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六本木のようで川崎のようでもある…なぜハロウィンの梨泰院に10万人の若者が集まったのか

プレジデントオンライン / 2022年11月3日 9時15分

2022年10月29日夜、韓国・ソウルの繁華街・梨泰院にて、ハロウィーンのために集まった多数の若者らが転倒した事故による負傷者を運ぶ救急隊員ら - 写真=AFP/時事通信フォト

韓国ソウルの繁華街・梨泰院(イテウォン)で起きた雑踏事故では、150人以上が犠牲になった。ライターの安宿緑さんは「犠牲者の多くは20~30代の若者だった。韓国の若者は就職難やコロナ禍による社会的孤立で苦しんでおり、その発散として梨泰院に集まったのではないか」という――。

■もともと「異端」が住まう街だった梨泰院

10月29日夜、韓国の梨泰院で、150人以上が雑踏事故の犠牲となった。

梨泰院を東京の街にたとえるなら、六本木や裏原宿の消費文化に、蒲田や川崎の雑然さを付加したような場所である。

梨泰院は李氏朝鮮時代から「異他人」の街、時には「異胎(混血児)院」とも呼ばれた。文禄・慶長の役、そして清との戦争で、敵軍との間に生まれた子供や異民族が定住したのが、街の起こりだとされる。

■厳格な家父長制とは一線を画するエリアに

国際色豊かな街となったのは、1953年、近隣の龍山(ヨンサン)に、植民地時代の日本軍の兵営施設を継承した駐韓米軍の基地ができたことが大きい。

朝鮮戦争では北朝鮮からの避難民を含む全国各地からの移住者が溢れ、周囲には無許可のプレハブ村が建った。

戦争終結後、本格的に基地村として機能するようになると、龍山周辺で米軍を相手にしていた私娼が集い一大売春街を形成した。

米軍との国際結婚も盛んで、年老いてもなおその生き方を貫く女性たちの姿は、韓国の厳格な家父長制からの解放を求める姿勢でもあるとしてドキュメンタリー映画にもなった。

そうした移住者の街としての歴史はLGBTコミュニティーの発足など、多様性を帯びた現在の街の様相につながる。

90年代にはジェントリフィケーションの波が訪れ、97年にはソウル市初の観光特区として指定。ルーフトップの多いオシャレな若者の街、異国情緒のある商業の中心地として定着した。梨泰院北部を走る、外国料理店とカフェが集まった「経理団通り」の人気も高い。

人でごった返す梨泰院。今年10月上旬撮影
撮影=プレジデントオンライン編集部
人でごった返す梨泰院。今年10月上旬撮影 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

そんな梨泰院に対するイメージは韓国人の間でも二分されている。華やかで楽しい街という人もいれば、「梨泰院の名前を聞くだけでも嫌な気分になる」「外国に占領された街」「陽キャの巣窟」「見るべきところが何もない」と毛嫌いする人もいる。立ち位置としては、日本の渋谷とほぼ同じと考えて良いだろう。

梨泰院で毎年、ハロウィーンが開催されるのは「ハロウィーン=欧米文化」という意識があり、2011年ごろから人が集まるようになった。

外国人観光客の姿も多い。今年10月上旬撮影
撮影=プレジデントオンライン編集部
外国人観光客の姿も多い。今年10月上旬撮影 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■なぜ梨泰院の通りはあんなにも細いのか

入り組んでいるのは形成史のみではない。

実際に梨泰院一帯の地形は山に近いことから坂が多く、狭い旧道で時には違法の増改築を繰り返した結果、路地が狭まっている。

また、梨泰院の全てが繁華街ではなく、最寄り駅が梨泰院駅一つしかない。そのため一部のエリアは、人通りが少なく、特に夜から深夜にかけては空洞化し「憂犯地帯」(治安が著しく悪い地帯)となる恐れが高いとされている。実際にドラッグ使用事件も多い。

梨泰院の中心部にある細い階段
撮影=プレジデントオンライン編集部
梨泰院の中心部にある細い階段 - 撮影=プレジデントオンライン編集部
梨泰院の中心部にある細い階段
撮影=プレジデントオンライン編集部
階段の上にも飲食店が軒を連ねる - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■フラストレーションの発散の場としてのハロウィーン

そのような猥雑さや、ネオン看板の煌然とした非日常感とあいまって気が大きくなるのは想像に難くない。2022年11月現在、犠牲者156人中の大半が20代(103名)、30代(31名)と報じられている。

韓国の若い世代の受難は長く続いており、韓国統計庁によると2021年の20歳〜29歳代の雇用率は10代を除く全年代中、最下位の57.4%。

就職難による社会的孤立、そしてコロナ禍ときて20代の自殺率は2017年から5年連続で増加している。自殺未遂率も20代が突出して高く、中でも女性は他の世代平均約1590人に比べて4607人となっている(2020年、韓国保健福祉部調査)。

