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SNS炎上を煽る「少数の嫌な奴ら」とは誰なのか…リベラルな若者とはまったく違う「攻撃的な投稿者」の正体

プレジデントオンライン / 2023年11月18日 9時15分

佐々木俊尚氏(画像提供=徳間書店)

SNSで政治的な対立を煽っているのは「少数の嫌な奴ら」というアメリカの研究結果がある。ジャーナリストの佐々木俊尚さんは「日本の場合、政治的に過激な投稿の文面は、1970年代の内ゲバ闘争のような古い言葉が使われている。これは私の推測にすぎないが、『少数の嫌な奴ら』の多くは団塊の世代ではないか」という――。(第3回/全3回)

※本稿は、佐々木俊尚『この国を蝕む「神話」解体』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

■攻撃的な投稿が目立つようになったツイッター

SNSが社会を分断し、政治的な対立を深刻にしている――。そういう言いまわしをよく目にする。本当なのだろうか。

ツイッター(現X)は2009年頃から日本で広まり始めたが、当時はとても牧歌的だった。「ランチなう」といった言いまわしで、ささやかな楽しい日常をつぶやく場所だったことを懐かしく覚えている人も多いだろう。しかし2010年代に入ると、だんだんと政治的になり、過激で攻撃的な投稿があふれるようになった。いまの荒涼としたツイッターを見ていれば、「社会を分断している」というのは当たっているように見える。

しかし、実はそうではないことがいくつもの研究によって指摘されている。アメリカの社会心理学者、ジョナサン・ハイトは『アメリカ社会がこの10年で桁外れにバカになった理由』(『クーリエ・ジャポン』公式サイト、2022年6月12日)で、SNSは社会のすべての人たちを分断しているのではなく、少人数の過激なグループの分断を深めているだけなのだと指摘している。アレグザンダー・ボールとマイケル・バン・ピーターセンという2人の政治学者の調査研究を紹介し、次のように書いている。

ソーシャルメディア上で地位の獲得に汲々とし、そのためなら進んで他者を傷つけるのは、ある少数の人々のグループであるという。

ボールとピーターセンは八つの調査を通じて、ほとんどの人々はオンライン上だからといって、普段より攻撃的にも敵対的にもならないことを発見した。むしろオンライン環境は、もともと攻撃的な少数の人々が多くの犠牲者を攻撃することを許してしまっているのだ。

少数の嫌な奴らが、討論の場を支配してしまう場合もある。というのも、普通の人たちは、オンライン上の政治的な議論から簡単に撤退してしまうからだ。

■討論の場を支配しているのは「少数の嫌な奴ら」

これは日本のツイッターにもまさに当てはまる現象だ。「少数の嫌な奴らが、討論の場を支配」は、まさに日常的にわたしたちが見ている光景である。

スマホの画面を見る人のイメージ
写真=iStock.com/masamasa3
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/masamasa3

ハイトは、モア・イン・コモンという団体による調査結果も引用している。アメリカには最も右翼的な「献身的保守派」が人口の6パーセント、最も左翼的な「進歩派アクティビスト」が人口の8パーセントいるのだという。この左翼的な「進歩派アクティビスト」がSNSでは最も活発なグループで、過去1年でこのグループの70パーセントの者が政治的な投稿を共有していたという。

ついで「献身的保守派」が56パーセント。そしてこの二つのグループは、白人と富裕層の割合が多いこと、倫理や政治について均一な価値観を持っていることで似ているのだという。

■「魔女狩り」で穏健派はSNSから距離を置くようになる

なぜ均一な価値観に染まっているのか。極端な彼らは、自分たちの党派の主流の意見と少しでもちがう意見を見つけると、袋叩きにするからだ。ハイトは、身もふたもなくこう書いている。

政治的過激派は敵対する者だけを射るのではなく、自陣営における反対者や、より繊細な考えの人々に対しても矢の雨を降らせるのだ。かくして、ソーシャルメディアは妥協に基づく政治形態を機能停止へと追い込むのである。

