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「MBA取得者の多くは、経営者に向かない」"伝説の外資トップ"がそう断言するワケ

プレジデントオンライン / 2021年10月28日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/smolaw11

仕事の視野を広げるには読書が一番だ。書籍のハイライトを3000字で紹介するサービス「SERENDIP」から、プレジデントオンライン向けの特選記事を紹介しよう。今回取り上げるのは『伝説の外資トップが感動した「葉隠」の箴言』(致知出版社)――。

■江戸中期、鍋島藩士の口述をまとめた『葉隠』

論語や孫子、韓非子など、中国古典には現代に通じるビジネスのヒントを見出せるものが少なくない。だが、日本の古典も負けてはいない。

そんな「ビジネス書」としても使える日本の歴史的書物の一つに『葉隠(はがくれ)』がある。江戸時代中期に鍋島(佐賀)藩士の口述をまとめた書物である。

本書では、シェル石油、日本コカ・コーラ、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどで陣頭指揮を執り、伝説の外資トップと称される著者が、『葉隠』全11巻の中から31本の“箴言”を選び、自らのビジネス経験などを交えながら、現代のビジネス、働き方、生き方にも通じる原理原則を見出し解説。

「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」の一節で世に知られる『葉隠』だが、「主君や藩のために潔く死ぬこと」ではなく、むしろ組織の中で「よりよく生きる」ための心得と方法を説いた書なのだという。

著者は1936年東京生まれ。国際ビジネスブレイン代表取締役社長。名だたる外資系企業6社で活躍し、うち3社で社長職を、1社で副社長職を経験した。50年以上にわたり、日本、欧州、米国の企業の第一線に携わり、経験と実績をベースに、講演や企業研修、執筆活動を通じて「リーダー人財育成」の使命に取り組んでいる。

1.武士道といふは、死ぬ事と見つけたり
捨て身で挑む人には不思議と勝機が訪れる
2.リーダーに求められるのは昔もいまも人間力、そして忍耐
3.葉隠に学ぶ人を動かす気配りと知恵
4.人生を最期まで輝かせる葉隠の教え

■「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」

葉隠とは、鍋島(佐賀)藩士の山本常朝が口述した話を、同じく藩士である田代陣基が書き留めた全11巻の書籍である。山本常朝は主君鍋島光茂公の死去の際、殉死禁止の君命を守り、殉死することは留まったが、42歳で出家してしまった。

「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり(武士道とは、死ぬ事であると悟った)」。この強烈な一句によって、葉隠は広く世に知れ渡るようになった。

しかし私は、葉隠は死ぬことを迫る書物ではなく、生きるための書物、それも現代に通じる組織の中で働く人のための「よりよく生きる方法」を記した書物と思っている。いわば滅私奉公の対極にある「活私奉公の道」を具体的に説いたものが葉隠である。

「死ぬ事と見つけたり」と書いてある葉隠だが、そう言った山本常朝は、主君の逝去に際し、死ぬことがかなわず、当時としてはけっして短くない61歳の天寿を畳の上でまっとうしている。命を捨てようと思っていても、必ずしも死ねるとは限らない。これは「死ぬ事と見つけたり」と喝破していた常朝自身が身をもって痛感したはずである。

■死ぬ気でやると、かえって「生きる道」が拓けることがある

生死は人知を超えたもの、だから死ぬ気でやっても、必ずしも死ぬとは限らない。むしろ死ぬ気でやったほうが、かえって生きる道が拓けることもある。山本常朝はそこまでわかっていて、「死ぬ事と見つけたり」と言ったのではないかと私には思えてならない。

生きるほうが得で、死ぬのが損というのは昔の人もそう考えた。したがって、損得で物を考えれば、生きるための保身が優先される。しかし、保身ばかりでは、結局よい仕事などできないよと葉隠は言う。よい仕事をするには、保身への執着から解放し、自由にする必要がある。リーダー本人にとっても、保身ばかりにとらわれると、それが発想や行動を縛る枷(かせ)となる。自由に考え、行動できない人によい仕事ができるはずはない。

だが、保身か捨て身かという二者択一の場面で、損得を考えないということは難しい。どうしても損得が目の前にちらつく。すると、修羅場に向かう心と身体がすくむ。そうなると、もうよい仕事などできない。だから、普段から腹をくくっておくことが大事と葉隠は言う。

現代社会では仕事で失敗しても、本当に切腹させられることはない。しかし、降格、左遷、解雇は組織で働くビジネスパーソンにとって、ある意味で死に等しいと言える。

難しい仕事に挑んで失敗し降格、左遷、解雇されたらどうしようと思うから、身も心もすくんで自由が奪われる。葉隠は降格、左遷、解雇されても(=死んでも)恥ではないと言っている。だから、はじめから降格、左遷、解雇もOKと覚悟して、仕事に臨めばよいと言うのだ。

日本刀を携えたスーツの男
写真=iStock.com/Josiah S
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Josiah S

■保身に走っていたら、いまでも後悔していたはずだ

私自身、長いビジネス人生の中で降格、左遷、解雇(正確には解任)を経験している。もちろん自分から降格、左遷、解雇を望んだ事は一度もないし、できれば避けたかった。といって降格、左遷、解雇を恐れ、保身や私利を優先し、言うべきこと、やるべきことを抑えた事は一度もない。「これを言えば最悪クビになるかもしれない」と思いながらも、それが仕事にとって、またチームにとって、会社全体にとって役に立つことであるなら、覚悟を決めて主張した。その結果、本当に降格、左遷、解任されたのである。

