1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

検査と手術で70万円…「余命3カ月」という愛犬の治療を断念した50代女性が遭遇した「10カ月後」の意外な結末

プレジデントオンライン / 2023年11月20日 10時15分

50代女性の愛犬。元気なころ。 - 写真=筆者提供

愛するペットの治療に、あなたはいくらまで出せるだろうか。医療ジャーナリストの木原洋美さんは「50代女性のケースでは、獣医師から『膀胱の全摘手術で70万円』と告げられ、治療を断念するしかなかった。この事例は、動物の感受性を尊重する『動物福祉』を考えるうえで、大変参考になる」という――。

■朝の散歩で、愛犬は真っ赤な血尿を出した

「膀胱がんですね。◎△動物医療センターに仮予約したのでCT検査を受けてください」――エコー画像を指し示しながら獣医師は淡々と言った。

50代女性の愛犬(オス)は当時12歳。その日は土曜日で、大学生の娘と連れ立って朝の散歩をしていた途中、真っ赤な血尿を出した。過去何回か膀胱炎で、薄っすらとピンク色の尿をしたことはあったが、これほど真っ赤なのは初めてだった。慌てて愛犬を抱きかかえ、幼犬の頃からかかっている動物病院へと駆け込んだ。診断の参考にするために血尿もティッシュペーパーで拭き取って持参した。

(まさか、膀胱がんだなんて)

病名を聞いたとたん頭の中が真っ白になった。と同時に不安になった。愛犬は先天性の障害があったためペット保険は未加入。獣医師が予約した動物医療センターは最高の治療が受けられるが、それだけに高額だ。かつて歯の疾患で同センターを受診した際には、動物専門の歯科医と麻酔科医、消化器科医が3人がかりで診てくれて、1日の入院+治療費は9万円を超えた。手厚さから考えれば決して暴利ではないと思う。だが、気軽に出せる金額ではない。ましてCT検査は高額だと聞いている。払いきれるだろうか。

■検査だけで20万円、手術をしても余命3カ月

女性は獣医師に尋ねた。

「CTじゃないとわからないんですか。◎△動物医療センターは高額ですよね。いくらぐらいかかるんでしょう」
「20万円ぐらいかな。血尿の状態から言ってかなり悪化しているから、急いで行ってね」

こともなげな返事が返ってきた。ではがんだと分かったら、治療はどうするのか。

【獣医師】膀胱は全摘手術になるだろうね。

【女性】全摘……。それでどれくらい生きられるんですか。

【獣医師】相当悪そうだから、3カ月ぐらいかな。

これから検査、診断をして、手術まではどれくらいかかるのだろう。退院して、手術の痛みが癒える頃には病状が再び悪化する、あるいは体力が尽きて死に至るかもしれない。聞きたいことは山ほどあったが、獣医師は次の患者を呼び入れ、愛犬の診察は終了となった。

■手術になれば、さらに50万円…

女性と娘は茫然と帰路に就いた。涙がどっとあふれてくる。

「余命3カ月、手術するって。そんなに悪化しているの。痛いでしょ。早く気が付いてあげられなくてごめんね」

泣きながら話しかけると、愛犬は大丈夫だよと言うように懸命に顔をなめてくる。健気さに涙が止まらない。

心配でたまらず、胸のあたりを押さえている女性
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kayoko Hayashi

帰宅して、今度は◎△動物医療センターに電話を入れた。CTは20万円として、それでがんが見つかったら、手術費用はいくらかかるのか。

【相談員】そうですね、CTが20万円、手術は50万円です。クレジットカードでお支払いいただけますよ。予約はいつになさいますか。

【女性】高額なので迷っています。他の獣医さんにセカンドオピニオンをお願いしてみるので待ってもらえますか。

【相談員】では、どうされるかお決まりになりましたらまたお電話ください。

■迷いに迷い、手術しないことを決めた

愛犬は大切な家族だ。ペットショップで売れ残り、3分の1にディスカウントされていたところを引き取り、育ててきた。穏やかで、優しく、甘えん坊な、一家の末っ子だ。

(いくらかかろうとも治療してあげるべきで、金銭的な理由で治療をためらう自分は、愛情が足りないのかもしれない)
(だが、70万円は正直きつい)
(手術をしても余命3カ月。転移している可能性もある)
(愛犬には治療の意味が分からない。ただ、痛くて怖い思いをさせられていると思うだろう)
(手術そのものの危険、麻酔の危険、後遺症も心配だ)
(末期の膀胱がんは相当痛そうだ。数年前に膀胱がんで亡くなった友人の母親は緩和ケアが上手くいかず「痛い、殺して」と嘆願しながら逝ったと聞いた。人間でさえ上手く行かないことがあるのに、犬はどうなのか)
(痛く怖い思いをさせてまで数カ月延命させることが、本当に愛犬のためになるのだろうか)