さらに、現在の20代は2014年のセウォル号沈没事件でも同世代の犠牲をリアルタイムで目撃しているだけに、「累積トラウマ」も懸念されると言われる。

30代も20代同様、雇用不安や未婚率上昇など不平等にさらされ、40歳以下の孤独死が2017年以降で約62%増加し社会問題となった。

すべての人が当てはまるとは限らないが、こうした韓国社会の熾烈な競争にさらされる中、束の間の開放感を求めて訪れていたとしたら居たたまれない。

約10万人もがとめどなく押し寄せた異常事態の影には、そうしたフラストレーションもあったのではないかと勘繰りたくなる。

■「行政主催のイベントではないから警備計画はしない」

事故後は行政、現場、当事者それぞれへの責任を追及する声が上がっている。

韓国の日刊新聞であるハンギョレ新聞は「梨泰院惨事は行政惨事だ」と批判。管轄区域である龍山区は行政主催の行事ではないという理由で安全管理計画を立てていなかったとしている。

安全対策を立てたのは管轄のソウル龍山消防署のみで、出動したのはたったの消防隊員48人。またソウル警察庁によると警察官137人を配置したとしたが、うち制服警官は58人のみ、ほか多くは麻薬・風紀取り締まりのための私服警官だったという。

■90年以降韓国で相次ぐ「人災」

韓国では、1994年に死者32名を出した聖水(ソンス)大橋崩落事故や、1995年に502人の死者を出した三豊(サンプン)百貨店崩壊事故など、多数の死者を出す大災害が定期的に発生する。いったいなぜなのか?

三豊百貨店崩壊
三豊百貨店崩壊(写真=최광모/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

百貨店事故では建物の安全基準と救急体制が見直されたが、その後も地下鉄放火事件(2003年。192名が死亡)など事故が相次いでいる。

地下鉄火災では乗務員の安全教育、テロ対策、災害対応システムの作動すべてが不足していたことが明らかになった。そこには、政府担当者のたらい回し体質が影響しているという見方もある。

2014年に起きたセウォル号沈没事故でもそれが顕著に表れ、当時の安全行政部と海洋警察庁の間で責任のなすりつけ合いが起きている。

こうした一連の災害における反省が受け継がれていない点が今回の惨事につながったとみてもおかしくない。過去の災害から学んでおくべきことを政府が統括しきれていないのである。

■「安全に対して鈍感な人が少なくない」

一方で、10万人もの市民が自発的に集まったイベントでの事故を、行政のせいにするのは無理があるのではないかという指摘もある。

危機管理専門家である、大韓民国産業現場教授団チェ・ミョンギ氏は韓国のニュース専門放送局YTNの取材に対しこのように指摘した。

「まず一つに、危険に対し盲目だったのではないか。事故が起こりやすい状況だったにもかかわらずあまりにも気づかなさすぎた。第2に、われわれの社会があまりにも危険と密接に関わっている。地下鉄の乗り換えだけでも今回の事故と類似する場合が非常に多い。人がひしめく状態で移動をしたり、そのまま押して進んだりすることにあまりに体が慣れすぎている。安全教育が求められる。第3に、まさか事故が起きるだなんてという意識があったのだろう。実際に1000人以上が集まれば統制や誘導が必要だ」(筆者訳)

実際に韓国では地震、津波、噴火などの自然災害がないため、普段から危機管理意識が薄いという指摘をする人も多い。とある20代韓国人女性は「韓国では安全に対して鈍感な人が少なくない」と語る。

今回の事故をリアルタイムで配信していたユーチューバーの動画では、梨泰院駅を降りて約10分で街の様子が豹変(ひょうへん)するさまが映し出されている。冒頭からすでに身動きが取れない状況にもかかわらず、映像からは危機を予測できていた人が極めて少なかったことがうかがえる。

■11月5日までは国家追悼期間に

韓国内ではすでに2009年に圧死事故の可能性についての研究結果が出ている。

研究では梨泰院と類似する道幅6mと長さ20mの空間を基にシミュレーションを行った結果、この面積での通行は700人までが限界であり、800人を超えると急激に人の流れが止まることがわかった。梨泰院では800人から900人以上いたと推測される。

研究を行った国立金烏工科大学校パク・チュニョン教授は基準密度を超えると予測するならばそこに近づいてはならず、すでに巻き込まれてしまっているならば近くの店や建物に入るべきであり、「足が浮いた段階ではすでに遅い」と指摘した。

この知識がいち早く一般に普及していればと悔やまれる。

いずれにしろ、今回のような事故を防ぐにはどのような統制と導線が必要であったか、分析とともに予防措置が問われることだろう。

韓国政府は梨泰院が属する龍山区を特別災難地域に指定し、11月5日までを国家追悼期間に定めた。一帯の店舗は31日から再開したとあるが、休店も相次いでいるという。梨泰院がかつての活気を取り戻すのはいつになるだろうか。

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安宿 緑(やすやど・ろく)
ライター、編集者
東京都生まれ。東京・小平市の朝鮮大学校を卒業後、米国系の大学院を修了。朝鮮青年同盟中央委員退任後に日本のメディアで活動を始める。2010年、北朝鮮の携帯電話画面を世界初報道、扶桑社『週刊SPA!』で担当した特集が金正男氏に読まれ「面白いね」とコメントされる。朝鮮半島と日本間の政治や民族問題に疲れ、その狭間にある人間模様と心の動きに主眼を置く。韓国心理学会正会員、米国心理学修士。著書に『実録・北の三叉路』(双葉社)。

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(ライター、編集者 安宿 緑)

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