習近平は「5000人が住む島」を狙っている…地政学者が「米中間で紛争勃発ならこの場所」と分析する理由
プレジデントオンライン / 2024年4月2日 9時15分
※本稿は、奥山真司『新しい戦争の時代の戦略的思考』(飛鳥新社)の第9章〈危機に乗じる中国「次の一手」〉の一部を再編集したものです。
■台湾、尖閣以外に紛争が起きうる場所
予測をする際にわれわれが見落としがちなのが、韓国(+アメリカ)と中国の地政学的な紛争の勃発の可能性だ。
われわれは台湾や尖閣にばかり目を奪われているが、それ自体、中国の誘導、情報工作のたまものかもしれないのである。そこで紹介したい興味深い記事がある。ブルームバーグの韓国系のコラムニストであるイ・ジョンホが、2021年5月4日に発表した意見記事である(「China’s New Flash Point With U.S. Allies Is a Hotspot for Spying[中国と米同盟国との新たな火種は、スパイのホットスポット]」)。
この記事を要約すると、次のような内容となる。
・ところがこの黄海にある島のそばで、近年は中国の漁船が大量に来るようになり、2020年の12月には人民解放軍の軍艦が通過して、韓国の軍事関係者を驚かせた。
・北京は2013年にこの海域で「海洋作戦地域」(AO)の境界線を設定し、それから黄海での活動を活発化させている。
・2016年にはこの海域で操業していた中国の漁船が警戒活動をしていた韓国の沿岸警備隊の巡視船に突っ込んで沈没させる事案も発生している。
・近年の中国は南シナ海だけでなく黄海の支配権を確立しようと動いている。
・白翎島の5000人もの住民たちは、中国の動きを恐れて文在寅大統領(当時)にさらなる行動を求めている。
要するに、北京が黄海を完全に「内海化」しようと動いており、その近くを実効支配している韓国が警戒感を高めているという図式だ。
■喉元にある「やっかいな島」
この地政学的に重大な状況について、3つのことを指摘しておきたい。
第一が、この記事で焦点となっている「白翎島」の地理的な位置とその戦略的な意味合いだ。
実はここは、北京にとっての海の出口にある、戦略的に極めて重要な場所だ。といってもその戦略的な重要性についてなかなか実感がわかないのと思うので、一つのたとえを使ってみたい。
それは、北京と東京の地理的な状況と比較することだ。スケールは違うのだが、日本の首都の東京と東京湾と浦賀水道の関係を、中国の首都である北京と黄海(渤海+西朝鮮湾)と渤海海峡の関係にたとえることができる。
そう考えると、日清戦争の激戦地となった威海衛(いかいえい)はさしずめ羽田や川崎にあたり、旅順などがある遼東半島は、千葉の富津岬にあたる。
すると、中国の首都である北京から見た「韓国」の位置は、日本の首都である東京から見て、千葉県(朝鮮半島)の南端にある「南房総市」にそのままあてはまるといえる。そして記事で話題になっている「白翎島」の位置は、日本にあてはめてみれば南房総市のすぐ北側の東京寄りの海に浮かぶ、鋸南町の「浮島」にたとえられるのだ。
「南房総市が敵国の同盟国であり、しかもその国境の先端が浮島にある」と仮定して考えると、北京にとって、その島の存在がいかに戦略的な位置であるかが、われわれ日本人でも実感できるだろう。
ちなみにこの白翎島基地の湾と海峡と首都の位置関係において、日本にあてはめていえば海上自衛隊の館山航空基地がその位置づけに近い。もちろんこの基地は日本海軍によって首都防衛のためにつくられたものだが、その戦略的な位置関係は北京にとっての(敵側が抑えている)白翎島のそれに近いのである。
■中国のトラウマ
第二は、大国にとっての「内海」の重要性だ。
中国のような大国は、原則として周辺にある地域や海域に、他の大国が関与してくるのを異様なまでに嫌う。歴史的にも、そこに他の大国が関与してきたら強制的な排除に動いてきた事例は、アメリカのカリブ海の例を見るまでもなく実に豊富にある。
月刊誌『ウェッジ』2021年6月号で「押し寄せる中国の脅威 危機は海からやってくる」とする特集を組んでいるが、中国にとっては「(日本を含む)外国の列強の軍隊は渤海海峡を通って北京にやってきた」という記憶がある。そのため、中国が黄海を完全に支配下においておきたい、という強烈なインセンティブを持っていることは想像に難くない。
それはいわば日本にとっての東京湾の支配であり、支配のうえで邪魔になるのが、南房総市が支配している浮島だ――というように中国は白翎島をとらえている可能性がある。
もちろん南房総市やそれ以外の千葉(=韓国)を完全に支配するのは無理だとしても、せめて南房総市とその支配下にある浮島を無力化しようとする東京(=北京)の動きは、戦略地理的な位置関係としては「理解」できるものだ。
■大国同士の激突は思いがけない場所から始まる
第三が、紛争の発火点としての可能性だ。
ハーバード大学のグレアム・アリソン教授は日本でも話題になった『米中戦争前夜』(ダイヤモンド社)という本の中で、歴史的に見ると既存の大国と新興する大国が衝突し、大戦争になる確率が高まることを「トゥキディデスの罠」と表現し、現在の米中の対立もこれにあてはまるとして警告を発した。
もちろんアリソンは「米中衝突が必ず起こる」と言っているわけではないのだが、彼が歴史から導き出した一つの示唆として興味深いのが、「大国同士の激突は、思いがけない場所での小競り合いから始まる」としているところだ。
米中の衝突のきっかけとしては、日本では台湾危機や尖閣事案、さらには南シナ海案件が注目されやすい。だがわれわれは、この韓国vs.中国の焦点となる「白翎島」の存在も、次の危機の発生する可能性の高い場所として注目していくべきであろう。
もしアリソンのこの分析が正しいとすれば、白翎島のような注目されない場所からも火の手が上がるかもしれないからだ。
■日本が中国で最も懸念すべきこと
2023年に入ってから、中国から発信されるニュースは厳しいものばかりだ。少子化の速度は日本より速く、人口数はインドに抜かれ、コロナ後の経済の回復は遅く、恒大集団の苦境などから不動産バブルの崩壊が引き起こされている。
しかも経済だけでなく、政治面でも難題が発生しつつある。春先から秦剛外交部長(外務大臣)が失踪してから辞任しただけなく、軍の幹部もロケット軍の司令官と政治委員が交代させられたどころか、李尚福国防大臣までが解任されている。
中国にとって、このような国内問題自体、懸念すべきものであることは確実だが、それ以上に周辺国である日本が気をつけなければならないことがある。
それは中国が国内問題から国民の目をそらすために、あえて外に脅威があることを喧伝し、国内をまとめつつ外に強硬に出て、最悪の場合には戦争さえ起こすという懸念があることだ。
このように、外の敵と戦って国内をまとめるために行われる戦争については、国際関係論や安全保障研究という学問分野において「陽動戦争理論」という名前で研究が積み重ねられてきた。
では実際のところ、中国は陽動戦争を起こす兆候があるのだろうか?
■陽動戦争を起こす可能性は低い
それを踏まえた上で今回ご紹介したいのは、テイラー・フレイヴェルというマサチューセッツ工科大学の中国の安全保障を専門とする学者が、フォーリン・アフェアーズという世界中の外交官や国際政治の専門家たちが読む雑誌(の電子版)に9月15日に掲載した論文だ(https://www.foreignaffairs.com/china/myth-chinese-diversionary-war)。
フレイヴェルは博士号論文を後にまとめた書籍『中国の領土紛争』(勁草書房)で、中華人民共和国が建国から絡んできた23件の領土の紛争を調べ上げ、そのうちの17件というほとんどの例で「妥協」が図られてきたという、やや意外な結論を導き出している。
そのような知見を踏まえて書かれた今回の論文は「中国の陽動戦争という作り話」(The Myth of Chinese Diversionary War)というものであり、識者の間でよく議論される「習近平率いる中国の指導層は、山積する国内問題から国民の目をそらすために対外戦争を起こす」とする考えに異議を唱えている。
その主張のために、フレイヴェルは北京が過去に直面した陽動戦争が起こってもおかしくなかった状況(つまり、国内が一時的に不安定になった)のケースを、1969年の中ソ紛争、89年の天安門事件、2015年の株価下落の場合と特定し、結果として「北京は陽動戦争をほとんどしてこなかった」と結論づけている。
■弱さを見せないための威嚇
これは現代を生きるわれわれにも大きな意味を持つ。なぜならフレイヴェルは、中国経済の失速が明らかな今、危険なのは陽動戦争ではなく、むしろ中国の指導者たちが外部からの挑戦に敏感になり、強さを誇示して、他国が自分たちの不安につけ込んでくるのを抑止するために暴れる可能性がある、と結論づけているからだ。
つまり北京は外敵をつくって結束するために危機をエスカレートさせようとしてくるのではなく、あくまでも自分たちの弱さを見せたくないので威嚇をしてくる可能性が高い、ということだ。フレイヴェルのこのような議論は実に参考になるものだが、やはりこれを素直に受け取って「中国は国内問題を理由に陽動戦争をしてこないはずだ」と言い切れるほど現実は甘くないのかもしれない。
それでも以下ではフレイヴェルの議論が正しかったと仮定した上で、3つの気になる点を指摘しておきたい。