異端を見つけては魔女狩りをする人たちが増えれば、SNSでの議論などできなくなってしまうはずである。おだやかで良心的な人たちはそういう魔女狩りの場から距離を置くようになるので、SNSでは分断と対立が激しくなっているように見えてしまう。

このような「一部の人が過激になっているだけ」は日本の研究でも明らかにされている。慶應大学の田中辰雄教授と国際大学グローコムの山口真一准教授の『ネット炎上の研究』(勁草書房、2016年)は、「ネット炎上」にかかわった人の数や特徴を定量的に実証分析した本である。

炎上に加わって悪口や攻撃的な投稿をした人の数は、驚くべきことにインターネット利用者のわずか0.5パーセント。個別の炎上事件になると、書き込む人は小数点以下3桁ぐらいに少なく、人数は数千人程度。さらにその中でも、当事者を攻撃してアカウント閉鎖に追い込むような人はせいぜい数人から数十人ぐらいしかいないのだという。

炎上事件が起こると、ネット中が批判のあらしになり、全ユーザから責められているような気持ちになるが、実際に騒いでいるのはごく少数である。

炎上を、お祭りやネット上の文化対立、あるいは大衆的な社会運動と同列の社会現象ととらえるべきではない。参加者があまりに少数だからである。炎上事件の特徴は、ごくごく少数の参加者が社会全体を左右する大きな影響を持ってしまったことにある。

■「団塊の世代」が辿ったSNSへの道のり

それにしても、SNSの普及という後ろ盾はあったとはいえ、なぜこれほど政治的に過激になる人が目立つようになったのだろうか。

これを日本の現代史をもとにひもといてみよう。

1960年代の終わり頃に、日本で革命運動の大きなうねりが起きた。になったのは、当時大学生だった戦後生まれの「団塊の世代」である。

このような運動が起きた背景には、さまざまな要因がからんでいる。

アメリカやヨーロッパで、ベトナム戦争への反対運動が盛り上がっていたことに触発されたこと。

かつてはエリートの象徴で「末は博士か大臣か」と言われた大学生が、人数の多い「団塊の世代」が進学するようになって「どうせしがない会社員になるだけ」の存在になってしまった現代的不安。

世代間対立。団塊の世代の親世代は、大正生まれの「戦中派」と呼ばれた人たちである。戦地に赴いた兵士たちもこの世代だった。彼らは戦後、戦争を否定されたことで深いわだかまりを抱いていた。戦後の反戦的な空気の中でも、戦中派の人たちは心情的には戦前をどこかで懐かしんでいた。団塊の世代には、この親世代への反発があった。

どの時代でも、親と子の価値観はつねに衝突し、子は親の価値観に反発するのが世のつねである。団塊の世代である子どもたちが、戦中派の親たちの価値観に反発し、左派的な思想への傾斜を強めたという面もあったのだ。

■「革命運動」に参加した学生はメディア業界へ流れた

さて革命運動は1969年頃に最高潮に達したが、中心の世代が大学を卒業するのと同時に、潮が引くようにしぼんでしまう。1972年には凄惨(せいさん)な連合赤軍・山岳ベース事件が起き、中核派や革マル派などが対立して血で血を洗う「内ゲバ」が相次ぐと、一般社会からも呆れられてあっという間に終了してしまった。

団塊の世代の若者たちは、1970年代に入ると就職して、社会へと入っていく。1975年に発表されたユーミン作詞作曲の『「いちご白書」をもう一度』は、この頃の心情を歌った名曲である。

ぼくは無精ひげと髪を伸ばして 学生集会へもときどき出かけた 就職が決まって髪を切ってきたとき もう若くないさと君に言い訳したね

このような「学生集会へもときどき出かけた」程度の学生であれば、普通の就職はできただろう。だが革命運動に強くコミットしていた若者たちは、一般企業への就職に苦労した。その結果、思想的なことに比較的寛容だった新聞やテレビ、出版などのメディア業界に多くが流れ込んでいったと言われている。