迷いに迷い、調べ、家族とも話し合った結果女性は、「がんと診断されても、手術は受けさせない。穏やかに逝かせてあげたいので、できる限りの緩和ケアをしてもらう。最期まで諦めずに治療することこそ最善と考える獣医師から提案されることはなかったが、あまりにも痛がるようなら安楽死もやむを得ない。その時は、家族全員が見守る中で逝かせよう」と決めた。

■重要なのは動物と飼い主さんのQOL

「今回お聞きした内容だけからすると、適切なインフォームドコンセントが行われたか疑問に感じます。」

動物の虐待や安楽死の問題に詳しい帝京科学大学の佐伯潤教授は、いぶかし気に語った。

「動物の現在の状態を踏まえて、必要な検査や治療について選択肢を示し、それぞれのメリットとデメリットも説明し、飼い主さんと話し合い、理解を得ながら、個々の症例で最良と思われる治療方針を選択していく必要があります。

特に深刻な病状の動物では、重要なのは動物のQOL(クオリティーオブライフ:生活の質)についてしっかり考えることです。そして、もう1つ重要なのが飼い主さんのQOLです。経済面でも生活面でも、飼い主さんができる範囲であることが大事で、飼い主さんの生活が犠牲となり、破綻してしまっては意味がありません。末期のペットの看護は大変です。終日面倒がみられる時間と体力があって、十分な治療費がかけられて、治療後2年3年生きられるだけでも構わないという飼い主さんは多くはないはずです」

従来までの日本の獣医学教育では、先端の獣医療の教育は行われてきたが、インフォームドコンセントやQOL等、倫理的な課題についての教育は十分に行われているとはいえないのも問題という。

「インフォームドコンセントとは『説明と同意』という意味ですが、一方的に説明して、同意書をもらえば問題はないと誤解されている場合も少なくありません。本来の目的は、飼い主さんの自己決定権を支援することですので、獣医師が一方的に1つの治療方針を示すのではなく、複数の選択肢を示すことが重要です。

その中では、メリットとデメリットおよび、起こり得る状態についてしっかり説明した上で、積極的な治療を行わないという選択肢や、病状や経過によっては、安楽死も含まれるべきです。安楽死は獣医師に認められた最後の治療法でもあります。

また、適切なインフォームドコンセントにおいては、専門職として獣医師の責任も重要ですが、飼い主さん自身も、獣医師の説明を真摯に聞き、疑問があれば質問したり調べるなどして、自らの希望を獣医師に伝えるなど、主体的に考える義務があります。獣医療では、飼い主さんは、治療者側でもあるとも言えるのです」

波打ち際に犬の足跡
写真=iStock.com/Elena Koroleva
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Elena Koroleva

■「飼い主が何を大事にしているか」を把握する

膀胱がんの検査にCTを使うことは適切ではあるが、その前に、飼い主の希望も聞き、尿中の細胞の検査等、の体の負担や飼い主さんの費用負担の少ない検査を行うのが一般的だ。

また治療方法についても、飼い主が何を大事にしているかを把握し、外科手術以外の複数の選択肢を示すことも重要である。冒頭の獣医師は、検査法も紹介先の病院も一択しか提示しなかったし、病気が今後どのように進行するか等の説明もしなかった。これでは飼い主は、どう判断したらよいか分からない状況に置かれてしまう。

■安楽死は本当に悪なのか

診断が適切に行われ、病気の予後(先行き)が悪い、あるいは治療への反応が悪く、動物と飼い主のQOLが低下した場合には、安楽死も選択肢として提案される場合がある。

とはいえそこに「安楽死」も選択肢として提案されることには異を唱える人も多そうだ。

「日本では、安楽死を非常に忌み嫌う風潮がありますが、“動物福祉”の考え方からすると、場合によっては正しい選択でありえます。ペットを飼うのは、動物と人がお互いに幸せな関係でいたいからです。10年以上も飼育してきて、ただ最後の数年間、大きな病気になってしまい、すごく出費がかさむ、世話が大変、周囲に迷惑をかけるなど、飼い主さんの生活を圧迫する状況では、ほかの選択肢も十分に検討し、考え、悩んだ結果として安楽死を選択するというのは、ペットにとっては悪い選択ではないと思います。また、その場合には、飼い主さんはその義務をしっかり果たしたのだと思います。単純に正解・不正解で語れるものではありません」

