朝ドラのモデル三淵嘉子は「結婚しろ」と言う母を出し抜いた…良家のお嬢様が"一流の花嫁切符"を捨てたワケ
プレジデントオンライン / 2024年4月12日 8時15分
※本稿は、青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
■「男が理想とする良妻賢母をめざすべき」という母の呪縛
「嘉子が男だったら良かったのに」
それが母ノブの口癖だった。親の身びいきを抜きにしても、頭の回転が早く賢い娘だと思う。歌や踊り、絵画など何をやらせても上手で多彩ぶりを発揮する。
男に生まれていれば、それなりの地位に就けるはず。自分の心配や苦労もかなり軽減されたと思う。
また、嘉子は自我が強くて気も強い。自分が納得しないことには、誰が言っても聞かず絶対に従わない。一歩下がって夫を立てるなんてことができる性格ではない。むしろ、一家の主人になったほうがしっくりときそうだ。
それは解ってはいるのだが。「女性の幸福は良縁に恵まれること」「男たちが理想とする良妻賢母をめざすべき」という呪縛にノブはとらわれつづけていた。嘉子の資質を察しながらも、その可能性に目を塞ふさいでいた。
■昭和初期には「結婚しか選択肢がない」という状況も変わる
一方、貞雄はあいかわらずの放任主義。やりたいことをやらせて一切口を挟まない。
また、彼はインテリの知識人なだけに世の動向にも詳しく、女性をとりまく状況が変わりつつあることを感じ取っていた。
明治時代は16~17歳で結婚しても普通だった。女学校の最上級生になれば縁談話が次々に持ち込まれたものだったが、大正時代にはそれが18~20歳に。この頃になると20歳を超してから結婚する女性も珍しくなかった。
東京のような都市部だとその傾向がさらに顕著だった。昭和初期の平均初婚年齢は女性が23.1歳。数字だけ見ると戦後の昭和30年代と変わらない。女学校の卒業が近くなれば、親や親戚たちが焦って婿探しに奔走した明治の頃とは違う。
卒業後は丸の内あたりの会社に就職して職業婦人になるか、家で花嫁修業をしながら良縁を待つか。あるいは、女子大学や専門学校に進学するなど、晩婚化によって娘たちの選択肢は広がっていた。
嘉子も女学校卒業後は、どこかに進学しようと考えている。このまま花嫁修業をしながら家に籠(こ)もるというのは性にあわない。しかし、何を学べばいいのか、それについての答えがみつからない。
女子の最高学府である東京女子高等師範学校も、その附属女学校に通う彼女ならば容易に内部進学ができるだろう。子育ては良妻賢母の必須条件だが、高等師範で学んだ女性ならばそれは完璧と、女の価値はさらに上がる。一流の花嫁切符にはさらに箔(はく)がついて、良い条件の見合い話が次々と舞い込んでくるはずだ。また、他の女子大学に入って文学や美術を学ぶのもいい。お茶やお花と同じで、当時は女性が文学や美術を学ぶのも花嫁修業の一環のように世間では思われていた。
■東京女子高等師範、現・お茶の水女子大学に進む選択肢もあった
しかし、嘉子にはそのどれもピンとこない。この時は彼女もまた固定観念に縛られていた。女が大学で何を学んだところで、結婚すれば専業主婦となりそれを活かすことはできない。そう考えるとすべてが無意味なものに思えてくる。進むべき道が見つからず悩んでいた。
そんな時に、
「結婚して大人しく家庭に収まる。お前は、そんな普通の女になってはいけない。何か専門の知識を学んで、それを活かせる仕事に就くのがいいだろう」
父からそんなアドバイスをされた。
「法律を学んでみてはどうか? お前には向いていそうだが」
さらに、こう言われた。しかし、当時は女性が法律を学んでも、それを仕事にすることはできない。弁護士法では「日本臣民ニシテ民法上ノ能力ヲ有スル成年以上ノ男子タルコト」と、弁護士資格を男性だけに限定していた。
しかし、嘉子が女学校を卒業した翌年、昭和8年(1933)にはこの弁護士法が改正される。弁護士資格を取得できるのは「帝国臣民ニシテ成年者タルコト」と、女性にもその門戸が開放された。貞雄は法学部出身者だけに法曹界にも詳しく、こうなることを予測していたのかもしれない。そして、自分の娘がその先駆者になることを期待したのだろうか。
■法律を学び女性進出の先駆けになるという話に心ひかれた
父の話を聞くうちに嘉子もその気になってくる。法律を学ぶ女。自分が先駆けになる……と、そこにフロンティア精神を刺激された。
未開の地に足を踏み入れることには、不安や恐怖よりも好奇心のほうが勝るタイプ。自分がそれに成功すれば、後につづく女性たちのいい目標にもなるだろう。リーダー気質の彼女にはそれも重要なポイントだった。
しかし、この時はまだ弁護士法改正以前のことでもあり、弁護士になって法律家を職業にしようとまでは思っていない。ただ、
「女子大学で文学や英語を学ぶよりは面白そう。何かの役には立ちそうだし」と、軽く考えていたふしがある。そんな軽い考えで人が驚くような大胆な行動にでる。それもまた、彼女らしいところではあるのだが。
娘がその気になっていることを察した貞雄はさらに、
「明治大学専門部を受験してみてはどうか」と、勧めてきた。
戦前は多くの私立大学が専門部を設置していた。大学が旧制高校や大学予科を経ないと入学できないのに対して、専門部や専門学校は旧制中学校などの中等教育機関を卒業していれば受験することができた。
また、専門部を卒業すれば、個別審査なしで本校の大学に進むことが可能だった。当時、大半が内部進学していたというから、私学の専門部は北海道や京城(現在のソウル)など一部の帝国大学などが設置していた予科のようなもので、大学本校へ進学するための基礎知識を学ぶ場所と考えられていた。
■女性が弁護士を目指せるのは明治大学専門部しかなかった
高等女学校も男子の中学校と同じ中等教育機関なので、専門部や専門学校の受験資格はある。だが、当時の学校は男女別学が基本。女子を受け入れてくれる学校は少なく、それに代わる女子の高等教育機関が女子大学だった。
戦前の女子大学は名称こそ大学だが、実際には専門学校令に基づく高等専門学校。女学校卒業者を対象に、大半の学生は良妻賢母の育成に主眼を置いた家政学を学ぶ。
他には国文学や英文学、数少ない実学の学科も医学や薬学、看護学など医療関連の学部で占められていた。
しかし、女子大学には法律や経済などの実学が学べる学部はない。
女子が法律を学べる学校がなければ、弁護士法を改正したところで意味がない。ということで、明治大学では弁護士法改正の動きが出てきた昭和4年(1929)に、専門部女子部を創設してそこに法科を設置していた。 法律を学ぶという目標が定まれば、もはや進学先で悩むことはない。当時、女性が法律を学ぶことのできる高等教育機関はそこしかなかったのだから。
しかし、嘉子が法律を学ぶなんてことを言いだせば、ノブが猛反対するのは目に見えていた。父と娘は、母親には一切を秘密にして事を運ぶ。ノブが郷里の四国・丸亀に法事に出かけて家を留守にすると、嘉子は附属高女に出向いて明治大学専門部への進学の希望を打ち明け、入学手続きに必要な卒業証明書の発行を求めた。
■最高ランクの女学校は花嫁候補としてスペックダウンになると反対
「考え直したほうがいい」
案の定、学校側はすんなりと卒業証明書を出してくれない。当時、明治大学専門部は知名度が低く、また、女性が法律を学ぶというのはマイナスのイメージしかない。
せっかく最高ランクの女学校を卒業して「一流の花嫁切符」を手にしているのに、
「その経歴を汚すことになる」
と、教師たちは必死に説得するのだが嘉子は頑として聞き入れず、説得を諦めて卒業証書を発行することに。
この時、学校側が自宅に連絡して親への説得を試みたりされると、ノブの在宅中だと面倒なことになる。その心配があったから、不在の隙を狙って行動したのである。卒業証明書を受け取ると、嘉子はすぐに明治大学に赴いて入学手続きを済ませてしまった。
■法律を学ぶ女性は危険思想があるのではという目で見られた
法律や経済を学ぶ女性はよっぽどの変わり者。それどころか「恐ろしい」「不気味」とさえ思われるような時代だった。共産主義や市民運動など、警察から目をつけられるような活動をしているのではないかと警戒されたりもする。嘉子が法律を学んでいることを知った近所の人のなかには、
「まあ、恐ろしいわね」
と、言って眉をひそめる者もいた。そんな感じだから、縁談話を持ちかけてくる者も激減する。
ノブが帰京してすべてを知った時には、当然のことながら大激怒している。ふだんは夫に大人しく従う良妻がこの時ばかりは猛抗議し、
「嫁のもらい手がなくなってしまいます」
入学をとり止めさせるよう大泣きして訴えるのだが、貞雄は娘の意思を優先するべきだと言って受けつけない。嘉子の意思も変わらなかった。こうなった時の娘の頑固さはノブもよく解っている。もはや諦めるしかない。
娘が生涯幸福に生きてゆけるように、女の道を説いて育てた。最難関の女学校を卒業し、ノブが望んだ通りの人生の勝ち組ルートを順調にひた走っていたはずなのに。最終コーナーをまわったところで落馬してしまったような……。ここまで必死に頑張ってきた自分の努力がすべて無駄になってしまった。そう思うと力が抜けて、激しい怒りの後には虚無感が湧き起こってくる。
■不在の隙を突かれた母親は娘が勝ち組ルートから外れたと落胆
しかし、人生観や価値観は、時代や人が生きてきた環境で変わる。ノブはシンガポールにいた時の異文化での生活を通してそのことも知っている。
自分と娘は生きている時代が違う。いまや職業婦人は珍しくない。結婚以外にも女の幸福がみつけられる世が、やがて来るのかもしれない。維新以前にはありえなかった女性教師や女性医師も、いまの世ではそれが普通に受け入れられている。女性弁護士もやがてはそうなってゆくのかもしれない。
ノブと嘉子は血のつながった母娘だけに、性格は似たところが多分にある。感情を抑え切れずに爆発することはあっても、いつまでもそれが尾を引かない。切り替えの早さは共通している。もはや入学手続きは完了しており、娘の意思は揺るがない。夫がそれを承諾している限り、覆すことは難しいだろう。自分だけがいつまでも抵抗して不機嫌をアピールしても無駄なこと、家の中の雰囲気を悪くするだけだ。
わだかまりは残りつづけるが、ここは娘の意思を認めて応援してやるしかない。世が変われば、女性弁護士でも嫁に欲しいという男性が現れるかもしれない、と考えたのだろう。
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作家
大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。
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(作家 青山 誠)
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