このあたりの経緯はわたし自身も新聞記者時代に、革命運動の闘士だった上司や先輩たちから酒の席でさんざんに聞かされた。

「佐藤訪米阻止闘争のときはすごかったなあ」
「そうそう、みんな逮捕されてたいへんだった」
「王子野戦病院闘争ぐらいから、石を砕いて投げるようになったんだよねえ」

そういう話題で、団塊の記者たちは必ず盛り上がっていたのである。

革命運動からマスコミへの人材の大量流入。これが1970年代以降のマスコミの空気を決定づけ、21世紀のいまに至るまで古くさい左派色を色濃く残し続けている遠因ではないか。わたしはそうにらんでいる。

■地方公務員や教員も就職口の一つだった

革命運動の就職口になっていたのは、マスコミだけではない。地方公務員や教員、生協もそうだったというのは知る人ぞ知る事実である。わたしが1970年代初めに通っていた愛知県の片田舎の小学校にも、非常に左派色の強い先生がいた。その先生がわたしの学級の担任になったのは、連合赤軍事件の翌年の1973年のことだった。

人々のシルエットのイメージ
写真=iStock.com/DanielVilleneuve
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/DanielVilleneuve

先生は道徳の授業で、副読本として北朝鮮の「朝鮮少年団」の活躍を描いた児童小説を選んだ。

北朝鮮の映像では、赤いネッカチーフをした子どもたちが登場することが多い。あれが朝鮮少年団である。配られた道徳の副読本には、少年団の団員たちがみずからの命をもかえりみずに村の危機を救った話などがたくさん掲載されていた。

あるとき、授業中のちょっとした発言が理由でわたしは先生の逆鱗(げきりん)に触れ、放課後も教室に残されて長く厳しい説教を受けた。先生は副読本を開き、「おまえのやっていることは、この少年団員とは真逆だ。おまえみたいな人間は、決して北朝鮮の少年団には入れない」と、ことば鋭く言いわたされたのを覚えている。

1970年代には、このような政治的な風景が当たり前だったのである。

■「抵抗」や「抗議」は80年代になると減少

とはいえ革命運動が潰れてからは、社会運動は全体として穏健になり、扱うテーマも「政府打倒」「反米」などではなくなっていった。中核派や革マル派などの一部の「過激派」を除けば、環境問題や女性の権利、障がい者対策などにテーマがシフトしていったのである。

法政大学の西城戸誠教授らによる研究『戦後東京における社会運動の変容:イッシューリレーションアプローチによるイベント分析』(2007年)は、この変化を朝日新聞に掲載されたイベントや集会などの数と内容から定量的に調べている。

この研究によると、1980年代以降はイベントや集会そのものの数は大きくは減らなかったが、抗議や激しい形態のイベントは減少傾向にあったという。「抵抗」や「抗議」ではなく、住民や市民の主体的な活動に変化していったというのである。

社会運動は停滞したわけではなく、穏健な形態へと変容したのだと考えられる。
穏健な行為形態は、行政への陳情や申し入れといった制度政治への働きかけが多く含まれる。

■SNSで起こる奇妙な「先祖返り」

社会運動は、行政に関与して問題解決へと持っていく方向へと進んでいった。このあたりの流れは、1980〜90年代に新聞記者をしていたわたしの実感とも整合している。

そしてこの流れの先に、21世紀に社会運動にかかわっている若者たちの健全な感覚がある。たとえば、現代の社会運動の代表的存在であるNPOフローレンスの駒崎弘樹氏や一般社団法人ネクスト・コモンズ・ラボの林篤志氏らが、積極的に政府や自治体などの行政機関にコミットして社会を変えようとしていることはその象徴的なケースである。彼らだけでなく、わたしが触れる機会のある若者たちは、大半がそのような姿勢を持っている。

しかしSNSでは、まったく逆に奇妙な先祖返りが起きている。まるで1960年代の革命運動のような「抵抗」や「抗議」に没頭し、対立を煽る人たちが目立つのだ。

一つの理由は、先に書いたようなSNS特有の性質である。もともと攻撃的な少数の人々が目立ち、彼らが多くの犠牲者を攻撃するようになってしまっていることだ。

いまの若者たちに見るように、日本社会全体では穏健でリベラルな価値観が広がり、社会に参加して改善していこうという運動が増えている。しかし、その状況に不満な人たちが先鋭化し、特定少数のグループをつくってSNSで攻撃を重ねているという実態がある。

■団塊の世代の一斉退職後に起こったこと

この構図には、もう一つ隠れた要因があるとわたしは考えている。

それは「2007年問題」である。

2007年問題とは何か。2007年は、数の多い団塊の世代が大量に企業から退職するようになった年である。当時はそれを「団塊の社員たちが持っていたさまざまなノウハウやスキルが失われる」という文脈で語られた。しかし彼らの大量退職は、いまでは別の意味も持つようになっている。

2007年以降に何が起きたのかを時系列で見よう。

佐々木俊尚『この国を蝕む「神話」解体』(徳間書店)
佐々木俊尚『この国を蝕む「神話」解体』(徳間書店)

2008年。リーマンショックが起きて、「右肩上がりの成長」への期待がまたも失われる。

2011年。東日本大震災と福島第一原発事故が起き、放射能パニックが広がり、放射能デマにだまされる人が多発する。同時に、これをきっかけにツイッターが日本社会に一気に普及する。

2012年。第2次安倍政権が成立。安倍政権は戦後の政治体制を一新し、安全保障や憲法改正などそれまでタブーとされていた政策課題に強く踏み込み始める。

2007年に退職した団塊の世代は、2011年頃からツイッターに大量に流入するようになる。高齢者と思われるようなプロフィールをよく目にするようになったのは、この頃からである。彼らが福島第一原発事故と第2次安倍政権に不安を感じ、そして青春時代の革命運動への憧れを再燃させ、それが彼らを「抵抗」「抗議」へと目覚めさせ、過激化していったのではないだろうか。

■SNSは団塊の世代の青春回顧ツール

これは定量的に調べた結果ではなくあくまでもわたしの推測でしかないが、時間的な整合性はある。最近の政治的に過激なツイッター投稿の文面には「日和見主義者」「政権のポチ」「首を洗って待っていろ」など現代ではほとんど見ない、まるで昔の過激派の機関紙の言いまわしのような文言さえ使われるようになっている。ツイッターだけを見ていると、まるで1970年代の内ゲバ闘争を眺めている錯覚に陥るほどだ。

要するに現在のツイッターは、団塊の世代の青春回顧なのである。そしてこういう青春回顧運動を、革命運動からかつて人材を大量に引き受けたマスコミが支えるという奇妙な構図ができあがっているのが、2020年代の日本のメディア空間なのである。

しかしこのようなゆがんだ構図は、いずれは終わる。団塊の世代は後期高齢者に達して、社会から退場しつつある。新聞やテレビも、以前ほどの影響力は持てなくなってきている。若い人たちの穏健で良識的な社会運動の広がりによって、今後はメディア空間も少しずつ改善されていくだろう。そう期待したい。

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佐々木 俊尚(ささき・としなお)
ジャーナリスト、評論家
毎日新聞社、月刊アスキー編集部などを経て2003年に独立、現在はフリージャーナリストとして活躍。テクノロジーから政治、経済、社会、ライフスタイルにいたるまで幅広く取材・執筆を行う。『レイヤー化する世界』『キュレーションの時代』『Web3とメタバースは人間を自由にするか』など著書多数。総務省情報通信白書編集委員。TOKYO FM放送番組審議委員。情報ネットワーク法学会員。

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(ジャーナリスト、評論家 佐々木 俊尚)

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