第一に、北京の戦争開始やエスカレーションを進めようとする決断のかなりの部分が、中国側の「主観」によって決定されるということだ。これはつまり、彼らが「どう感じたか」がカギとなるということだが、フレイヴェルは上の論文の中で日中間の争点である尖閣事案を例に挙げて説明している。
たとえば2012年9月に日本が尖閣諸島を国有化した際に北京が強く反発したケースだ。北京にとってそれは「中国に投下された原子爆弾」と表現するほどショックであり、これを期に領海内での海上パトロールが開始されただけでなく、多くの都市で反日デモが行われ、政府高官による交流も凍結された。
だが、この時期に中国は10年に一度の重要な権力移行の直前であり、北京から見て「日本の行動はこの不安定な時期を利用したもの」と受け取られたために強硬な対応がとられたというのだ。
つまりこれは「北京の主観」によって過激な対外行動が決定されたということだが、そうなると結論として出てくるのは(実に平凡かもしれないが)日本政府は自国の動きを考える際に、中国側がそれをどのように受け取るのかを知るためのインテリジェンス機能が決定的に重要になるということだ。
だが、仮に機能を持ちえたとしても国家の意図(習近平の心変わりなど)を完全に知ることは難しいので、リスクは残ったままだ。
■危機を起こして勢力圏を確定する
第二に、台湾が相変わらず次の危機の焦点になる可能性が高い、ということだ。
上述したフレイヴェルの研究書でも、中国は主に漢民族が支配的な地域では、たとえ力の強い外国であっても躊躇なく戦争や危機を起こしてきている事実を(中ソ国境紛争や中印戦争、中越戦争など)指摘しているが、台湾がまさにここに当てはまる事実は変わらない。
さらに心配なのは、今の中国が危機(フレイヴェル式に言えば威嚇)を求めているように見えることだ。
これは一部の中国専門家も解説しているように、最近の北京の戦略家たちは「北京とワシントンが腰を落ち着けて共存の条件について本格的に交渉する前に、1962年のキューバ・ミサイル危機のような行き詰まりを迎える必要があると確信している」とも指摘している。
2023年には南シナ海や台湾海峡周辺における米中軍の何件かのニアミス案件や、米中の政府高官同士の対話が一時的に途絶えていたことを考えれば、この「危機を起こして勢力圏を確定する」ことを北京側が狙っていると考えていたとしても不思議ではない。
■アメリカ大統領選のまえに日本がやるべきこと
第三に、フレイヴェル論文の主張が正しく、中国は経済が落ち込んでも外国をスケープゴートとして危機や戦争を起こさなかったとしても、それはその相手となるアメリカや日本、フィリピンや韓国の状況にも左右される、という見逃されがちな事実だ。
危機や紛争のような戦略的な状況というのは、基本的には二者関係によってつくられる相互作用である。たとえ中国が陽動戦争を起こさなくても、たとえばアメリカが選挙の争点として中国との危機を利用しないとも限らない。
陽動戦争の研究では独裁国よりも民主国の方で行われやすいという傾向があると指摘する研究者もいることを考えれば(christopher Gelp「Democratic Diversions: Governmental Structure and the Externalization of Domestic Conflict[民主主義の転換:政府構造と国内紛争の外部化]」)、米中間の危機そのものは「低い」とは言い切れないだろう。
結論として、中国はフレイヴェルの言うように国内問題から国民の目をそらすために危機をエスカレートする可能性は確かに少ないのかもしれないが、それでも危機が起こりうるような状況は構造的にまったく解消していない。
2024年11月にアメリカの大統領選挙を控える中で、日本に求められるのは、北京を大きく刺激することなく着々と情報収集につとめ、抑止力となる防衛力の整備を進めることであろう。
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地政学・戦略学者
戦略学Ph.D.(Strategic Studies)国際地政学研究所上席研究員。カナダ・ブリティッシュ・コロンビア大学卒業後、英国レディング大学院で、戦略学の第一人者コリン・グレイ博士に師事。近著に『サクッとわかるビジネス教養 地政学』(新星出版社)がある。
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(地政学・戦略学者 奥山 真司)
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