702(2014年9月19日アクセス)。なお、朝日新聞社は記者らにツイッターアカウントを持ち、積極的に情報発信し、読者らと交流を持つことを公式に推奨している。http://www.asahi.com/twitter/(2014年9月19日アクセス)

※冒頭グラフ「『朝日』関係記事の年別掲載率推移」の数字は、各年に発行された雑誌各号のうち、朝日新聞等に関係する記事が掲載された号の割合を示している。記事は、国立国会図書館の雑誌記事索引に掲載されている記事名もしくは特集名に「朝日」が含まれているものを集計している。年は発売時ではなく発行年月日を基準としている。朝日新聞、テレビ朝日、週刊朝日などに無関係の企業名、一般名詞としての朝日であることが明らかな場合は除外した。「こんな朝日に誰がした」(『諸君!』83年7月号)のような例は朝日新聞関係記事と判断はつかないが、すべて含めている。正論、文春、新潮は96年6月から、月刊ウィルは05年1月号からのデータが収録されている。『諸君!』は77年1月から休刊となった09年6月までのデータが収録されている。14年のデータに関しては、文春、新潮は8月発売分まで、正論とウィルは9月号まで含まれている。なお、週刊ポスト等の他誌はこの割合が低かったためここでは割愛した。

(東京大学 先端科学技術研究センター 准教授 菅原 琢)

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