黒塗りベントレーや白のハマーを乗り回す…50年前の箱根駅伝"伝説のランナー"が牧場経営で大成功できたワケ
プレジデントオンライン / 2023年12月27日 11時15分
■箱根駅伝の古豪・東農大の元エース71歳の華麗なる経歴
2024年正月に開催される第100回箱根駅伝に著者の母校でもある東京農業大学が10年ぶりに出場を果たす。通算70回目の出場となる古豪の復活に大学関係者は大いに沸いている。しかし、そんな祝福ムードの中、ひときわ冷静なOBもいる。
服部誠さん(71)。第50回大会(1974年)で“伝説の12人抜き”を演じて、同大に初の往路優勝をもたらした。瀬古利彦が現れる前の箱根路のヒーローだったというとわかりやすいかもしれない。
10年ぶりに出場する母校についてはこう語った。
「まずはおめでとう! だね。まわりのOBは楽観的で、みんな喜んでいる。だけど今回は薄っぺらい気がするな。自分らのときは2年後、3年後が見えた。今回は見えない。このままだと第101回大会の出場は厳しいと思う」
箱根駅伝本選への出場枠10大学をかけた今秋の予選会で日本人トップを飾った前田和摩というスーパールーキーはいるが、チームの主力は10000m28分10秒台のタイムを持つ高槻芳照と並木寧音ら4年生。チームは予選会を11位通過で、記念大会の増枠に救われたかたちだった。4年生が卒業すると戦力はかなりダウンする。それを危惧しているからこそ辛口だったわけだ。
「16人のエントリーで4年生が6人も入っている。それと来季の補強もあまりできていない。ただ、ルーキーの前田は本物だよ。性格もいいし、高校時代の環境もよかった。頭良さそうだよな。日の丸つけて走る選手になると思うよ!」
古希を迎えたものの、眼光は鋭く、背筋もぴんとしている服部さんは、ハイブランドのウエアに身を包み、黒塗りのベントレーや白のハマー・ピックアップに颯爽と乗っている。実にカッコいいのだ。現在は本業の傍ら、総監督という立場で母校をサポートしているとはいえ、陸上界の一線を退き、50年近い月日が経つ。
■中学時代に家業の家業「服部牧場」を継ぎ大成功
山々に囲まれた草原のなかを白馬が駆ける。そんな絵葉書のような光景が、都心から車で1時間ちょっとの場所にある。神奈川県愛甲郡愛川町にある「服部牧場」だ。服部さんは父親から譲り受けた牧場に誇りを持っている。
「米国のジョージ・W・ブッシュ前大統領もテキサス州クロフォードに牧場を持っているんです。多くの人が来てくれて、楽しんでもらえる。そんな牧場を持っていることが、なによりもステータスかな」
セカンドキャリアのことを深く考えずに競技を続ける選手が大半だが、服部さんは「陸上」よりも「家業」を強く意識して“太く短い競技人生”を突っ走った。
服部牧場は1952年、横浜で乳牛1頭からスタートした。服部さんが生まれた年だ。中学2年生ぐらいのときには早くも父親が始めた服部牧場を継ぐことを「決意」したという。
1969年、服部さんが高校2年生のときに、現在の愛川町に移転して、服部牧場は大きく発展していくことになる。この頃、服部さんは陸上選手として注目を浴びていた。
神奈川・相原高3年時はインターハイの5000mを制すと、チームは3人の中長距離選手だけで総合優勝を果たす。全国高校駅伝は1区でダントツの区間賞を獲得。同学年でのちにマラソン日本代表にもなった宗茂、猛兄弟もねじ伏せた。チームは一度もトップを譲らずに、初優勝に輝いた。
世代のエースを獲得しようと、強豪大学の勧誘もすさまじかったという。しかし、服部さんが選んだのは、当時、箱根駅伝から7年間も遠ざかっていた東農大だった。
「陸上だけを考えれば、強いチーム(に行くこと)しか頭になかったでしょうね。でも、将来は農業をやるという父親との約束を果たすために、農学部を選びました。高校卒業時に親父からプレゼントされた手帳に『後継者としての意識を忘れるな』と書いてあったんです。親父の強い気持ちが伝わっていましたし、自分もその気持ちに応えなきゃいけないと思っていたね」
そして服部さんは東農大で“伝説”を残すことになる。1年時に古豪を箱根復帰に導くと、4年連続で花の2区に出場。3年時は首位から1分53秒遅れの13位でスタートして、トップを奪う“12人抜き”を披露した(チームは初の往路優勝)。このゴボウ抜き記録は28年間も破られなかった。4年時は日本選手権の10000mで2位に入り、アジア大会にも出場(10000m3位)。最後の箱根は区間新記録を打ち立てるなど、学生長距離界のスーパースターとして特別な輝きを放った。
その一方で、どのタイミングで牧場を継ぐべきか、大学3年頃から考えていたという。大学を卒業した2年目にモントリオール五輪があり、服部さんはそこを陸上選手としての終着駅に決めた。
「日本でトップを極めないとオリンピックには出場できない。その通過点で箱根駅伝があるから、区間賞は当たり前だと思っていましたね。大学卒業後、1年ちょっとはモントリオール五輪を目指して農大で練習をしたんです。いま振り返ると、あの頃は気持ちが重かったね」
そしてモントリオール五輪男子マラソンの選考会となった1976年4月のびわ湖マラソンで落選。服部さんは潔く引退した。
「もう脱力だったね。終わったなっていう思いはあまりなかったけど、次はいよいよ、自分の仕事をやらなきゃなという気持ちでした。親を裏切るわけにはいかない。後ろ髪を引かれるような思いはありましたが、スパンとやめました。大学にちょろちょろ顔を出しながら、6月下旬か7月に牧場に入ったんです」
モントリオール五輪は悔しさもあり、一切テレビ中継は観なかったという。陸上選手から畜産農家へ。失意のなかで服部さんはセカンドキャリアを踏み出した。
「陸上の名選手で次期社長だとしても、牧場の仕事は素人です。従業員の先輩が3~4人いましたが、仕事は自分で覚えて、やっていかないといけない。苦労の連続ですよ。引退後2~3年はもやもやした気持ちもありましたし、大学の勉強なんか役立たない(笑)。でも、大学卒業してすぐに結婚したので、妻がいたから心の支えがあって頑張れました。毎日、真っ黒になって働いて、本当に3~4年は大変でしたね。その後は、従業員の世代交代も進んで、徐々に自分のカラーでやれるようになったんです」
服部さんが23歳で家業を継いだからこそ、服部牧場は大きく進化したといえるだろう。競技を長く続けることを美徳に感じる人は少なくないが、セカンドキャリアを考えると、引き際も大切だ。
「最近は30歳くらいまでやる選手が多いけど、その職場にいたら出遅れるよね。うちの牧場も22歳で入ったら、8年働けばもう一人前。そこに新人として30歳が入ってこられたら困っちゃうもん。誰もが年を重ねていくし、下から若いのがどんどん上がってくるから、常に先のことを考えないといけない」
■ライバルだった宗兄弟(茂、猛)との闘いは
同学年のライバルだった宗兄弟(茂、猛)と喜多秀喜は、服部さんが引退後も競技を続けて、オリンピック代表になった。同世代でナンバー1だった服部さんも「自分も」という気持ちがあったのかと思いきや、大学時代に宗兄弟との差を感じていたという。
「宗兄弟と喜多は伸びたし、世界へ羽ばたいていった感じはあったよね。自分は良いタイミングで引退したなと思ったよ。現役選手だったら、あいつらと名勝負をやらなきゃいけないわけじゃない。4歳下の瀬古利彦も絡んでくるし、嫌だったね。以前、宗兄弟に言われたんだよ。当時の日本陸連合宿で、『オレは服部に勝てると思った』と。彼ら実業団選手は大学生の甘い競技生活とは違う。それをニュージランドにいた40日間で彼らに見られちゃった。宗兄弟は生活が陸上。自分は生活は生活で、陸上は陸上。大きく違う。彼らは練習が好きなんだよ。昼寝して起きると宗兄弟はいなかった。すごく大きく見えたもんね」
■五輪の夢を“後輩”がかなえてくれた
家業の牧場を拡充させて、社会的に“大成功”を収めている服部さん。自身が学生時代に届かなかった“夢”を大学の後輩がかなえることになる。今年10月に行われたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で小山直城(Honda)が優勝。2024年夏のパリ五輪男子マラソン代表に内定したのだ。
「自分は大学を卒業して1年でオリンピックの選考会があったんだけど、彼は5年経っているんだよ。それで農大OBというのは、農大がおこがましいよね(笑)。でもトップ当選だから凄いし、立派。自分ができなかったことを軽々とやった。本番まで時間があるから、いまの調子を維持してくれればいいな」
50年前の箱根駅伝のレジェンドは後輩たちの活躍を冷静かつ、温かく見守っている。厳しいことを言っても、母校が出場する第100回大会は楽しみで仕方ないはずだ。
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スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)
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