覚悟していたとはいえ、降格、左遷、解任はショックだった。しかし葉隠の言うように、それを恥と考えたことはない。むしろ保身に走り、もし何も言わないままでいたとしたら、きっといまでも後悔していたはずだ。人間、反省は必要だが後悔は無益である。

覚悟を決めて主張した結果、降格、左遷、解任されたとしても、意外にリカバリーのチャンスは多いし、ときにステップアップのチャンスさえ巡ってくる。これは、私の体験から断言できる。

■倒産した会社も「人を魅了する理屈」を持っていた

聞書第二・一〇六
智慧ある人は、実も不実も智慧にて仕組み、理をつけて仕通ると思ふものなり。智慧の害になるところなり。何事も実にてなければ、のうぢなきものなりと。

【現代語訳】
知恵のある人は、誠実なことも不誠実なことも、知恵によって仕組めば理屈は付けられるので、それで何でも通用すると思っているものだ。何事も誠実でなければ意味がない。その知恵が、生かされることもないのだ。

日本では俗に、「理屈と膏薬はどこにでも付く」という。理屈には牽強付会なものもある。いわゆるこじつけだ。こじつけの理屈はへ理屈とも言う。

いまは間違いとわかってはいるが、アメリカの電力供給会社エンロン、投資会社のLTCM、同じくリーマン・ブラザーズ、日本ではジャパンライフにも、大勢の人を魅了する理屈があった。これらはいずれも倒産した会社だが、現存していたとき、彼らの理屈に疑問を投げかけた人がどれだけいただろうか。

こうした会社の経営者は、知恵も知識もある人たちであろう。彼らの巧みなところは、称賛するときも、実態がばれて称賛を撤回するときも知恵が回るところだ。実も不実も知恵によってそれらしく語り、理屈を付けて済ませてしまうのである。なまじ知恵があるだけに、本来不実であることを実であるように理屈を付けてしまう。

人の横顔型の本棚
写真=iStock.com/onurdongel
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/onurdongel

■「経営学」に教科書はあるが、「経営」に教科書はない

「我が智慧一分の智慧ばかりにて万事をなす故、私となり天道に背き、悪事となるなり。脇より見たる所、きたなく、手よわく、せまく、はたらかざるなり。(後略)」(聞書一・五)と葉隠にある。人の知恵などわずかなものにすぎない。にもかかわらず、それが万事に通用すると思い上がっているから、天の道にも人の道にも背き、悪事となるのだ。傍から見れば、汚く、脆く、視野が狭いので、本物の知恵としての働きなどできない。知恵が存分にはたらくステージは「世のため人のため」という大義のあるときである。

経済学、経営学には教科書がある。しかし経営には原理原則はあるが教科書はない。現場で体験して、汗を流しながら自ら身に付けるしかないのが経営だ。

論理だけでは説明しきれないのは、経営とはピーター・ドラッカーの言うように「人を通じて成果を出すわざ」だからである。人を通じて成果を出すには、人を深く知らなければならない。人間学こそ経営の根本だが、論理では説明できない最たるものが人間学だ。人間そのものが矛盾を含んだ動物だからである。

■MBA取得者は人の心に通じていないことが多い

MBA取得者はロジック、学説、分析や統計手法には精通している。知識はある。知識は力の源泉だから、彼らは一定の役には立つし、弁も立つ。しかし人の心には通じていないことが多い。あまりにも多い。人が喜んで働くように働きかけるのがリーダーだから、人の心に通じていないようでは、経営者にはなれない。

新将命『伝説の外資トップが感動した「葉隠」の箴言』(致知出版社)
新将命『伝説の外資トップが感動した「葉隠」の箴言』(致知出版社)

MBAの力の源泉は知識だ。知識はスキルであり、昔の言い方では芸である。侍にとって大事な芸といえば、もちろん武芸だ。しかし、葉隠は芸を磨くことに批判的である。肝心な事は芸ではないからである。

葉隠には「芸は身を助くると云ふは、他方の侍の事なり。御当家の侍は、芸は身を亡ぼすなり。何にても一芸これある者は芸者なり、侍にあらず。何某は侍なりといはるる様に心懸くべき事なり。(後略)」(聞書第一・八八)とある。芸事に秀でても、それでは芸者であって侍ではない。侍の本分は奉公なのだから、奉公の役に立つ程度の芸であればそれで十分だというのだ。何のための芸なのかを考えよというのが葉隠である。

また別の項には「学問はよき事なれども、多分失出来るものなり。(後略)」(聞書第一・七二)ともある。学問だけでは落ち度があるというのだ。

学問をして自分の足らざるところに気づけばよいが、大体の者はそうではなく学問のあることに思い上がり、単なる理屈好きになる。それでは意味がない。

■コメントby SERENDIP

経営学などの学問で身につけられる知識は、あくまで「物差し」でしかないのだろう。実際に経営する中で生起する事象や課題に「物差し」を当てても、その現実が物差しの通りに変わるわけではない。物差しによって得られるのは、「足りないところ」「過ぎたところ」を考えるヒントだけ。足りないところを埋めるには、これまでの失敗を含むさまざまな経験や、経営学以外も含む多分野の学問の知識、そしてそれらを統合する思考力が必要になる。学問的知識は、実際の経営に必要だが十分ではないということだ。

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