臨床獣医師でもある佐伯教授は、病気の終末期のペットや、高齢で寝たきりになった犬の飼い主が、負担に耐え切れず「もう死んでくれ」と思い詰めているケースもあると言う。

「すごく悲しいことですよね。ペットの死に際の苦痛に満ちた状態がトラウマになる人もおり、そういう方は二度と動物を飼わなくなってしまいます」

■感情の押し付けで議論にならない現実

安楽死については獣医師も悩んでいると佐伯教授。

「獣医師はだいたい子供のころから動物好きで、動物を治したいから獣医師になるので、もちろん安楽死に否定的な人も多い。病気は治すものであって、安楽死はすなわち獣医師としての敗北と思うのは医者の本能です。でもそうではない。獣医療が進歩し、様々な治療が提案できる現在でも、病状によっては、動物を苦痛からどう解放してあげるかを中心に考えることも重要なのではないでしょうか」

ただ日本では、実際に安楽死を行う割合は世界的に見ると少なく、安楽死処置を行ったことのない獣医師や飼い主から依頼されても安楽死は行わないという立場の獣医師も存在する。

「日本社会の現状では、安楽死や殺処分について科学的・獣医学的に議論する土壌が十分にはできていません。その理由の1つに動物愛護と動物福祉=アニマルウェルフェアの違いがあると思います。動物愛護という言葉も海外にはありません。日本独自の考え方です。動物愛護は、ともすると人間側の感情の押しつけになってしまう危険がありますが、動物福祉は動物主体の考え方です。獣医療の目的は、動物の福祉を守ることでもあります」

■日本人が好む「動物愛護」という言葉の問題点

動物福祉は、動物が本来生きやすくなるための環境整備であり、動物主体。動物愛護は、人間側の意思や個人の意志でなされるものであり、人間主体。と定義されている。

動物愛護では「人間による動物の利用を否定」しているのに対し、動物福祉は、「動物を利用することを否定してはいないが、その際には動物の感受性を考慮し、心身ともに健康的な生活を送ることができる飼育環境をめざす」という考え方が前提にある。

「動物福祉は科学の1つでその判断には根拠が必要です。どれくらいの痛みなのか、苦しみなのかを客観的に判断する必要があります。たとえ末期がんの動物でも、痛みのコントロールができていれば、飼い主さんには痛がって鳴いているように見えても痛がっているのではなく動けないから動きたいと訴えているだけということもあります。

日本の多くの動物をめぐる問題では感情的な議論で終始してしまい、人と動物の違いや人が動物を飼育する意義を考え、理解しようとする努力が不足していると思います。あくまで人間が感じるかわいそうという感情に基づくのではなく、動物のことを真に理解し、動物主体での議論を行いながら、動物の命や人と動物が共に生きることについて考える必要があります」

日本では、動物愛護という概念さえも新しい。たとえば、ほんの数十年前までは、犬と言えば番犬で、猫はネズミを捉えるために飼われるものだった。殺処分が問題にされるようになったのも、この10年ぐらいことだ。動物愛護から動物福祉への進化には、日本人が感情的にならずにディスカッションできるようになる必要がある。

死の3カ月前。失明し、体重は半減した。
写真=筆者提供
死の3カ月前。失明し、体重は半減した。 - 写真=筆者提供

■愛犬を腕の中で看取ることはできたけど…

冒頭のエピソードの続き。

犬友のクチコミで見つけた別の動物病院でセカンドオピニオンを受けた結果、女性の愛犬はがんではなかった。詳しい病名はわからないままだ。血液検査と新型のエコー検査を受けた時には症状が消失していたからだ(血液検査の結果、高脂血症気味だった)。

ただ、その半年後、実は糖尿病であることが分かった。全身に広がった火傷状の感染症、体重半減、一日2回のインスリン注射、一回30分以上を要する食事の介助、白内障による失明、不眠、一日おきの通院、心不全を経て亡くなるまでの10カ月の闘病生活は壮絶だったが、最後は腕の中で看取ることができた。

10カ月間の医療費は60万円を超えた。

----------

木原 洋美(きはら・ひろみ)
医療ジャーナリスト/コピーライター
コピーライターとして、ファッション、流通、環境保全から医療まで、幅広い分野のPRに関わった後、医療に軸足を移す。ダイヤモンド社、講談社、プレジデント社などの雑誌やWEBサイトに記事を執筆。近年は医療系のホームページ、動画の企画・制作も手掛けている。著書に『「がん」が生活習慣病になる日 遺伝子から線虫まで 早期発見時代はもう始まっている』(ダイヤモンド社)などがある。

----------

(医療ジャーナリスト/コピーライター 木原 洋美)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください